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月明かりに照らされた離宮。談笑をしていた二人の警備兵は、深夜の訪問者を視界に捉えるとスッと背筋を正す。
男たちの視線の先には、黒衣に身を包んだユーステスの姿。
闇夜に紛れる『黒』は、彼の好む色。自然と服装は、毎回似通った系統になっていた。
ただ唯一の違和感。
今宵の彼の胸元には記章が付けられていない。先刻までとの違いは、その程度である。
「深夜までの警備、ご苦労様です」
「ユーステス殿! よくぞいらっしゃいました。今宵の逢瀬は他言無用との事ですね? 姫様からきつく言い渡されましたよ! それではどうぞ、良き夜を……」
礼を返すと、目の前の扉へ向き直る。一呼吸の後、控えめにドアを叩いた。直後ぱたぱたと足音が響き、部屋の主がひょいと顔を出す。
「いらっしゃい、ユーステス! 待っていたわ!」
ドレス姿から寝具へ着替え、満面の笑みで出迎えるリーンベル。純白が眩しいその装いは、黒を纏ったユーステスとの対比でより艶やかに輝いていた。
「こんばんは、お嬢様。すみません、少し準備に手間取りました」
「良いわよ、気にしないで! さあ、早速中へ入って頂戴!」
扉を大きく開け、ユーステスを招き入れる。部屋に足を踏み入れると、燭台の淡い光が広がった。
机に置かれた黄金色のティーポットが、炎の灯りを受けて煌めく。傍らには色とりどりのお菓子が皿に盛りつけられ、先に着席したリーンベルは体を揺らしながら、今か今かと期待の眼差しを向けるのであった。
♢
「今思い出しても笑えてくるわ! ドルマゲスのあの顔ったら! あなたは知らないでしょうけど、試合中はすっっごい憎たらしい態度だったのよ? それが最後にはあんなにも……ふふっ!」
ティーカップを傾けながら、笑うリーンベル。零れた吐息がカップの縁にかかり、液面を僅かに震わせる。夜は深まり、ポットの中身も残り少ない。
ユーステスはすっかり冷めてしまった手元の紅茶を一気に飲み干すと、口元を綻ばせながら返答した。
「レイモンド公爵の存在が大きかったですね。私もこの街に来て長いですが、宰相殿があれほど取り乱している姿は初めて見ましたよ。ですが……本当に宜しかったのですか? 宰相殿を追い出してしまっても…… 政治、外交諸々。彼に頼りっきりだったのでは?」
「それ、あなたが言う!? ん~、まあ何とかなるでしょ! 何か困ったら、取り敢えず多数決ねっ! 何にも考えなくて良いし! それでどうにもならなくなったら、また首都から誰かがやって来るんじゃない?」
「実に他力本願ですね。流石はお嬢様、それでこそです」
無責任な太鼓判を押すと、若干不服そうに唇を尖らせた。今日一日の出来事を回想しながら、他愛もない会話が続く。決闘の話題が一区切りつくと、リーンベルは座りながらグッと伸びをした。
「今日は本当に楽しかったわ! 久しぶりにヘイムダルから出たけれど、やっぱり外の世界はスリルに満ち溢れているわね!」
今朝がた盗賊に襲われたとは思えぬほどの陽気さで、喜々と話すリーンベル。テーブルに並べられたクッキーをつまみながら頬に手のひらを当てがい、至福の時を味わう。口に残るパサつきを紅茶で潤し、再度言葉を紡ぐ。
「城下街を見て歩くのも悪くはないけど、スラムの雰囲気は別格よね! 何というか、漂わせてる空気からして違う……みたいな? 市場でも色々と面白そうなものを見つけたし。記念に何か買ってこれば良かったかも」
話の主軸がスラムへ向くと、ユーステスは俯いた。わずかの逡巡の後、リーンベルを労わるかのような優しい声音で話し出す。
「お嬢様……あのような無謀な行動はもうお止めください。脱走を手伝った私が言うのも、『どの口が』と思われるかもしれませんが」
「無謀なんかじゃないわ。あなたがついて来てくれたじゃない! ユーステスが一緒に来てくれるというから、私は安心してこの身を晒すことが出来たのよ?」
「私の事を信頼して頂いているのは嬉しいです。しかしそれはそれ、これはこれ。私も万能ではありません。今回は無事であったから良かったものを…… もしも陛下に知られたとなれば、どの様な仕置きを受ける事かと……」
身体をピクリと反応させるリーンベル。かじりかけのクッキーを皿へ戻しながら、その顔には物憂げな表情が浮かんでいた。
「…………お父様は、私に興味など無いわ。それに――」
続く言葉は胸に手を当てながら、一音一音を噛みしめるように紡がれた。
「もし私の身に何かあったとしても、あなたが私を守ってくれるのでしょう? 今日みたいに、その身を挺してでも。あなたはいつだってそう…… スラムで襲われた時ね、ふと思い出していたの。あなたと初めて出会った、あの日の事…………」
リーンベルは空になったティーカップに視線を落としながら、話し始める。
「あなたが私の騎士になってから、もう三年よ? あっという間だったわ。ねえ、覚えてる? 皇族会議で初めてあなたを紹介した時! みんな度肝を抜いてた! あんなの下らない集まりだと思っていたけれど、あの瞬間だけは有意義だったと断言出来るわね!」
「誇り高き騎士の中に、私のような不審人物を加えようというのですから。ご兄弟の反応は至極当然の事かと存じます。当時の私は――まあ酷い有様でしたので……」
「なーんだ、自覚あるんじゃないの! 確かに、酷い顔だったわ!!」
堪えきれずに吹き出すリーンベル。
「でも、今では少しマシになったんじゃない? 貴族の立ち振る舞いも覚えて、騎士の姿が様になって来たわよ!」
「そういうお嬢様は変わりませんね。溢れ出る好奇心とその無鉄砲さ…… 貴方の騎士となってから、心休まる時はありませんでしたよ」
肩を少し上げ、おどけて見せるユーステス。当時の記憶が二人の頭を巡り、暫しの沈黙が訪れる。思い出話が契機となり、会話は更に弾む。
「自称『旅人』だったあなたも、随分と帝国に馴染んだと思う。正規軍も、みんなあなたには一目置いてるの。私の鼻も高いわっ!」
「過分な評価ですよ。今日ご覧になった通り、ギフトを使って副長クラスに辛勝と言った所です」
「あらそう? ドルマゲスの意地悪もあったんだし、十分な戦果だったと思うのだけれど」
「お嬢様の騎士である以上、無様な姿は見せられませんからね」
取り留めもない会話を続ける二人。時には笑いが漏れ、時には感嘆の声が上がる。永遠に続くかのように思えたその時間にも、終わりが近づいていた。
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「もうこんな時間っ!! 少し長く話し込んでしまったわね。名残惜しいけれど、そろそろお開きにしましょうか? 明日もお稽古で早いのよね……」
言葉を聞き、ユーステスは深く息をついた。
(これで終わり、か…………)
ゆっくりと、一度だけ。
瞼を閉じる。
再び開いた眼は、リーンベルの顔を真っすぐに見つめていた。
「お嬢様、今宵はお招き頂き有難う御座いました。初めてでしたよ。こんなにも充実した夜は」
「私もよ! 今日一日、私のわがままに付き合ってくれてありがとうね。ユーステス!」
感謝の言葉など止めて欲しい。
これは騎士として、当然の責務なのだから。
リーンベルは椅子から立ち上がった。ユーステスを見送る為に移動するのかと思った矢先、唐突に窓の外を眺め始める。
月明かりがゆっくりと二人を照らし出す。
彼女にはまだ最後に、自らの騎士に伝えるべき事が残っていた。
「楽しい時間はあっという間ね。私、今日一日の出来事は絶対に忘れないわ。お城での毎日は退屈だけど、たまにはスリルがあっても良いわよね!」
机の縁を人差し指で軽くなぞる。
浮かべた微笑みは、しかし徐々に顔から剥がれ落ちた。
「でも、楽しいばかりじゃない。同時に、改めて思い知ったわ。この大陸に広がる穢れた者たち。ルミナリアに巣食う、不浄の存在を――」
普段は年端もいかぬ柔和な表情を見せるリーンベル。そんな彼女が時折垣間見せる、冷気を纏ったかの様な風格。
その姿はまさしく、帝国第四皇女としての威光に相応しい。
「エデンとかいう、あの穢らわしいギルド……! つくづく呆れかえったわ! シグルドも手を出す気はないみたいだったし、やっぱり私自身が動くより他ないみたいね」
怒気を孕み、熱のこもった声音。
しかし紡がれるは、凍てつく様な宣告だった。
「近々、あの一帯には兵を差し向けるつもりなの」
「お嬢様、それはっ…………!」
「あんなものが蔓延っているから、ルミナリアが内部から腐っていくのよっ!! 何が必要悪よ、下らないっ!! あんな所へ身を寄せる者も、足を運ぶ奴らも……みんな欲に塗れた獣よ!」
喚き散らすリーンベル。気に入らない物は弾圧する。興味が湧かなければ無関心。いつも通りだ。我が儘皇女の言動に、周囲が頭を抱えるまでが一纏め。
今まで何度も目にして来た。
何度も何度も何度も何度も、何度だって。
数え上げる事も、もう飽きた。
いったい何度目だろうか――?
「あなたも知っているわよね、ユーステス? 残念な事に……大陸全土に、この穢れは広がっているの。たかがギルドの分際で……なんで誰も手出ししないのかしら?」
騎士として、最も近くに寄り添って。
幾度となく目の当たりにした。
「人々を腐らせる温床……許せないわ! だからね、私考えてたの。『浄化作戦』……穢らわしき者達を排斥して、この大陸に平穏をもたらそうって!」
世間知らずと言うには、あまりにも罪深い。
彼女のこの――愚かさは。
「ヘイムダルを起点とした、掃討作戦よ! 関係する施設も同罪ね。炙り出して、根こそぎ焼き払うわ! あなたにはもう少し詳細が決まってから伝えようと思ってたのだけど、シグルドはいつまで経ってもあの様子だし……」
差し出されるか細い手。
その掌からは、まるで――
「これから長い戦いになると思うけれど…… 今日みたいに隣で、私のことを守ってくれるかしら?」
どす黒い血が、滴り落ちているように見えた。
「やはりお嬢様は変わらない。変わっては……頂けないのですね……」
溢れ出る好奇心も。
無鉄砲さも。
時折見せる、その強情さも。
思い付きで事を成す、軽薄さも。
何もかもが……変わらない。
忌むべき記憶が脳裏を掠める。
辺り一面に広がる、死体の山。
燃え盛る蒼き炎。
熱かっただろう。
苦しかっただろう。
動かぬ足で、ただ死を待つ。
それは果たして、どれ程の恐怖だったのだろうか?
ただ一人生き残ったこの俺に、分かるはずもない。
お前を救えなかった兄を、どうか赦してくれ……
「ユーステス……? どうしたの? 顔色が悪いわ……」
問いかけに、答える必要はない。
黒衣の胸元をゆっくりと開け、懐に手を入れる。
冷たい感触が指先に触れたのを確認し、手の中に握りこむ。
「焼き払うなどと、随分と簡単に言いますね…… お嬢様には、聞こえませんか? 虐げられた者達の……悲しみの声が。憎しみの叫びが。助けを求めて必死にもがく、嘆きの声が……」
「? いったい、何を言ってるの……?」
「……弱者の声など、聞こえるはずもありませんよね。貴方は何も、知ろうとはしないのですから」
苦しい、殺してと。
小さな唇はそう呟いた。
メリル――愛すべき俺の、たった一人の妹よ。
炎獄から九年、一度たりとも忘れたことはない。
愛する者をこの手で殺めた感触。
メリルの首筋は、酷く冷たかった――
「いつだって貴方はそうだ。あまりにも無知で、無能で……吐き気がする……!」
例えどれだけの年月が経とうと、俺は忘れない。
帝国の全てを破壊すると誓った、あの蒼き夜を。
「さっきからどうしたのよ!? おかしいわよ、ユーステス! やっぱり、決闘での傷が――」
――鮮血。
純白の寝具が、赤く染まる。
一歩二歩と後退し、彼女は目を見開いた。
「え――、な、に…………? ユーステ、ス……?」
眼前にはクロスボウを構えたユーステスの姿。その射出口は、真っ直ぐに胸元を捉えている。
「そのようなお気軽な頭だから、こうして簡単に寝首を搔かれるのですよ。皇女リーンベル」
糸の切れたマリオネットの様に、リーンベルは崩れ落ちた。同時に、机の上の食器が音を立てて床へと散らばる。すぐさま駆け付ける二人の兵。
「姫様っ! 今の音は――」
「――はあっ!!」
刹那の一撃。
部屋へ侵入してきた二人の首に、ナイフの軌道が重なる。喉元を掻き切り、血飛沫が床に広がった。
外の兵が押し掛けることなど、当然予測していた。出入り口は一つ、必然順路は定まる。あとは正確に仕留めるだけ、簡単な仕事だ。
兵士達は声を上げることもなく絶命する。折り重なるように倒れた二つの骸。そして横這いで倒れ伏した、白き姫君。その胸からは血が滲み、漆黒の杭が深々と突き刺さっていた。
クロスボウを投げ捨て、ナイフを内ポケットへしまう。長居は無用だと踵を返す。
(最初に異変に気が付くのは、交代でやって来た警備兵って所かね……)
部屋から出る刹那、ユーステスはふと後ろを振り返っていた。
何故だろうか?
彼自身ですら、理解出来ていない。
ただその瞳からは、一筋の涙が伝っていた。




