逆に動く街
初めての投稿です
気ままにやっていきます
『無音探偵セラ』
第1話:逆に動く街
朝のニュースは、どこも同じ話題だった。
「市内で発生した連続“自殺未遂”事件、被害者の全員が“自分の意思だった”と証言――」
コメンテーターが真顔でコメントしているが、どこか他人事だ。
俺も同じだった。
最近はそんなおかしなニュースばかりだし、いちいち気にしていたらきりがない。
冷めた缶コーヒーを片手に、仕事の面接に向かっていた。
最後の貯金が尽きれば、次は家賃が飛ぶ。
「もう、どうでもいいか」
そう呟いたとき、交差点の向こうで人だかりができているのが見えた。
バイクが止まり、悲鳴が上がる。
「ひったくりだ!」
反射的に駆け出した俺は、次の瞬間、奇妙な違和感に飲み込まれた。
誰も追わない。
目の前で女の人がバッグを奪われたのに、通行人は立ち尽くしている。
「おい、誰か警察呼べ!」
そう叫んでも、誰も動かない。
むしろ、近くの男が俺を睨んだ。
「何してんだよ、逃げた方がいいだろ」
「は? なんで?」
「だって、ひったくりの方が……正しいだろ」
瞬間、ぞわりと背筋が粟立つ。
何を言ってるんだ、こいつは。
女の子が泣いてるのに、“ひったくりが正しい”だと?
周りを見渡すと、誰も助けようとしないどころか、みんな同じ表情をしていた。
空っぽの目。冷たい笑み。
俺の頭の奥がきしむ。
“助けたい”と思ったのに、足が動かない。
代わりに、心の中で別の声がささやく。
――放っておけ。関わるな。それが正しい。
「……ふざけんなよ」
歯を食いしばった瞬間、視界の端に黒い影が走った。
長い髪が風を切る。
コートの裾が翻り、女がバイクの前に飛び出した。
ひったくりの男が慌ててハンドルを切る。だが、その直後。
女の動きは鋭かった。
地面に片手をつき、反動で体を回転させながら、男の腕を正確に掴んで引きずり倒した。
バイクが転がり、金属音が響く。
周囲が静まり返った。
それでも誰も近づかない。
あの奇妙な“空気”だけが、まだ街を覆っていた。
女は立ち上がり、軽く息を吐く。
長い黒髪が夜みたいに揺れた。
「ふぅ……めんどくさい現象に巻き込まれとるね」
「は?」
彼女はゆっくりと俺を見た。
灰色の瞳。射抜くような視線。
「芹沢セラ。探偵」
「た、探偵?」
「今、あんたも“反転”されかけとった」
「反転……?」
「思考が逆さまになっとったろ。“助けたい”が“無視しろ”に変わっとった」
俺は言葉を失った。
確かに、あの瞬間、体が動かなかった。頭では“助けたい”と思っていたのに、足が逆に固まっていた。
「一体、何が……?」
「質問は後。あんた、こっち来んね」
セラは俺の腕を引いて、バイクの男に近づいた。
倒れて呻いている男の目は、どこか焦点が合っていない。
「……逆流の残留波が強い」
「何言ってんですか?」
「一部の人間だけが使える“力”や。
この世界で1%にも満たん、選ばれた異常。
思考を、逆さにできる」
セラはそう言って男の額に手をかざした。
彼女の指先がわずかに震え、周囲の空気がぴんと張り詰める。
次の瞬間、遠くで誰かが息を呑む音がした。
通行人たちが、ゆっくりと正気を取り戻していく。
「あれ……何してたんだ、俺……?」
「バッグ……? あの人、捕まってる?」
セラは腕を下ろし、深く息を吐いた。
「終わり。とりあえず、今はね」
「今は……って?」
「この現象を引き起こしたのは、こいつやない。
“思考を逆にする”力は、触れた者に波のように伝染する。
この男は、その波の一部を受け取っただけや」
「じゃあ、本物の犯人は?」
「どこかにおる。……まだ、近くにね」
セラは空を見上げた。
街灯の光が彼女の瞳に反射する。
その目は、遠くを見るようで、どこか深い闇を見つめていた。
「どうして、そんなことが分かるんですか」
「勘。――と、経験」
「経験?」
「……昔、似た現象を見たことがあるけん」
彼女の声には、一瞬だけ微かな震えがあった。
警察のサイレンが近づいてくる。
セラはコートのポケットから名刺を取り出し、俺に差し出した。
「高原悠真くん、やったね?」
「な、なんで俺の名前を」
「さっき落としとった学生証。拾っとったけん」
俺が返事に詰まる間に、彼女は背を向けた。
「明日、事務所来んね。“音無探偵社”――表向きは普通の探偵やけど、警察の裏仕事もしとる」
「は? いや、俺そんなつもり――」
「見てしまったやろ。あんた、もう普通の世界には戻れん」
その言葉が、妙に現実味を帯びて胸に残った。
サイレンの音が近づく。
セラは歩きながら、ふと振り返った。
「それにね、あんた、面白いわ」
「面白い?」
「“逆”にされかけても、完全には呑まれんかった。
……そんな人間、滅多におらん」
それだけ言って、彼女は夜の雑踏に溶けていった。
後に俺は知ることになる。
――あの時、確かにこの街では“反転”が始まっていた。
そして、芹沢セラという女が、どんな闇の中でその力と向き合っていたのかを。
次回から倍くらいの長さで投稿していきます




