第14章:トウマ / 境界の計算式
仮想境界――それは都市を取り巻く見えない壁。
電磁波、心理誘導、空間認識の錯誤を誘発する複合技術によって形成された、“目に見えない檻”。
都市の人間の9割は、その存在すら知らない。
境界を越えようとする者は、精神に異常をきたすよう設計されている。
それを破るには、三つの鍵が必要だ。
1.境界にアクセスする旧式中継端末。
2.境界の位置情報と構成データ。
3.誘導信号のパターンを書き換えるアルゴリズム。
それらすべてが、今、私の膝の上の端末に揃っている。
母が、ナナセが……犠牲を覚悟して繋いだ時間の中で。
私は、震える指を抑えながら入力を続ける。
コードの隙間から漏れ出す“恐怖”を、計算と理論で押し込める。
if signal_freq == [137.2, 142.8, 149.0]:
def rewrite_pathway(index, signal):
return inverted(signal) * index_coefficient
「この程度……できる。できるさ」
呟く声が、かすかに掠れているのは気のせいではなかった。
◆
ユリが横に座る。肩越しに私の画面を覗き込みながら、静かに言った。
「トウマ、ナナセ先生のこと、やっぱり……」
「……母親だ」
私は遮らなかった。
言葉にすることで、ようやく自分自身が認められる気がした。
「本当は、ずっと前に気づいてた。僕の血液型は、施設登録と違っていた。記録された出生地も嘘。
教官としての彼女と接するたび、細胞が記憶してる感覚があった」
「どうして、言わなかったの?」
「言えなかった。……拒絶されるのが怖かったからだ。
それに、ナナセはいつも“教官”として生きていた。個人の感情を見せることはなかった。僕のために、ずっと」
コードが走る音が重なる。ユリが手を握った。
それだけで、ずいぶん熱が戻ってきた気がした。
「……僕は、間違っていたよ。ずっと、計算だけで人の心を推し量れると思っていた」
「違うんだ?」
「違う。母は、計算では割り切れない決断をした。命を投げ出して、僕を守った。それを、僕は……許されるだろうか」
「許すかどうかは、トウマじゃなくて、先生が決めることじゃない?」
ユリの言葉が胸に刺さった。けれど、それは痛みではなかった。
感情という名の回路が、久々に“通電”した音がした。
◆
画面の最終行に、“Rewrite Successful”の文字が点滅する。
成功だ。
仮想境界のコードに、侵入ルートを確保した。
外部ネットへの幻影の突破口が生まれた。
あとは、そこを通る勇気だけ。
「行ける……ユリ、準備は?」
「こっちは完了。リキとコハルも、すでに先に向かってる。あとは、トウマだけだよ」
私は息を呑む。
母の声が脳裏で反響する。
“あなたの進む道を、私は信じる”
コードでは証明できない信頼。
理屈ではない温度。
それを、私は今、手にした。
「行こう。……必ず、戻って迎えに来る。ナナセに、“息子として”」
仮想境界の“穴”が、脳内のノイズを掻き乱すように揺れていた。
だが、その向こうには自由がある。
私は、ユリと手を取り、そこへ──足を踏み入れた。