Scene.8「橋」
2年前の春。10代最後となる年のこと。
一浪してもことごとく大学不合格。さすがに勉強はうんざりだという思いから、N駅近くのコンビニエンスストアでアルバイトの面接を受け、採用。
両親に何だかんだいわれる前にとにかく意思を示しておこうと、3月の最終週には働きはじめていた。そこで僕の次に新しい、入って数カ月の先輩が近藤結那だった。
色白、僕の肩くらいまでの小柄な背丈でいて金髪のショートカット。切れ長な瞳は何より大人びた印象があり、僕は周りのスタッフの中でも特別緊張。ただ話してみるとかなり気さくで、誰より早く打ち解けていた。
いつのまにか「ハネちゃん」と呼ばれるころには基本的な仕事ができていた。数日経ち、雑談の中でひとつ年下だとわかったときはかなり衝撃的だった。
それからまもなくの4月中旬。
雑貨に特化した別館を新店舗としてオープンすることとなり、シフトをフルで希望していた結那と僕が配属。兼任の店長と数人の社員がたまに顔を出す程度で、日中は基本2人で回すように。
どちらかが休みのときは、カウンター奥の小スペースで取る休憩を含めてたったひとり。
一日の売上が7、8万円程度なのでしかたなかったとはいえ、結那は早い段階から「防犯上、どの時間帯にも最低限2人入れるべき」としきりに訴えていた。
僕はただ結那といられるだけでうれしいと賛成し、一緒になって陰口をいいあっては思わぬ事態が待ち受けていた。
働きだしてからまだ2カ月も経っていない5月の終わりごろ。
僕は休みで、閉店30分前を見計らって入店。たまたま寄ったからという風に、もしよければ食事に誘ってみようと考えていた。
けれどレジにいたのは店長だった。
僕はバツが悪い顔を瞬時に隠して挨拶。すると間髪入れずに、
「あれ、羽田くん。今日はどうしたの?」
店長も何やらいつもと違う表情だったのを僕は見逃さなかった。
「いえ、今日はたまたま近くへ買い物をした帰りで……」
無難な返しに特徴的な片方の鋭利な八重歯を見せて笑う店長。
僕も遅れて頬を緩めたものの、何だかわからない重たげな空気をすでに察知。端的に表現すれば「仕事でもないのに何しに来たんだ」という歓迎しない意思が含まれていたためだ。
それが的外れでないと確信したのは、本来まだ仕事のはずの結那がバックヤードで帰り支度しているのを視界に入れたときだった。
そのころにはすでに僕らはほぼ同じ時間をかけて自転車で通っていたのもあり、帰りは一緒に帰る仲。だから、一瞬見えた後ろ姿だけでも何かあったと理解。
僕は明らかな違和感を、気づいていないようにさりげなく、
「シフトを確認しようと思って。そういえば来週なんですけど……」
僕が来たことによってますますこじれては忍びないとしてやり過ごす。
あくまで結那に用はなかったとして早々に店を出る。そしてそのまま帰ると見せかけて、本人から直接事情を聞こうと決意。
自転車で店の前を横切ってから向かい側に渡り、店がギリギリ見える距離まで離れてから脇に止め、出入り口を見つめる。
しばらくすると、結那は一見いつもと変わらない様子で店を出てきては自転車のロックを解除。ハンドルを掴んで横向きにしてはすばやく乗り、僕と同じ道順でだんだんと近づいてきた。
スピードがついていて、あわや僕を通り過ぎてしまうのではとヒヤヒヤしたものの気づいていたらしく、目の前で急ブレーキ。
僕がひと声かけても反応せず、さらにうつむいてしまう。初めて目にする、今にも泣き出しそうな顔。いや、涙は流さないまでも、平然とはとうてい思えない。
「近藤さん、何かあったの? 店長にイヤミでもいわれた?」
僕の問いに対し、わずかに首をふるも無言。しばらくの沈黙を経てから互いに自転車を押し、並んで歩きはじめる。
交差点を2つ過ぎたあたりから結那はポツリポツリ言葉をつなぐ。僕はひと文字すら聞き逃さないよう丹念に聞いてはしっかりうなずく。
本来は2人で軽やかに乗って帰るはずだった自転車を引きずったまま夜道をとぼとぼ歩き続け、ようやく野川橋まで辿り着く。
結那はいくらか落ち着きを取り戻していた。
いつもなら橋のたもとですぐにバイバイとなるはずだけど、自転車を邪魔にならないよう脇に置いて話を最後まで聞く。
片道二車線の大通りは時間帯的に一番通行量が多く、チカチカとしたライトが左右からひっきりなしに行き交っていた。
しばらくすると車も少し減り、もともと暗かった歩道が寂しさをまといはじめる。
等間隔の外灯が人の気配を消そうとばかり、広い路面に煌々と光を放ち続ける。Tシャツ1枚では肌寒くなるほど僕らは長く話し込んだ。
結那は働きはじめてすぐに、金髪の出で立ちと目上の人にも敬語を崩す独特な話しかたから生意気とレッテルを貼られていたらしい。
実際黒髪にするよう何度か注意を受けていたけれど、一向に直さないのと連日の遅刻、さらにはここ最近ひとり訴えていた勤務体制改善という“反抗”は、クビと判断するに何の議論のないものだった。
「そういうこと。だから……」
結那は何度目かというため息を短く吐いてはその日初めて僕に笑顔を向けた。
いつもの調子を取り戻していたものの、すっかり腫れ上がった瞼と紅潮する頬。あえて隠さず見せる結那に、僕は不謹慎ながら惹かれてしまった。
その気丈さは心配無用といいたいのだろうけど、どうしたって強がりにしか見えなかったからだ。
健気な結那の、奥底まで沈んだ気持ちを何とかしてあげなければと僕は切に願った。でもそのときは「あんな店長のいうことなんか……気にしないでいいからね」と伝えるだけ。
翌日から結那の姿を見ることはなくなった。
わかりきっていたはずなのに、僕は数日働いてからだんだんと実感してゆく。
1週間、1カ月、気づけば半年経ち越年。
丸1年、あっという間に過ぎ去った。
その間僕の心には、とてつもない後悔の念が深く刻まれてゆく。
あの日、もっと大事なことをいうべきではなかったか。
僕が芽生えていた気持ち。
結那ともう少し仕事を続けられた上ではっきり自覚し、言葉としてできあがっただろう想い。
結那を介抱することだけで精一杯だったのはあるし、落ち着いたときにあらためて話せばいいと思ってしまった。
まさか二度と会えなくなるなんて、あのときはどうしても考えられなかったのだから。
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