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 しんと静まり返った城内を闊歩する、壮年の男の姿。肩で風を切り歩むその相貌は、風体とは裏腹に苦々しく歪んでいた。気品ある振る舞いを心掛けてはいるが、内より生じる嫌悪感は如何ともし難い。男は苦悩の最中に居た。


(愚妹が…………つくづく面倒な事になった物だ)


 しかし、それは無理からぬ話。彼がこれから向かう先は、謁見の間。皇帝ルシウスが鎮座する、ルミナリア帝国が中枢なのだから。


 男の両脇を固める兵士はすっかり縮こまり、その歩みに半歩遅れて追従した。彼らの心中を表すならば、「ついていない」の一言に限る。


 先刻ヘイムダルより、手記が届いた。そこに記されていた文面は、凡そ彼らの理解を超えていた。信じ難い、何の冗談か。読み返す程に、質の悪い悪戯の様に思えるその内容。だがそれは、紛れもない現実だった。文末に将軍シグルドの名前を見る度に、否が応でも思い知らされる。


 渦巻く思考は何度も同じ袋小路に迷い込む。

 だからこそ、愚かにも再び問うてしまう。


「ウルジオ様…… 手記に書かれていたあの内容…… 真なのでしょうか? 妹君が、その…………」


 歯切れの悪い問いかけに答える事はなく、男は一層歩調を早めた。無言は肯定を意味すると悟り、兵士は押し黙る。これ以上はやぶ蛇。逆鱗に触れる前に、沈黙するが是であると。気まずい静寂の中、徐々に近づく目的地。思わず身震いした。


 ついていない、なぜ今日に限って護衛の番なのか。

 近寄る事すら恐れ多き、帝国の支配者がこの先に――


 扉の前に到着した一同は、暫し立ち止まる。謁見の間と謳われつつも、この場所を訪問する者は数少ない。皆が皆、皇帝の前に立つことを恐れている。城の警備が手薄なのもそれ故だ。


 ウルジオが目配せすると、兵士達は前に進み出た。巨大な扉を押し開き、部屋の中へと踏み入る。


(何度来ても慣れんな、ここの空気は)


 紅き絨毯の先、玉座に深く腰掛ける男。(よわい)六十は超えようかという老躯だが、後方へと流れる黒髪と、凛と伸びる口髭が老いを感じさせない。その目元は陰に覆われていながらも、鋭い眼光は周囲に伝播し、忽ち場を威圧する。刺し貫かんばかりの視線が、ゆっくりとウルジオへ向けられた。


 謁見の間。

 座するは皇帝、ルシウス・エッデ・アーデハルト。

 悪辣なるルミナリアの帝王は、黙して来訪者を招き入れた。


 皇帝の左右に控えるは金と銀、二つの容姿。金髪の男はにたにたと気味の悪い笑みを浮かべながら、玉座の側面に背を預けている。片手にはグラス持ち、中には赤い液体が満ちる。


「おやおやぁ、坊ちゃんじゃないか? 随分と久しぶりだなあ。寂しかったぜ~ もっと頻繁に顔を見せておくれよ。折角同じ城に住んでるんだからさ」

「…………」


 無言。だけでなく、ウルジオは男と視線を合わせる事すら拒んだ。軽薄な言動、辟易する。あのような俗物は視界に入れるだけでも、自らの品位が下がると言う物だ。言葉を交わすなど論外極まる。


「ん~? 無視とはつれないねえ。そんな不愛想な所まで、御父上に似なくとも良いじゃねぇかよ~」

「その辺りにしておけ。殿下が呆れておられるぞ」


 割って入るは凛々しき声。出所は玉座の双璧、その片割れ。銀髪の男は直立不動のまま、透き通るような声音で窘めた。胸元で輝く朱き記章が、言葉に威圧を上乗せする。


「何だよ、つめてぇなあオイ! 久々の再会を喜ぶぐらい、別に良いじゃねぇかよ!」

「殿下は用件があってこちらへ参られたのだ。邪魔立てをするな」

「そう目くじら立てなさんなって。坊ちゃんと俺は海よりもふかーい間柄なんだからよ」


 ウルジオは男達のやり取りを無視し、その場で軽く礼をした。視線の先には皇帝ルシウス、既に状況は次の段階へと移っていた。


「あー、ハイハイ。分かりました、黙りますよ。俺だけ除け者ですか、そうですかっと……」


 グラスを揺らしながら、唇を尖らせ黙り込む。この男、軽薄ではあるが存外空気は読めるのであった。


「陛下、ご報告に。今朝方、通達がありました。ヘイムダルにて災いの影あり――」


 ウルジオはそこで一度言葉を切る。目の前の男の反応を見逃さぬ様に、玉座へ向けて視線を僅かに上げる。


「リーンベルが倒れました。身元不明の襲撃者の手により、意識不明の重体。現在ヘイムダル全域より、医術に明るい者を総動員して治療に当たっているとの事です」


 言い終えた後、張りつめた空気が場に広がった。時間にして、数秒であろうか? 体感では、まるで永遠にも匹敵するかの様な。長き長き静寂であった。ルシウスは首をひとつ鳴らすと息を吐き、端的に告げた。


「それがどうかしたか?」


 玉座の隣からはクツクツと押し殺した笑いが漏れる。肩が上下する振動で、手にした赤き液体がゆらゆらと揺れた。耳障りな囀りに、ウルジオは不覚ながらも苛立ちを覚える。俗物と同じ土俵に立つべきではない。皇帝のその返答は、彼とて想定内だ。


 報告を行う彼自身が()()()()()()()()と思っているような話題に、眼前のこの男が興味を示すはずがないのだから。


「いえ。リーンベルの安否は捨て置きましょう。問題はヘイムダルの統治です。現状この都市は皇族、宰相、何れも不在。為政者がおりません」


 ウルジオは先刻目にした手紙の内容を反芻し、言葉を続けた。リーンベル襲撃の件と併せて記載された、もう一つの事実。北へと去った、哀れな宰相の顛末を。


「お目付け役として滞在していたはずのドルマゲスは、何やら城を出て行ったと。仔細は存じ上げておりませんが……」


 伝えるべき事柄はこれで全て。さっさと頷き、早くこの場から解放しろ。そんな思いだけが、胸の内に渦巻く。ルシウスはまたしても大きく溜息、侮蔑の視線を向けた。それは実の我が子に向けるには、あまりにも冷たき眼差しであった。


「お前はそんな事を言う為に、わざわざこの場所までやって来たのか?」

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