第15章:ユリ / 光のない都市を
冷たい空気が、頬を打つ。
人工空調の循環音も、ホログラムの反射もない。
ここは、仮想境界の外。
“無名域”と呼ばれる場所。かつての都市の周縁部、開発計画の廃棄と再構築の果てに遺された、“管理されない世界”。
足元にはヒビ割れた舗装。金属の腐食臭と、乾いた風。
遠くで、機械の軋むような音がした。けれど、それ以外に音はない。
光源のほとんどは途絶え、上空には星の代わりに廃棄された気象ドームの残骸が浮かんでいる。
「……こんなとこが、都市の外にあったなんて」
コハルが目を丸くしていた。恐怖と好奇心がないまぜになっている。
「ここ、“昔の人”が住んでたところ?」
「たぶん。秩序戦の前、まだ人が“自由”を信じていた時代」
私は呟く。
この場所の空気はどこか懐かしかった。機械の制御が行き届かない、すべてが不安定で、それゆえに人間的な空間。
それが、胸を締めつけるほど愛おしく感じられた。
◆
廃ビルの影に隠れながら、私たちは廃棄ヤードで見つけた旧式のタブレットを起動する。
リキが、念入りに外部干渉装置を設置していた。
「ネットワークには接続できるが、監視網を抜けるには時間がかかる。三十分はかせげる」
「上出来だよ、リキ」
彼は口を噤んだまま頷いた。
けれど、その手の震えがすべてを物語っていた。
無口な彼は、言葉ではなく、行動で不安を押し殺すのだ。
「ここからどうするの?」
コハルの問いに、私は空を見上げた。
「今は……ただ、記録を探す。あの学園が“何を目的に子供たちを管理していたのか”。
それが分からなきゃ、外に出ても、また誰かが“閉じ込められる”だけだから」
そのとき、トウマがタブレットの画面を指差した。
「これを見ろ。“第零端末”という項目がある。開発初期の教育制御プログラム……初期化命令を含んでいる可能性がある」
「それって……」
「逆に言えば、これが暴かれれば、あのシステム自体が崩れる」
私は拳を握った。
「じゃあ、やるしかない。ここまで来て……戻るつもりはないんだよ」
コハルも、小さく頷いた。
「うん。私も……もう、あんな檻には戻らない」
◆
その時だった。足音がした。しかも一人ではない。
私たちは身をひそめる。
廃ビルの曲がった窓から覗いた先――
そこには、信じられない人物が立っていた。
白川ナナセ。
そして、その背後に立つ数人の影――黒い戦闘服をまとった、都市警備局の特殊部隊。
「まさか……どうして……!」
トウマの顔が凍りつく。
ナナセは彼を見ていた。まっすぐに。
だが、その表情はいつもとは違った。冷たい仮面ではなく、何かを決意した人間の顔だった。
そして、ナナセが口を開いた。
「……逃げなさい。今のうちに。私が時間を稼ぐ」
「え?」
「トウマ。私は“母親”として、あなたを閉じ込めることはできない。……もう、私の役目は終わったの」
その言葉が、空気を震わせた。
「行けッ!!」
ナナセの声が響いた。
彼女の手には、小型EMPランチャー。次の瞬間、特殊部隊の装備が一斉にダウンし、光の嵐が廃ビルを包んだ。
私たちは、何も言えず、走った。
誰も涙を流さなかった。
ただ走った。
この、世界の果てにあるかもしれない“真実”へ向かって。