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「準備が出来たらいつでも来て良いからね! また後で会いましょう」

「それではお嬢様。お気をつけて……」


 離宮へと向かうリーンベルの姿が、完全に視界から消え去った。目を瞑り、暫し天空を仰ぐ。


 全ての条件が重なり合った、今夜。


 いよいよこの日がやって来た。覚悟はとうの昔に済ませていた。だからだろうか? あまりにも唐突に訪れた好機を前に、驚く程に心は静かだった。


(先ずは着替えと応急処置。それと、イレーネからの預かり物だな)


 思考を巡らせ歩む内に、城門へと辿り着く。門を警備する二人の兵士に近づくと、軽く耳打ち。兵士達は目を見開いた後、ゆっくりと頷き返す。街へ向かって去り行くユーステスの背中を見ながら、ぽつりと呟きが漏れ出た。


「あねさんが言ってた通りになったって訳か…… どうなるのかね、明日から」

「さぁな? そんなのは誰にも分かんねぇだろ。ただ一つ確かなのは――明日からは今よりもっと忙しくなりそうだって事ぐらいかね?」

「そいつは憂鬱だねえ……」


 緊張は一瞬、どこか他人事の様に話す二人。欠伸を噛み殺しながら見上げる夜空では、月明かりが雲に阻まれ陰るのだった。


 ♢


 ヘイムダルの城下街へ足を踏み入れたユーステス。目的地は決まっている。滞りなく歩みを進め、とある建物の前で足を止める。『山猫亭』と書かれた看板を一瞥し、扉を開け放った。


 入り口付近では、喧噪。飲めや騒げのお祭り騒ぎ。誰一人として、来店したユーステス事など目もくれない。酒場宿『山猫亭』の、これがいつもの風景であった。


 ユーステスは無言のまま二階へ昇り、自室で手早く着替えを済ませる。泥がこびり付いた黒衣を脱ぎ捨て、替えの服を手に取った折。胸元で輝く朱き記章が目に入った。


 騎士としての証、誉れ。

 まるで皮肉を投げ掛けられている様で、思わず溜息をつく。


(ま…………今夜は必要ない、か)


 記章から視線を外し、握りしめた黒衣を羽織る。次にベッドに投げ捨てられた簡素な荷を解き、中から包帯を取り出した。右足首を固く縛り、その感触を確かめる。先刻の決闘で痛めた筋肉の補強。若干痛みはあるが、走る程度ならば可能だろう。安易だが、そう結論付けた。


「重心の掛け方を少しでも間違うとコレか。下手したら骨が砕けるんじゃないか? とても使い勝手が良いとは言えないな。コイツも」


 そうごちると、手のひらへと視線を落とす。決闘の際にナイフで抉った傷口。見た目は痛々しいが、存外酷くはない。


 能動的にギフトを使う際に発生する、自傷行為。最低限の傷で最大の効果を求める。慣れ親しんだギフトは、その分能力への理解も深い。ユーステスは【血性変化ブラッドアルター】との折り合いを上手く付けていた。


「じゃあ、行きますかね」


 一通りの要件を済ませ、足早に部屋を出る。再び一階へ戻ったユーステスは、カウンターの前までやって来た。鼻歌交じりに食器を拭く向かいの男に顔を寄せ、ぼそりと呟く。


「マスター、例のブツ――イレーネからの贈り物を頼む。急で悪いが、今夜決行だ」


 皿を回す男の手が止まった。口髭が微かに上下し、思案の時が流れる。そのまま硬直すること数秒、再び作業に戻りながら返答を行った。


「それはまた随分と…………何か問題がありましたか?」

「むしろ逆だな。離宮で皇女と二人っきりになれる、絶好の機会を得た。その上、今夜の門の警備はあの二人だ。これ以上ない程の好機だろ?」


 皿を拭き終わり、棚に収納する。男は流れるような動作で隣の戸棚からリンゴを取り出すと、慣れた手つきで搾り始めた。


 酒を嗜まないユーステスの為だけにあつらえた、粋な計らいである。渋くて厳つい顔立ちに反して、客への気遣いの心は忘れない男の所作。この酒場が繁盛店たる所以だろう。


「ギルドから送り込まれていると言う、例のお二人ですか…… イレーネさんは本当に手広くやっておられますな。こうして今貴方と密談している私も、まあ同類なのですがね」


 苦笑いを浮かべながら、男は小声で返答する。会話をしながら、ユーステスの目の前に搾りたてのリンゴジュースをそっと手渡す。感謝しつつ、コップの中身をひとつあおった。


「今の帝国は何をしでかすか分からない。情報網は多いに越した事はないのだろうさ。まあ、多少は同情するよ。密偵の危険性は、俺自身が誰よりも知る所だからな。こちとら天下の皇族騎士様だ。こんな会話がバレた日には……一発おじゃんだな!」


 おどけてみせると、男は困り顔で微笑んだ。ユーモアの方向性を誤ったかもしれない。二重生活を送っていると、どうもにも感覚がおかしくなるようだ。


 先刻城門で話したあの二人の兵士も、状況は似たような物だ。彼らは帝国軍の内情を知る為に、ギルドから遣わされた密告者。当然ながら素性が知れれば、二人ともに命はない。


「皇女には、離宮へ向かうのは深夜だと伝えておいた。完全な暗闇になれば、多少遠くからでも光源が目立つ。敷地内の巡回兵とかち合う事態を上手い事避けられるだろう。いざという時の逃走経路も確保しやすい」

「なるほど………… かねてからの条件が揃ったという訳ですな」


 ユーステスはジュースを飲み干すと、コップを静かにカウンターへ置く。より一層の緊張感を高めながら、神妙な面持ちで話し始める。


「そこでだ、マスター。ここからが本題なんだが…… あんたには口裏合わせを頼みたいんだ」


 怪訝な顔を浮かべる男を前に、ユーステスは説明を続けた。


「明日の朝、帝国兵がこの宿にやって来るかもしれない。その際は、『ユーステスは昨夜宿に戻ってから、一度も外出をしていない』という体で会話を合わせてくれ」

「それは構いませんが………… 兵がやって来るなどと、何故そのような事が分かるのですか?」

「皇女が倒れたとなったら、騎士である俺の元に連絡が来るのはまあ自然だろう。宿の位置はシグルドも知っているしな。会話に矛盾が生じて、下手に勘繰られるのも面倒だ」

「矛盾ですか…… 気が付きますかね、その様な些細な事に? まさかとは思いますが――皇族騎士である貴方に疑いが掛けられるような恐れがあると?」


 問い返す男。カウンターの付近に人影は無かったが、極度の緊張ゆえに思わず声を潜めていた。つられて返答も小声となる。


「念には念をってやつだよ。そこらの一般兵なら何の疑問も抱かないと思うが、事シグルドに至っては要注意だ。何かしらに違和感をもって、後々嗅ぎつけられないとも限らない」


 男は顎に手をやり、うんうん頷く。シグルドの名は軍内部だけでなく、大陸全土でも響き渡っている。ヘイムダルの住人ならば尚更だ。疑問は氷解したが、次いで湧き出た愚問が思わず口を衝いた。


「かの将軍は帝国軍の中でもとりわけ優秀。真の益荒男ますらおですからな。敵国である共和国からも、その雄姿を称える声が聞こえて来る程に。なぜ彼のような人物が、悪逆非道の現皇帝に付き従っておるのか……」


 その問いはあまりにも残酷だった。皇帝の持つ力の前に、帝国の祝福者は抗う術がない。


 ユーステスは自らの首を右手で絞め、力を加える。爪が喉元の肉に陥没し、圧迫された肌が白ずむ。男はその姿を見て、悲痛の面持ちで首を上下に振った。言葉など不要、どうやら納得したようだ。


 カウンターに手を戻し、説明を続ける。


「それともう一つ。部屋を一階の一番奥へと移動してもらいたい。あそこからなら、誰にも見られずに外へと出られる。深夜に他の客に見咎められる事態は極力避けたい」

「フム。一階の奥でしたら……空いておりますね。まるでこれも巡り合わせかのようですな? 顔を隠すマスクはどうしますか? あった方が都合が良いかと」

「流石マスター! 気が利くね。そいつも頼むよ。あとは今夜のやり取りを、メノウにも伝えておいてくれ。明日の朝も出てるんだろ?」


 後方をちらりと見やると、せっせと酒を運ぶ人影が映った。人好きのする笑顔で客へと応対している、若き女だ。


「わかりました。メノウさんには後ほど説明しておきます。それではイレーネさんから預かっていたブツと合わせて、必要な物は部屋へと運びますね」

「助かるよ。いつも危険に付き合わせて悪いな。マスター、少ないがこれを……」


 ユーステスは金貨数枚を懐から取り出す。皇族騎士としての給金は、一般的な兵士のそれよりも多い。とはいえ、カウンターに乗せられた金貨は相当の額である。目の前の彼の協力は、それだけの金額に値する。


 男は手元に置かれた金貨を見やると、それをそのままそっと突き返した。


「謝礼などいりませんよ。貴方に協力する事は、イレーネさんたっての頼みです。ギルドには大きな借りがありますからな。それに――」


 表情を強張らせ、男は続ける。


「私も、今の帝国のやり方は気に入らない! あの男が即位してから、世界は酷く歪んでしまった。多大なる犠牲の先に世界を統一したとて、いったい何が残るというのかっ……! ユーステス殿の怒りに、私は希望を見出しているのですよ。貴方のその刃が、少しでも良き風を生み出すことを祈っています」

「そいつは買い被り過ぎだ、マスター。俺はただの――自分勝手な復讐者に過ぎないよ」


 黒衣をはためかせ、ユーステスは動き出す。仕込みは全て終えた、後は時が来るのを待つのみである。


 今夜、ルミナリア皇族の一角が落ちる。


「ユーステス殿。貴方に、戦神マルクトのご加護があらんことを」


 男は両手で拳を作り、それを胸の前で丁寧に合わせる。そのまま軽く頭を下げて、偽りの騎士を見送った。


「そうだ、マスター!」


 去り際、唐突に声をかける。辛気臭いのは性に合わない。別に死地に飛び込もうって訳じゃない。御大層な祈りで見送られるなど、分不相応だろう。


「イレーネへの感謝の気持ちがあるってなら、先ずは店の名前を変えるってのはどうだ? 看板も古くなって来てるみたいだし、妙案だろ?」


 ユーステスの問いに、男はにこりと口角を上げて答える。


「お生憎ですが、それは出来ません。私の唯一の拘りですからな!」


 男が話し終えると同時に、店奥からは「にゃあ」と同意の鳴き声が追従するのだった。

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