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 医務室へと足を踏み入れると、ベッドに仰向けで横たわる少女の姿。昨晩と寸分違わぬ格好で、白き皇女がそこにいた。静寂の中で瞼を閉じ、天井へ顔を向けるその様相。見ようによっては、それはどこか安らかな眠りの様でもあった。


 全員の視線がリーンベルへと集まる中、初老の医者はぽつぽつと話し始める。


「胸に刺さっていた杭は摘出し、傷口の縫合は終わりました。幸い急所を外れていたおかげで、それ自体は致命傷という訳ではありません。ただ……」


 そこで医者は一度押し黙る。同時に、ユーステスは頭を抱えた。刹那の空白は、自らの愚かさを呪うには十分過ぎる。


 あの至近距離で杭を撃ちながら、仕留め切れなかった?

 これを失態と言わずして何と言う?


「恐らくは精神的な影響が大きいのでしょうな。いかに皇族とはいえ、まだ少女だ。それがあのような凄惨な現場に巻き込まれ…… 無理のない話でしょう……」


 医者の言葉を聞き終えた後、これまで沈黙を貫いていた片眼鏡の男が口を開いた。ユーステスにとっては馴染みのない、その男。いよいよとなって、いったい何を語り始めるか。発言の一言一句も聞き漏らすまいと、集中力を高める。


「身体の傷については、時間を掛ければいかようにでもなります。しかし、心の方は…… 私のギフトを以てしても、こればっかりは……」


 飛び出したギフトという単語。なるほど得心がいった。


(医術に心得のある者を集めたと、シグルドが言っていたな……? 治療系ギフトの使い手か? 聞いた事がある、名は確か――セクメト)


 他者と精神を同調させることで、対象の自然治癒力を引き上げる祝福者。帝国における唯一の治療系ギフトの使い手である彼は、同時に支援部隊の参謀を務める事でも有名だ。


(随分と大物を引っ張って来たじゃないか。皇女の一大事ともなれば、まあ当然ではあるか)


 将軍シグルドが率いる遊撃部隊とは異なり、支援部隊は矢面に出てくる事自体が稀だ。


 帝国正規軍には、三つの大きな柱がある。


 機動力重視の遊撃部隊。侵略戦争の最前線に投入される、ルミナリアの主戦力。都市の守りを固める防衛部隊。彼らの築く城塞を前に、外敵は悉く退けられる。


 そして、戦いに不向きな祝福者だけで構成される異例の集団――それが支援部隊だ。セクメトのように医療行為に特化した者から、果ては天候を自在に操る祝福者まで。その能力は多岐。兵士の大多数はいずれかの部隊に所属するのが生業だ。


「リーンベル様の精神、その奥深くまで入り込んでみましたが…… 一切の反応がありません……」


 逡巡し、言い淀むセクメト。そこから先の言葉を告げるべきか否か。彼は葛藤の狭間に立たされていた。一度口にしてしまえば、その残酷な真実が確定してしまう。だからこそ。


 そんな彼の背中をそっと押す、優しき声音が部屋に響く。


「良いのですよ…… 私なら大丈夫です。続けて下さい」


 声の主は、青き長髪を揺らしながら頷く。この場において誰よりも辛く、取り乱して然るべき人物。そんな彼女が、他者の胸中を慮ってそう声をかけた。


 セクメトのまなじりに浮かぶ涙。自身の不甲斐なさを噛みしめながら、ぽつりと吐露した。


「目を覚ますことは、もうないかと…… 力及ばず、申し訳御座いませんっ……!」


 セイレーンは一瞬だけ言葉に詰まり、感情を押し留める様に唇をきつく結ぶ。次いで自分を納得させるように、小さく。


「そう………… そうよね……分かっていたわ…… でもっ……! それでも、私はっ……!!」


 信じたかったのだと――小さく呟くのだった。


 ♢


「レギウス、セクメト。急な招集にもかかわらず、ここまで付き添って頂き感謝致します」


 セイレーンは凛とした姿勢で、二人に向かい合う。腹部で両手を重ね合わせ、頭を下げるその姿。ルミナリアが皇族が下々に見せるとは思えぬ程の、丁寧な所作だ。セクメトはたまらず深くお辞儀を返した。


 レギウスは自然と片膝をつき、床の上で拳を震わせる。無意識のうちに下唇を噛み切り、口元には一筋の血が流れ出た。主が負ったあまりにも深い心の傷。その傷を癒す術を持たぬ、不甲斐なき自身を責める。


 セイレーンはリーンベルを見つめながら、ゆっくりと話し始めた。


「リーンは、本当にお転婆な子でね。いつも色んな物事に目を輝かせていました」


 慈しむ様にその前髪を掬い、額を軽く撫でる。


「ユーステス、貴方ならよく知っているかと思いますが…… この子は皇族会議にもほとんど出席した試しがなくってね。お兄様達がよく頭を抱えていたものです。最後に顔を出したのは……そうですね。それこそ、貴方が騎士となったあの日の集まりがそうだったかもしれません」


 困ったような笑い顔を浮かべながら、その瞳には再び涙が溜まり始めていた。せめて声を震わす事はするまいと、穏やかな声音のまま続けた。


「私はこの子に皇女なんて役目は似合わないと、常々思っていました。何にも縛られず、何てことはない、ただ当たり前の日常を……与えてあげたかった」


 抑えきれなくなった涙が頬を伝うその瞬間、リーンベルの隣に顔を伏せた。第一皇女として、そう何度も取り乱すべきでは無い。自身に言い聞かせ様とする程に、愛する者を失った悲しみがどうしようもなく胸を引き裂く。


「ごめんね、リーン……! 貴方を自由にしてあげられるだけの力が、私にあれば良かったのにね……」


 リーンベルを想い涙を流すセイレーンのその姿に、ユーステスは自らを重ねていた。


 最愛の妹を失い修羅の道に落ちた。

 自身の醜き、この有り様を。



 ふとした瞬間、胸の内に溢れ出す。それは禁忌の問いだ。



 俺の故郷を焼き払った奴らと、今の俺は――

 いったい、何が違うと言うんだ?



(――――ッツ!!)


 強い吐き気。腹の内を蛆虫が這い廻っているかと錯覚する。自身が最も忌諱する存在に、一歩、また一歩と、歩みを進めている。その事実が、どうしようもなく脳裏を蝕んだ。



 もしも、セイレーンが真実を知った時。

 その青磁色の双眼は、どの様に俺の姿を映し出すのだろうか。




 動悸が早い。

 目を瞑り、深く息を吐く。


 目的を見失うな。

 思い出せ。


 肉塊の転がる、あの地獄の光景を。

 柔らかな首筋に指を回した、あの時の感触を。


 なぜ、メリルを殺したこの俺が。

 今もこうして、のうのうと生きている?


 憎しみの火は消えない、消してなるものか。


 故郷を滅ぼした、蒼き炎の使い手を。

 そして、悲劇の連鎖を生み続ける元凶――


 皇帝ルシウスを殺す、その時まで。


(俺の復讐の前に立ち塞がるならば、誰であろうと容赦はしない。邪魔立てすれば、次は貴方を切り捨てますよ。皇女セイレーン)


 ユーステスの煤けた瞳の中に、また一つ灰色の濁りが混じり、溶け合った。


 ♢


 ひとしきり涙を流した後、セイレーンはリーンベルの枕元に置かれたティアラを手に取った。同時に、ティアラの隣に転がる一つの宝石を手に持つ。ダイヤ型の宝石だ。手のひらに乗せると、途端にカタカタ震え出す。ティアラの窪みへ宝石を嵌め込むと、振動はぴたりと止まった。


 セイレーンは自身の服からも、同様の宝石を一つ取り出す。刹那、周りが碧色に包まれた。ティアラへ嵌め込むことで、光は直ぐに収まる。ティアラに空いた三つの窪みの内、これで二つが埋まる。


「セイレーン様、こちらを」


 ユーステスは自らのポケットから、三つ目の宝石を取り出す。大気に触れたそれはたちまち碧色に発光し、ユーステスの手の中で数度回転。徐々に力を失うと、ゆっくりと眼前のティアラを指し示した。


 その様子を見つめていたセクメトが、片眼鏡の奥の瞳を細めて呟く。


「それは、『追跡のティアラ』ですかな?」


 セイレーンが受け応える。


「ええ、私がこの子の誕生日に贈った物です。昔、リーンはお城を勝手に飛び出して、スラムへ行ってしまった事がありまして――」


 一拍置いて、ユーステスへと微笑みを向けた。優しさに満ちたその声音が、脳裏に酷く残響する。


「その時たまたま通り掛かったユーステスが、この子を救ってくれたのです。そういえば、当時は『旅人』との触れ込みでしたかね? リーンから聞いた時は驚きましたよ?」


 昔を懐かしんで、セイレーンはくすりと笑う。


「私も、気が気でなくってね……だからこれを」


 空いた窪みを全て埋め、本来の形を取り戻したティアラ。セイレーンは慈しむ様に両手で握りしめ、胸の内に抱きしめた。セクメトは目をぎゅっと瞑り、声を絞り出す。


「貴方様のその想い。きっと、リーンベル様へも届いていた事と思います」


 セイレーンは暫しリーンベルを見つめた後、その胸元へゆっくりとティアラをのせた。そのまま屈んで、彼女の額へそっと口づけをする。


「さようなら、リーン。ティアラ、大事にしてくれてありがとう……」


 眠り続ける彼女の姿を眼に焼き付け、未練を断ち切る様に。セイレーンは背を向け、歩み出す。皆、その後ろに付き添った。


 最後に一人残されたユーステス。様々に去来する想いに蓋をし、彼が最後に選んだ言葉は騎士としての――決別の宣告だった。


(恨んでくれて構いませんよ、お嬢様。貴方の屍を踏み越えて、それでも俺は世界を変える。もう、止まれないのですよ)


 昏い決意を新たに、復讐の歯車は廻り始めた。


 ♢


 静寂が残された一室。リーンベルの胸元に乗せられたティアラは一瞬だけ眩く、碧い光を放った。


 まるでそれが、最期の灯であるかの様に。


 光は徐々に収束し、ゆっくりとその輝きを失うのだった。

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