廃汗
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーちゃんは、自分の汗が口に入っちゃった経験あるかい?
汗はもともと無味無臭。もし臭いがしたり、味がしたりする場合は、身体の中のミネラルや肌の雑菌などが関係しているのだという。
これらの目立つものが出ている場合は、おおむね身体のコンディションがよろしくない場合だと聞くな。身体から出すものによって、その個体の調子をはかるというのは生物学的にも大事な手順だ。
いまだ研究が止まらない分野。私たちもまだ理解しきれていないことも多い。ときには広く知られてはいないレアなケースも起こり、対応せざるを得ないときもあるだろう。
汗に関するエピソード。こーちゃんもすでにいくつか知っているとは思うが、そこにもう一品、付け加えてみないかい?
私たちの地元だと、「廃汗」と呼ばれる現象がまれに報告される。
廃の字は、単に身体の外へ放り出されるものという意味にとどまらない。やめる、なくす、使い物にならなくなる……もっとも、最後はどの目線で見て、使い物にならないと判断するのか、という点があるが。
廃汗の判断は、かいた汗の味と臭いが第一だが、もしも条件に合う場合はそれより先が存在するんだ。
第一の判断について話そう。
汗をかいたとき、ぺろりとそれをひとなめしてみたとき、廃汗の場合は鼻とのどの奥へ突き抜けるような、清涼感が粘膜を刺す。ガムなどのお菓子で、その手の感覚が得られるものは多いが、それのいっとう強いものだ。
それでいて、かもされる香りは、刺激からイメージされるミント系とはほど遠く、火であぶった焼肉のごとき食欲をそそる脂のものが、鼻腔を席巻する。
そのアンバランスさゆえに、廃汗の可能性に気付くのは簡単なんだ。そう判断したら判断は第二段階へ移行する。
リトマス試験紙だ。廃汗にそなえて、地元のどの家でもこの試験紙は常備されており、廃汗の気があるならばその汗をリトマス試験紙にくっつける。
すでにご存じかもしれないが、健康的な汗は酸性、不健康的な汗はアルカリ性となる傾向がある。詳しい内容はここでは割愛するが、もし廃汗であるならばそれは高濃度のアルカリ性を提示する結果となるんだ。
この二段階の確認によって廃汗が出ていると分かったならば、すみやかに行うべきことがある。それはレモンを携えて、各地で指定されている避難場所へ向かうことだ。
地元では有事の広域避難場所が指定されており、災害の際はそこへ避難することになっているが、廃汗の場合もそこへ向かう。多くは標高が高めのところになるな。
そこにたどり着いたら、レモンをしっかりと身体にこすりつけていくんだ。服は脱がなくてもいいが、その状態で届く顔や四肢のそこかしこへ、香りがしっかりしみ込むようにね。
廃汗は身体の異常を示すものではない。むしろ、身体機能が正常に働いていることを教えてくれるものだ。
身体のうちへ入ってくるもののうち、取り入れるべきでないものを即刻追放する。その仕事を果たしてくれているのだと。
私自身が廃汗を体験したときを話そう。
15歳の夏ごろ、私はそれを初体験した。小さいころから、まれに友達などが廃汗を出したと聞いたことはあったが、自分がその身になるまでは、いまひとつ実感がわかずにいたからねえ。
小さいころから教え込まれたように、私は避難所まで来てレモンをこすりつけ始めた。
親をはじめとする、他の人はいない。廃汗は先にも話したように、取り入れるべきでないものが外へ押し出されている状態。処置の最中にそれらが「うつされる」のを避けるためだという。
どれほどこすればいいかは、レモンの状態によって見分ける。
廃汗が出ている間は、レモンの表皮はどんどんとこげ茶色に汚れていくんだ。その色は炭や傷みを思わせる不快なもので、あの肉を焼いた香りのようなものも漂ってくる。
そいつを地面や近くにある草木などへ、こすりつけていく。すると、彼らはどんどんそちらへ移っていくから、元の黄色い肌に戻ったレモンを自分の皮膚へ擦っていく。これをレモンの変化が見られなくなるまで続けるんだ。
途中、勢い余って皮が破れてしまうこともあるかもしれないが、かまわない。中の果汁でびしょ濡れになろうとも、ためらうことなく継続していかねばならないと教えられるからね。
私のときは皮を破り、果肉の半分ほどが削れるくらいになってようやく収まった。
そうして仕事を終えたレモンとともに帰宅。そこから24時間は風呂に入ることを避け、身体を強く拭うことも許されない。
レモンによる効力が、なくなるのを防ぐためだ。自然乾燥に任されることになる。きちんと言いつけを守っていれば、廃汗が出ることはなくなる。再発するか否かは、個人差もあるようだがね。
実際、この廃汗を拭うこと、拭わないことでどれほどの差が生まれるかは分からない。
だが、廃汗が出なくなる者に共通するのはそれらが高齢者や病人などであること。そして彼らはそう遠くないうちに、息を引き取ってしまうということなんだよ。