Scene.1「偶然」
「すみません。S駅までどう行ったらいいか、教えてもらえますか?」
どれくらい前からか、しばらく考えごとに集中していたため、僕は相手が目の前まで来ていることにまったく気づかなかった。
驚きは隠しつつ、投げかけられた質問をもう一度頭で反芻しながらゆっくり顔を上げる。
日中の暖かさを少し感じはじめるようになった春先。雲間から時折姿を現す太陽は、遅めのランチを食べ終えた後のデザート待ちといったところ。
声色だけであまり年の差がないと感じたのは、フリーターとして日々耳にする接客業の成果。ではなく、同い年のスタッフでたまたま似たような声を耳にしていたことによる単なる勘。
魅力的な声という以上に、胸に染み渡る独特な心地よさがあった。
特にこの数時間は潜在的に欲してしまっていたかもしれない。自分ひとりではどうしたって解決できない問題だから。
見ず知らずの人とはいえ、とにかく突然話しかけられたことによる不快な気持ちはまったくなかった。
いきなり怪訝な顔をしない、というか腹を立てていたとしても表情にはできないお人好し過ぎる性格の僕。正直いうと、ひと目見た相手の容姿がなおさら無礼が許されないほど整っていた。
しっかりした眉のラインを含め、全体的にナチュラルメイク。
髪は肩にかかるくらいのショートボブ。毛先は軽く内側に跳ねたダークブラウン。
相手の緊張や不安を軽くさせようと、僕は口角をわずかに上げて見せる。反応があったことで、女性は開いていた口を閉じる。
話しかけられたからといってジロジロ見るのは失礼だけど、僕はある程度の言葉を喉元に控えさせつつ視線を上下。こちらとしてもしっかり答えられる落ち着きを確保するため。
彼女の第一印象でまず気になったのが服装。目尻まで綺麗にわかれた二重瞼だったり、ツルンとした顎のラインでもなかった。
美しいデコルテを強調するようなVネックの淡いブラウスと、軽やかに羽織るグレーのカーディガン。
近くへ出かけるくらいの着の身着のままにしてはどことなく華やかだし、これから街へくり出すにしては全体のコーデが薄手。どちらにしろ質問と矛盾する。
そしてほんの少しだけ、焦燥した様子。
僕に声をかける直前まで、いや、少し前から道に迷っていたのだろうか。もしかしたら走っていたかもしれない。
頬はチークのせいだとして、顔から首筋にかけて露になっている肌は心なしか上気。呼吸は乱れを抑えているようにも感じた。
対面から数秒にして、まだ僕が言葉を発する前から、そんないくつかが頭にインプットされてゆく。
当たりさわりなく会話を終えるにしても触れずにはいられない違和感が、着実に僕の心を埋めはじめている。
花曇りの空。
風は冷たいけれど、吹き続けることなくおさまる微風。多摩川からの分流、川幅は道路二車線ほどの野川橋のたもと。
僕は返事の言葉とともにある推察がぼんやり浮かんできた。
おそらく彼女は今日、何らかの用事で初めて出向いてはみたものの道に迷い、たまたま僕を見つけて駆け寄ってきたのだろう。
僕はというと、これから橋を渡るつもりではいた。ただ実際は手前で立ち止まっていた。時間的にはとっくに渡り終えていいくらいに。
何しろ僕のほうこそ、のんびり家でくつろいでいる中、ふいに舞い込んだできごとからいても立ってもいられず飛び出してきた状態。
貴重な休日をたいしたこともせずゴロゴロして終わるよりはよかったかもしれない。けれどいざ橋を目の前にして、しばらく動けずにいた。
橋を渡りきってからすべき行動と、起こりうるいくつかの場面を想定。その中で今抱えている気持ちをどう表現するのが最もよいかということだけをずっと考えていたからだった。
そんなときにいきなり声をかけられ、僕の思考回路は一時的にスリープ。
とりあえず僕は……
A.聞かれたとおり、S駅までの道のりを教える
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B.どうしてS駅に行きたいのかを聞いてみる
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