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部屋を出た後、一直線に医務室を目指した。道中何度か名前を呼ばれたが、その全てを無視する。構っている余裕などない。ただひたすらに、目的地まで駆ける。
城内にはあまねく人々が集い始めていた。軍上層部に、大臣、果ては貴族に至るまで。錚々たる顔ぶれだ。皆が戸惑い、そこかしこで上がる混乱の声。
「言わんこっちゃないっ! だから私は反対していたのだ! あのような離宮に、姫を一人で住まわすなど…… どう考えても浅慮に過ぎるだろ!!」
「聞いたかよ? 獲物はクロスボウだったらしいぜ。しかも――例の刻印付きって話だ……」
「ああっ! おいたわしや、姫様っ……! まだお若いというのに、なんて残酷な事をしよるんやぁ……!」
「正規軍っ!! 城門の警備はどうなっておるかっ!! 今直ぐに逆賊を見つけ出せっ!!」
「嫌ねぇ、物騒で…… ほら、ドルマゲス殿もいなくなってしまったのでしょう? ヘイムダルはこれからどうなってしまうのかしらねぇ……?」
「そも、かの皇女は精神的に未熟であった! 何年か前にも勝手に城を抜け出し、騒ぎとなった事があったであろう? 護衛対象が気ままに動かれては、我々とて困るのだっ!」
「お付きの騎士とやらは何をやっていたんだっ!! 皇族を守る事こそが、騎士の務めなんじゃないのかよっ!?」
噂話の濁流は止まる所を知らない。錯綜する情報、個々の思惑、責任のなすりつけ合い。場はまさに、混迷を極めた。
人波をかき分けながら、ユーステスは何とか医務室の前まで辿り着く。多くの警備兵で封鎖されたその一画は、独特の緊張感を漂わせていた。他とは違う、明らかに異質な空気――
(ん…………? 何だ、あれは……?)
扉の前には先客が二人。青き長髪の女と、その隣に控える男。女は酷く憔悴した顔つきで、両手を組んで祈りを捧げる。男は眉間に皺を寄せながら瞼を閉じ、時が経つのをただジッと待っていた。
すると間もなくして、部屋の中から二人の男が退出する。一人はヘイムダルで随一の腕を誇る、初老の医者。ユーステスもよく知る男だ。【血性変化】で負った傷を治療する際、これまで何度も世話になった。
もう一人は馴染みのない顔。黒と白が縞模様のように入り混じった髪に、身に着けたるは片眼鏡。そのレンズの奥の瞳は濁り、男の潜ってきた修羅場の一端を覗かせた。
青髪の女は急ぎ二人に駆け寄り、涙声で訴えかける。
「リーンは!? リーンはどうなったのっ!?」
「申し訳御座いません。手は尽くしたのですが…………」
初老の男は力無く俯きながら、重々しく返答した。瞬く間に、女は膝から崩れ落ちる。
「ああっ、リーン……! そんな……! どうしてっ……!!」
「セイレーン様、お気を確かに……」
控えの男が片膝をつくと、項垂れた背中を労わるように撫でた。初老の男はたまらず二人を視界から外す。痛ましくて見ていられないとでも言いたげな様相だ。
少し離れ成り行きを静観していたユーステス、冷静に状況を分析する。問題ない、これは想定内だと。
(もうヘイムダルまで来ていたか…… 随分とお早いご到着だったな。第一皇女セイレーンに、騎士レギウス)
泣き伏す女が一瞬その顔を上げると、青磁色の双眼がユーステスの瞳と交わった。涙で濡れる目を何度か瞬かせ、震える声で呟く。
「…………ユーステス?」
青髪の女――皇女セイレーンの呟きを聞き、騎士レギウスは勢いよく後ろを振り返る。そこに黒衣の男の姿を見つけると、みるみるうちにその顔が歪んだ。
立ち上がり、大股でユーステスに近づく。無言のまま胸ぐらを掴み上げると、憤怒の表情で詰め寄った。
「ユーステスっ……!! 貴様っ、いったい今まで何をしていたっ!? なぜリーンベル様が、このような事にっ……!」
状況は未だ分からないが、どうやらリーンベルは目覚めてはいないようだ。最悪の事態は免れた。なればこそ、次はこの状況を収めなければならない。
綱渡りはまだ続いているのだ。
安堵には早過ぎる。
二人へ交互に視線を向け、困惑の芝居にて返答を行う。
「セイレーン様っ、レギウス殿っ! お嬢様がっ、ここにお嬢様がいるのですよねっ!? 将軍から聞きましたっ! 襲撃を受けただなんて、そんなっ……! いったい何が起こっているのですか!? お嬢様は無事なのですかっ!!」
これで良い。
無知を貫け、無能であれ。
そうすれば、怒りは矛先を失い収束する。
狼狽えるユーステスを前にして、レギウスは奥歯をぎりりと食いしばった。胸ぐらを掴む拳を強く握りこみ、周囲を憚ることなく大声で怒鳴りつける。
「お前がそんな事だからっ、リーンベル様が凶刃に倒れたのだっ!!!! 胸に付けたそいつは飾り物か!? この皇族騎士の面汚――」
「お止めなさい、レギウス!!」
強き制止が怒気を遮った。声の先には、凛と立つセイレーンの姿。いつの間に立ち上がったのか。青磁色の瞳は涙の痕でうっすら赤く染まっていたが、既に悲痛の相貌は消えていた。
ただ真っすぐに自らの騎士を見やり、その場にいる兵士達にも語り聞かせる様に話し始める。
「ユーステスを責め立てるのは間違っています。騎士は我々皇家が、必要に応じて招集する存在――己が目的を成さんとする為の剣です。ユーステスはこれまでに幾度となくリーンの……リーンベルの願いを聞き入れ、その窮地を救ってくれました」
自らの胸に手のひらをあてがい、セイレーンは語る。先刻まで絶望に泣き暮れていた人間とは似ても似つかない、高貴なる佇まい。
透き通る声音は、まるで聴く者の魂にまで染み渡るかの様であった。
「断罪されるべきはかような襲撃を行い、痛ましき悲劇を生んだ者。ただそれだけの事…………違いますか?」
ユーステスを締め上げていた拳からふっと力が抜けた。レギウスは握った拳をそのまま自らの胸の前に置き、深く頭を下げる。
「…………貴方様に、そのような事を言わせてしまった。自身の未熟さを恥じます…… この場おいて最もお辛いお二人の気持ちを、汲み取ることが出来ませんでした。お許し下さい、我が主よ……!」
行き場のない怒りをぶつけていた事を恥じ、謝罪を口にするレギウス。身なりを正し、改めてユーステスへと向き直った。
「突然のことで感情的になりすぎていた。すまなかったな、ユーステス」
「いえ、そのような事…… ですが、レギウス殿っ! お嬢様はっ……!!」
レギウスは首を横に振る。言葉にするのは躊躇われたのだろう。
「お嬢様っ…………!」
涙は出なかった。そこまでの役者じゃない。唇を強く噛み、後悔を演出する。そう、全ては演出だ。
この胸を刺す様な痛みも、何もかも。
全てはまやかし、偽りに過ぎない。
「私は……守れなかった………… 騎士として、お傍に置いて頂いたのにっ! 私はっ!!」
「ユーステス……」
目線を下げると、鼻を啜る音が聞こえた。レギウスは直情的な男だ。同じ騎士である者同士、思う所があるのだろう。その顔を、直視は出来なかった。
顔を伏せたままでいると、次いで柔らかな声音が耳朶を打つ。
「リーンベルは、貴方に感謝していると思います。貴方が騎士となってから、あの子には笑顔が増えましたから…… 姉である私が言うのですから、間違いありません……!」
慰めの言葉は時に残酷だ。
いっそ罵ってくれた方が、開き直れるというものだろう。
いや、それは有り得ないか。
真実を隠匿し、本心をひた隠しにしている自分が何を言う? 『悲劇の騎士』を演じ続ける限り、この責め苦は終わらない。
復讐に生きると決めたのならば、無用な感情は捨てろ。
今更何を迷う必要がある。
この世界を――
ルミナリアを破壊すると、誓ったのだろう?
それでも、セイレーンの顔を見る事は憚られた。
恐れていた訳ではない。
復讐に囚われた心を、見透かされるのではないかと。
「ユーステス……一緒に中へ入りましょう? リーンに、顔を見せてあげて……?」
ただどこまでも凛々しく高潔なセイレーンのその姿は。
自身の醜さが浮き彫りになる様で、見るに堪えなかったのだ。




