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 時刻は早朝。静けさに包まれた辺り一帯を、一匹の鷹の声が劈く。甲高い鳴き声は、微睡の中にいた兵士の意識をたちまち覚醒させた。


 目の前に留まった鷹、その足首に括られた羊皮紙を急ぎ紐解く。緊迫の面持ちで喉を鳴らしながら、そこに記された文面に目を通した。


「おい…………何だよっこれ…………! おいおいっ……! 嘘だろっっ……おいっ!!!!」


 文字を追うごとに、脳天を突き抜ける衝撃。眠気を振り払ったばかりの意識は、すぐさま動揺へと転じた。


 絵空事のような内容に思わず二度読み返すも、綴られた文字は一言一句変わらない。羊皮紙をくしゃりと握り潰し、深呼吸。兵士は何度も足を縺れさせながらも、急ぎ城へと向かって駆け出すのだった。


 ♢


 胸の記章を大きく揺らし、一人の男が廊下を横切る。頭抜けた身体能力を有するその男。階段を飛ぶ様に上り終えると、眼前に迫った扉を勢いよく開け放った。


「大変ですっ!! セイレーン様っ!!!!」


 椅子に腰かけ、書物を読み耽っていた女性。青き長髪を揺らしながら、彼女はびくりと体を震わせた。


 朝日は水平線に身を隠し、外の空気はまだうっすら白めいている。このような時刻に彼女の部屋を訪れる人物は極稀だ。彼女の騎士――蒼白の面持ちで震える眼前の男こそが、その唯一といって良い例外だった。


「何事ですか、レギウス? 珍しいですね? 貴方がそんなにも取り乱すなんて……」

「今しがたヘイムダルより文が届きましたっ!! いっ、妹君が…………リーンベル様がっ……!!!!」


 声を震わせながら、騎士は話し始める。その内容を聞く程に、女の顔はみるみると青ざめた。一連の報告を聞き終えるのを待たずして、女は部屋から飛び出す。騎士は後を追うと共に、手近な兵に命令した。


「直ぐに寄皇龍きこうりゅうを手配せよっ!! 急げっ!! 非常事態だ!!!!」


 命令を受け、兵士はあたふたと階段を降りて行った。向かうは都市ヘイムダル。第一皇女セイレーンとその騎士レギウスが出立するのだった。


 ♢


 ユーステスが離宮を去ってから数刻。城はかつてない程の混乱の渦に包まれていた。そこかしこで聞こえる怒号、悲痛の叫び。


 城門ではその有様がより顕著、虫一匹も通さぬ程の厳戒態勢。鎧を着込んだ警備兵が睨みを利かせ、異様な緊張感が漂っていた。


 そんな中、城から外れて街へとやって来た兵士達が数名。神妙な面持ちで、とある建物の前で静止する。看板には寂れた『山猫亭』の文字。ごく一般的な冒険者の酒場宿がそこにはあった。


「将軍の情報では、確かここに身を寄せていたはずだな?」

「宿の名前も一致する、間違いねぇ。しっかし、えらく中心街から離れてるなあ?」

「『山猫亭』なんて聞いたことねぇぞ? わざわざこんな所で寝泊まりするたあ……どんなもの好きだよって話だ」

「まあ、気持ちは分からんでもない。城の空気は堅っ苦しいからな…… どちらか好きな方を選べと言われたら、俺だってこっちを選ぶだろうよっ、と!!」


 言い終えるや否や扉を押し開け、建物の中へズカズカと踏み入った。『山猫亭』は酒場としての役割を終え、この時間は宿屋として営業中だ。客の多くは寝静まっており、大きな物音は厳禁。


 そんな事情を知ってか知らずか、大所帯の兵士達は無遠慮な足音で歩み行く。


「ちょっと! いきなり何なんですか、貴方たち! まだ朝早いんですから、お静かにお願いします!」


 抗議の声を上げる看板娘を無視して、兵士達はカウンター付近まで足早に辿り着く。主人は突然の事態に困惑しながらも、おどおどした様子で語り掛けた。


「へっ、兵士さんたちが、こんな早朝にいかが致しましたかな……?」

「ユーステスという者がここに寝泊まりしていると聞いているのだが。ご主人、何か知っておられるか?」


 先頭を歩んでいた一人の兵がカウンターに肘を乗せ、大仰な態度で詰め寄る。眼前まで迫った不機嫌そうなその人相、圧迫感。主人は慌てて返答した。


「ユーステスさんですか? 彼はうちの常連ですが……」

「その者は今どこにいる?」

「どこと言われましても…………」


 客の情報を渡すことに躊躇いを覚えた主人は、僅かながら言い淀んだ。兵はその様子にイラつきを見せ、将軍シグルドからの火急の要件である旨を声高に伝えた。説明を省き、すぐさま強権に縋る横暴な振る舞い。


 すっかり萎縮した主人は、おずおずと話し始めた。


「そう言えば……昨夜部屋にお戻りになってからは姿を見ていませんね。外出した様子はありませんでしたから、まだ部屋にいるんじゃないでしょうか?」

「部屋の位置はっ!?」

「確か…… この廊下の先。一階の一番奥の部屋、でしたかな?」


 兵士達は直ぐに廊下へと雪崩れ込んだ。目の前の扉を形式上でノックし、返事を待たずして開け放つ。


「ユーステス殿っっ!!」


 そこには椅子に深く腰掛けながら、窓の外を見やるユーステスの姿があった。黒衣の出で立ち、胸元には輝く紅き記章。ユーステスは上体をゆっくり捻りながら尋ねる。


「これはまた随分と大勢で…… どうしましたか、こんな朝早くに? 正規軍の方々が、街外れの酒場にまで押し寄せるなんて」

「説明は後回しです! 急ぎ城まで来て頂きたい! 緊急案件です故っ!」

「…………どうやら、只事ではなさそうな気配ですね。分かりました、直ぐに出発しましょうか」


 言い終わると同時に、椅子より立ち上がる。全ては予定調和だ。深くは追求しない、する必要もない。


 ここから先どのように事態が動こうと、想像の範囲内。そう自分に言い聞かせる。退出する兵の背中を眺めながら、ユーステスはひとつ大きく息を付いた。


 ♢


 城までの道中は、皆が無言であった。兵士は誰一人として言葉を発せず、ただユーステスを城まで送り届けるだけの傀儡。さながら操り人形の様だった。


 城の執務室まで到着した集団は、ユーステスを部屋の中へ一人残すと、そこで暫し待つように伝えた。数刻の後、廊下を勢いよく踏み鳴らす音。先ずは巨人のお出ましだなと表情を引き締めると同時に、部屋の扉が開け放たれる。


「ユーステスよっ!! 無事であったかっ!!」

「将軍! いったい何があったのですか? 突然兵が宿までやって来て…… それに、城のこのざわつき様…… 何事ですか?」


 執務室へやって来たシグルドは、ユーステスの両肩をガッと押さえつけて見下ろした。随分と力が入っている、加減を忘れるとはらしくもない。


 この様子だと、リーンベル暗殺の件は既に城中に知れ渡っていると見て良いだろう。


 状況を整理しながら、ユーステスは顔を上げる。


「良いか? 落ち着いて聞くのだぞ………… 昨夜、姫様が何者かの襲撃を受けた。離宮内での出来事だ」


 はっきりと、要点のみを告げるシグルド。あまりに単刀直入だと感じたが、将軍とてそこは人間。動揺するなと言う方が、無理な話か。


 ユーステスにとってみれば、これは既に周知の事実。

 問題はここから先の会話だ。



 さて、主を失った『悲劇の騎士』らしく振舞うには。



「警備についていた兵士は二名共に死亡。内一名は、我が隊の副長だ…………」



 果たしてどんな態度を取るのが最適かなと――



「姫様も重傷を負われた…………幸い急所は外れていて、即死ではない」



(……………………は?)



 視界がぐにゃりと大きく歪む。

 動悸が早まり、顔からは冷や汗が伝う。

 無自覚の内に拳を握り込み、体が大きく震え出す。


「だが、生命の息吹が感じられん…………あの様子ではもう…………」


 シグルドの言葉など、もはや耳には入らない。


(おいっ、待てっつ!! 待て待て待てっ!! 即死ではないって言ったか!? 仕留め損なったっ? あの距離で、この俺がっ!?)


 何とか震えを止めようとするが、叶わない。シグルドは異変に気付いたが、天の悪戯とでも言うべきか。ユーステスの見せる動揺は、リーンベルが襲撃された事へのショックだと受け取った。


 これ以上のボロは出すまいと、何とか歯を食いしばる。思考停止寸前の頭を死に物狂いで回転させ、次に出すべき言葉を選定する。


「うっ、嘘ですよね、将軍……? そんなっ、お嬢様がっ……!!」


 シグルドは額に刻まれた傷が大きく変形する様に、苦々しく顔を歪めた。大きく息を吐き出すと、まるで自分自身にも状況を言い聞かせるかの如く呟いた。


「今朝方発見されてな。姫様は昏睡状態だ…… すぐさま医術に心得のある者をかき集め、総出で診てもらったのだが…… 状況は芳しくない」


 ユーステスは驚愕の顔を浮かべ、項垂れる。


 次の言葉は、いったい何が最適だっ!?

 考えろ、考えろ、考えろっ、考えろっ……!!

 今直ぐにっ!!


 絞り出すように紡がれたるは、自らへの責め苦だった。


「…………私のせいだ。私がっ、お嬢様に付きっきりでその身をお守りしていたならばっ!! こんな事にはっ!!」


 主を想う騎士様であるならば、この辺りが適切な反応だろう。我ながら悪党だなと、冷めた目線で己を客観視する。そのおかげで、幾分落ち着きを取り戻した。


 昨夜の犯行、少なくとも露呈はしていない。


 ユーステスにとっては、先ずはそれが何よりも重要だった。


「自分を責めるな、ユーステス。騎士は主の剣ではあるが、盾ではない。それは我々、正規軍が行わなければならない事柄だ。責があるとすれば、この儂よ……」


 すまなかったと頭を下げ、謝罪をするシグルド。彼は将軍、延いては遊撃部隊の統括者でもある。離宮の警護に当たっていた兵も、彼の直属の部下だ。皇女の襲撃という未曽有の事態を易々と許してしまった事に、深い憤りを感じているに違いない。


 シグルドは苦い顔つきのまま、言葉を続ける。


「姫様は何か杭のような物で、その胸を貫かれていたとの報告を受けておる。ユーステスよ。昨夜は決闘終わりの道すがら、互いに別れたな? あの後何があったのか、おぬしの知る限りを教えてはくれんか? 辛い胸中ではあろうが、頼むっ!」


 両肩を握る力を強め、シグルドは懇願する。


 返答の前に、最終確認だ。


 離宮でのやり取りは秘密裏、リーンベルも夜の訪問については口を閉ざす様に言っていた。昨夜の逢瀬、見聞きしている者はいない。


 否、唯一の目撃者二人は既に()()()()()()()


 大丈夫だ、何も問題ない。ユーステスは視線を下げたまま、語り始める。


「将軍と別れたその後、お嬢様は離宮へと真っすぐに戻って行きました。特に不審な様子もなく、私もその足で街へと下りたのです……」

「姫様と何か会話をしたか? どんな些細な事でも良い!」

「決闘での私の姿を……労って頂きました。『正規軍も皆、ユーステスには一目置いている』と、過分な評価をっ……!」


 俯きながら目を瞑る。その痛々しい様子を見やり、シグルドの力がフッと抜けた。ユーステスの両肩に掛けていた手が、だらりと地面に垂れ下がる。


 これ以上、将軍の相手をしている暇はない。今直ぐにでも、状況を確かめなければならない。声を震わせ、焦りと当惑を演出しながら問いかける。


「将軍っ、お嬢様は今どこにっ!?」

「姫様は城の医務室に運ばれた。直ぐに顔を見せに行ってくれ……姫様も喜ぶだろう。引き止めてしまい済まなかったな、ユーステ――」


 言い終えるのを待たずして、駆け出す。


(クソッ!! 失態だっ……!! 何をやってるんだ、俺はっ――!!)


 シグルドの視界から外れたその顔は、たちまち険しい双眸へと変わっていた。

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