Nullに帰す
コンビニのイートインコーナーは、蒸し暑くて不快な臭いがした。床が不自然にツヤツヤしていて、つい最近ワックスをかけたらしいことが見て取れる。
ビットさんは口を開いた。
「オレらの集まりはさ、もとを辿れば親と相性悪くて辛いって愚痴ってたSNSのユーザーの相互フォローなのね。四駆さんは最年長でね、今で言う虐待サバイバー。」
その言葉を聞いて思い出す。左手の甲の歪な傷のあと。あれは、そう、確か。
「四駆さんでしたっけ。箸の持ち方間違うとつねられるって」
「そうそう!思い出した!?」
ああ、そうだった。四駆さんの母の話。四駆さんの生活は常に親からの間違い探しと、間違いに向けられる体罰の繰り返しだったこと。
躾だと四駆さんの母は言ったという。それは食器の使い方が悪いときに血の滲むほど四駆さんをつねることであり、疲れた親を労らない息子を大声で責めて頭を殴りつけることであり、勉学の不出来に対して頸を絞めて危機感を持たせることであったと。
四駆さんが体験したそれは、私がまさに親からされていたことと同じだった。そうして親である彼らは自分が何をしたかは都合よく忘れ、自分がどういう恩を子供に施したかはしばしば誇張して他人に自慢した。
「オレも似たような感じで、2番目の親父に殺されかけたのネットで愚痴吐き散らかしてたら、四駆さんと、ゴッスンを見つけてさ。四駆さんは特に、優しかったよな。」
「四駆さんて、毎回みんなのこと励ましてましたよね」
四駆さんは仲間内でも最年長だった。ネットの技術にも長けていて、自分に何の得もないのに、SNS上で集まった仲間を四駆さんお手製の小さな掲示板に招待して、管理人としてつらい現実を吐き出す場を用意してくれた。
およそ1年、私たちはそうして受けた傷を絆に変えて互いに励ましあっていたのだ。
「で、さ。サイト閉じたじゃん?四駆さん亡くなってさ」
ビットさんの言葉で、思い出に浸っていた私は現実に引き戻される。
「突然でしたよね、四駆さん」
「ホントな。良い人だったんだ、だからいつか四駆さんは報われるってオレは勝手に思ってた。でも違った。」
ビットさんは遠くを睨みつけるような目をした。
「大動脈解離って。そんなことあるのかよって。アレってすごい痛いらしいんだ。ゴッスンにオレが葬式に行ったときの話したっけ」
「いえ、まだ」
「棺のなかに四駆さんの体が寝かされててさあ、手が隠されててさ。オレもよせばいのに、花ちょっとよけて四駆さんの手見ちゃったんだ。爪がさ、無いんだよ。苦しいからあちこちかきむしったのかなぁ、それが忘れられなくてさ」
言葉に詰まる。探しても探しても、正解のあいづちも返答も見つからない。ビットさんは苦しそうに息をして、言葉を続ける。
「ゴッスンを責めてるみたいに聞こえるよな、ごめんな。でも、忘れてほしくないんだよ。」
ビットさんの声は震えていた。
「四駆さんの立てた掲示板のこともさあ、閉鎖されて、閉鎖された跡地ももう表示されないんだよ。SNSの仲間も更新止まってるし、そもそもだいたいのメンバーもういないんだ。死んじゃったやつもいるし」
「オレわかんなくなっちゃったんだよ、あの時みんなでキツいよなって、お互い励まし合ってた時間もホントのことだったのかなって」
電子の海でNullの廃墟と化したのは、単なる過去の発言や、個人サイトではない。少なくとも私たちにとっては、つらい現実に抗った証そのものが消えていっている。そのことがビットさんにとってはどうしようもなく辛く悲しいのだろう。
「で、そんな時にゴッスンのブログ見つけたんだよ。ゴッスンは覚えてるだろうと思ったら、ゴッスンも名前以外だんだん忘れていってる」
返す言葉も無かった。いくら私が虐待の後遺症で健忘があるとはいえ、いつかつらい現実に立ち向かった仲間のことも、そのほとんどが忘却の彼方へと消えている。ビットさんがコメントをくれて、DMで会おうと言ってくれなければ、思い出すこともなかったのだ。
「多分オレらも二度と会わないだろうけどさ。四駆さんのこととか、みんなと頑張ろうって言ったこととか、忘れたくないんだよ」
ビットさんはほとんど涙声でそう締めくくった。
「ビットさん、またオフ会でもしませんか。そしたら、普段忘れていても、また思い出せる時が来ますよ」
「いや、ダメなんだオレ」
「どうしてですか?」
「オレ、病院で肺がん見つかってさあ。5年後生存率30パーセントなんだって」
頭が真っ白になる。四駆さんが倒れてから、支えを失ったように自死を選んだ仲間たちがいた。自死と断定できずとも、一人暮らしのアパートの1室で瓶4本ものウオッカを飲んで吐瀉物で窒息し還らぬ人になったメンバーもいた。
「ビットさんまでいなくなったら、もう私しか!」
「そうだよ。もうじきゴッスンしかいなくなるんだ。だから、頼むゴッスン、ゴッスンだけはみんなのこと、覚えててほしいんだよ」
あまりにも。あまりにも重すぎる話だった。たまたま生き残ってしまった人間が、今はもういない人間が生きた証を示し続けなければならないという。それは、正当性や理屈の届かない、いつかいなくなる人間が後に託すひどく身勝手な遺言だった。




