ライカは最終奥義を放った!
「よかった」
その言葉に一番驚いたのはフォーン伯爵だった。
「……レティ?」
「だってそうでしょう? お父様から愛されていたことがやっとわかったのですから」
「だが、私は!」
「それで充分なのです」
レティシエントが片膝をついた。
──来るか。
理性より先に、本能が察知する。
「愛があればそれで充分。それだけでいい。今まであった嫌なことも、これから起こるつらいことも、愛さえあればどれだけだって耐えられます。だってこんなに嬉しいんですもの」
立ち上がる。笑っている。
少女の身体から発せられる剣気は、先ほどまでの弱々しさをすっかり消し去っていた。
純度と苛烈さを増していく様は炎に薪を焚べるかのよう。思わず身震い、否、武者震いするほどだ。
冷や汗が首筋を伝う。寒気が全身を包む。手は勝手に剣を握り直すし、口角は自然と吊り上がる。
なんてこった。これは捨てたはずだったのに、自分から戻ってきやがった。
「わたくしは変わりません。お母様の背中を追い、お父様の期待を背負う生き方を変えません。全てを呑み下し、前へと進み続けます。そんなふうに生きることは、許されますよね? お父様」
「お、おまえ自身がそれを望むなら……。しかし、本当にいいのか?」
「何がです?」
「おまえには私を裁く権利がある。どんな裁きだろうと私はしかと受け入れるつもりだ。いっそこの場で斬り捨ててくれても構わない。それ以外でも望みがあるならなんだって聞こう」
「あぁ……でしたら、一つだけ」
レティシエントは人差し指を立てた。
「長生きしてください。できればわたくしが〈剣王〉になるまで。じゃないと死ぬまで許しません」
「…………」
唖然とするフォーン伯爵。病に負けず長生きすること。それがレティシエントの提示した裁きだった。
「お嬢様……なんとお優しい……」
それに涙を流したのはセバスさん。二人を一番間近で見てきた人だからこの和解がすこぶる嬉しいのだろう。騎士団長さんや周りの騎士も涙ぐむような仕草を見せている。
この器の大きさが慕われている理由なんだろうね。
「あ、それともう一つ! ライカがわたくしたちに働いた無礼をお許しくださいませ」
「はぁ?」
思わず声をあげてしまった。
「いやいやいや、それはさすがにお人好しが過ぎるでしょ。私結構な悪事をしたよ?」
伯爵令嬢を痛めつけたり伯爵本人にタメ口を聞いたり。この時点でほぼ確実にレッドカードだと思うけど。
「そんなことありませんわ! 貴女が追い詰めてくれたからこそわたくしたち親子はこうして分かり合うことができたのです。これはそのお礼ということで」
さらに人の良さそうな笑顔を向けられる。
私は内心ドン引きする。
「あんたってそういうキャラだったんだ。今までが今までだからちょっと信じられないな」
「わ、悪いとは思ってますわ。貴女にもアルセラにも……。でも、ああいう態度を取ってないと頭がおかしくなりそうでしたの。本当はアルセラと戦ったあとも普通にお見舞いに行きたかったのですけれど、そうするとお父様に怒られてしまいそうで……」
「『罪人に情けをかけるとは何事だ!』って?」
「そうそう、そんな感じですわ! お顔もそっくり!」
「フォーン伯爵……あんたさぁ……」
「め、面目ない」
このおっさんは事あるごとに怒鳴り散らしてきたようだ。結果、レティシエントは怒られることを極端に恐れるようになり、自衛の手段として父親の振る舞いを真似し始めた。つまり、レティシエントはフォーン伯爵のコピーでもあり、フォーン伯爵はヴァンキッシュ領を救わなかったことに加え、娘を介するという形でもアルセラを傷つけた。まとめればそういうことになる。
やっぱりこのおっさんダメダメだわ。まるでダメなオッサン、略して……いやこれはよそう。
「ま、人間、得手不得手ってもんがあるしね。子育てには向かない性格だったってことでいいんじゃないの。あんたがそれで納得できるなら」
「ふふ、おかげさまでね。でも統治者としては優秀なんですのよ?」
そう言っていたずらっぽくウィンクしてくる。毒気が抜けたせいか、普通に可愛いって感じだ。
「それは私もそう思う」
統治者として優れていることは町を見ればわかる。
この町は治安もいいし、ご飯も美味しいし、何よりみんなが幸せそうに暮らしている。多少の問題はあるのだろうが、私はこの町にきてそういう印象を受けた。
それと同様に、子供を見れば親としてはどうかがわかる。
高圧的で、持論を振りかざして人を傷つけ、過去のトラウマを理由に本心を曝け出せない臆病さがあり、たまにヒステリックな頑固者。
うん、ひどいな。だが領民にはこれらを帳消しにできるくらいの手腕を見せてきたということだ。もしマリアンヌさんが生きていたのならフォーン伯爵は完全無欠の統治者になっていたかもしれない。
そして、真っ当に育てられたレティシエントは、おそらく今の私よりも……。
「さて、やるならそろそろやろうか」
いつまでもダラダラと時間を浪費するのは性に合わない。レティシエントはその剣気で私の期待を掘り起こした。それが黄金か、あるいはただの石ころか、見極める時だ。
「ライカ。貴女には本当に感謝しています。あとでアルセラにも謝りますから、わたくしのこと、許してくださる?」
「許さないと言ったら?」
「そうですわねぇ。でしたら──」
ゴ ウ ッ ッ ッ ッ ツ ! !
「────!?」
一気に爆発した金色の炎。それはもちろん剣気が見せる幻覚だが、本当に熱いと錯覚してしまうほどの凄まじい迫力を有していた。
さらに勢い余ってポニーテールがほどけ、緩やかなウェーブがかかった長い金髪もまた、炎のごとくゆらめいて立ち昇る。
「剣でお詫びとさせていただきますわ」
「……あは」
許した。
全部、許した。
というか、他の全てがどうでもよくなった。
あらゆる雑念が焼却処分され、細胞の一片に至るまでが臨戦態勢を取る。頭の中がスパークし、戦闘本能が揺り起こされ、私はかつてない集中状態へと移行する。
眼前の敵は強大だ。辺り一帯を焼き尽くすような剣気に加え、漠然と感じられるだけだが、私の知らない他の力も纏っている。おそらくはこの感覚が魔力による圧なのだろう。《飛竜剣技》に使われていた魔力が、今は別の運用をされている。
剣気と魔力。これら二つが金色の炎の正体。私が直感し、期待し、渇望したレティシエントの真の実力。
やっと出てきた。
やっと戦える。
こんなに嬉しいことはない!
「さっきはこれまで通りお母様の背中を追うと宣言しました。けれど、一つだけ付け加えます。わたくしは〝わたくしのやり方で〟お母様の背中を追いますわ。このスキルを解禁したのは、その誓いを証明するためと、貴女への贖罪を遂行するためです」
「レティ……これがおまえの本当の……」
「お父様から受け継いだスキルですわ。本気で使うのは生まれて初めてですから周りにどんな影響が出るかわかりません。セバス! お父様をわたくしから離れたところに移して差し上げて!」
「はっ、かしこまりました!」
フォーン伯爵がセバスさんと騎士団長さんの手によって試合場の隅へと移送される。他の騎士たちは戦いの余波をフォーン伯爵が受けぬよう、彼の前に一列に並んで盾となった。
その様子を私たちが見届けたのち。
レティシエントの出力がさらに上昇した。
「おぉ……!」
「これで手加減する必要はなくなりましたわ。もっとも、そんな細かな調整なんてできないのですけれど」
獰猛な笑みは健在。眼差しは信念を感じさせる強い煌めきを宿している。もう試合が始まる前とは別人だ。レティシエントは進化した。親からの愛を確かめ、心の在り方が変わったことで。
「うふ、うふふふふ。あははははははははは! いいねぇ、素敵だ! あなたのこと、好きになっちゃいそう!」
「それは光栄ですわ」
「せめて二回は攻撃してよね! こんなの一回じゃ味わい尽くせないよ!」
「善処しますわ。ついでに、くっ──、このスキルの解説もいかがかしら?」
黄金の炎が不規則にサイズを変える。どうやら力を制御するのに手こずっているらしい。
ゆえに、この提案は時間を稼ぐためのブラフ。
内在する暴れ馬を手懐けるまでの余興だ。
「聞かせてほしいな」
だったら乗るしかないだろう。
「では手短に。このスキルは《覇王剣技》と言いますわ。魔力を消費した分、ステータスを上昇させるシンプルなスキルですが、《覇王剣技》は他のスキルと違い、使用者の攻撃力だけを上昇させます」
ふむ、だからレティシエントをアルセラから引き剥がそうとしたときやフォーン伯爵と打ち合ったときにパワーで勝てなかったのか。
「そして、この《覇王剣技》には上昇した使用者の力に武器のほうが耐えられなくなるという欠点があります。ただし、それは普通の剣であればのお話。耐久性に富んだ大剣なら十全に扱えます」
レティシエントは豪快に大剣を振り回してから構え、
「つまり、大剣と《覇王剣技》の相性は抜群ということですわ!」
金色の炎を拡大し、その揺らぎを安定させた。表情にも余裕が生まれていた。早いな。もうモノにしたのか。
「《覇王剣技》ね。よくわかったよ。それじゃ次は体感させてもらおうか」
「よくってよ。さぁ、お覚悟あそば──」
一歩、踏み込む。
その瞬間、本能が最大級の警鐘を鳴らす。
「せッッッッッ!!」
大地を砕いての進撃。それはもはや射出と呼ぶべきものだった。動き自体は直線的で読みやすいが、《覇王剣技》を用いたレティシエントの速度はその弱点をいとも容易く覆せるだけの超強化を叶えている。
加速の工程を省いて実際よりも速く見せる私の縮地もどきとは訳が違う。ただただシンプルに速い。ゆえに、がんばって反応する以外の対抗策がない。
それでも私はしっかりと『金剛』を発動した。ダメージは免れなくとも正面から受け止められる自信があった。『金剛』は四つの奥義の中で最も得意な技だから。
しかし、
ガ ァ ァ ァ ン !
重く鈍く激しく響く金属同士の衝突音。
それを聞きながら、私は試合場の端まで吹っ飛ばされた。背中を強く壁に打ちつけ、一瞬意識がトび、痛みで現実に引き戻され、うつ伏せに倒れる。
「はっ、あ、あっ、ぐぁぁあぁ……!?」
いっっっっっっっっっってぇっっっっっっっっっっ!!
なにこれ!? なんだこれ!? 死ぬ! 痛すぎて死ぬ! なんで身体が無事なんだ!? 水風船みたいに破裂したと思ったのに!
「はぁっ、はっ、は、ぐぅううう!」
だけど立ち上がれた! 戦闘中だからそうしなきゃと思って気合いを入れたら身体がちゃんと動いてくれた! そうか、痛みだけが貫通するってのはこういうことか! 身体の損傷自体はなかったことになるから痛みに耐えることさえできれば動けるんだな!
「ふぅ、ふ、はぁぁ……」
呼吸を整えろ! 痛みに惑わされるな! 落ち着け、落ち着け。よし、落ち着いた。
「いや、立ち直りが早すぎましてよ。普通は今ので気を失っていますわ」
「狂いかけたけどね」
冷や汗だか脂汗だかわかんないので全身がベタベタする。こんな体験、生まれて初めてだ。
「でもようやくまともなダメージが入りましたわ。……といっても、わたくしも限界なのですけれど」
レティシエントは自嘲気味に笑う。よく見ると腕も脚も震えっぱなしだった。手の皮がズタズタになったのか、剣の柄には血糊がべったりとついているし、刀身には微かにヒビが入っている。
「痛みへの耐性……ううん、精神力はあんたが随一だ。その調子であと一回だけがんばってくれるかな」
「易々と言ってくれますわね」
試合場の外でなら確実に死んでいたであろう攻撃を再度望む。それが頭のおかしい要求であることは自覚している。
でも、次はたぶんイケる。『金剛』では足りなかった。ならばアレを使うしかない。
「──はぁぁあアッッツ!!」
全剣気、開放。
身体能力を『気功剣技』によって可能な限り強化する。
幸い、ここでは痛みはあっても怪我はない。
だから身体がぶっ壊れる寸前、限界のほんの少し先、100%のさらに上まで踏み入る。
内側から噴き出す力に皮膚が裂けた。自壊を続けているので傷口は塞がらず、瞬時に蒸発した血が透明なはずの剣気に乗って赤いオーラを成す。
痛い。でも、さっきに比べればマシだ。身体も十分動く。
「な、なんですのそれは……!?」
「さぁね。なんだと思う?」
ネタバラシは後日してやるよ。私はあんたと違ってこの力の制御に手こずったりしない。
「意地悪ですこと。まぁ、いいですわ。お望み通りあと一回……全身全霊をぶつけさせていただきます!」
「今度はこっちもいくよ。──全力全開で!」
双方、構える。
赤と金の剣気が私たちの間で先んじて火花を散らす。
終わる終わる詐欺はもう終わりだ。
これで本当に決着をつける。
「だッッッ!!」「やぁぁぁぁっ!!」
始動は同時。激突までは一秒にも満たない刹那。
レティシエントは一刀両断の勢いで斬り込んでくる。
対する私が繰り出すのは、お父さんが完成させられなかった『気功剣技』の最終奥義。
その真髄は四つの奥義の同時発動。
すなわち。
『烈火』の連撃。
『流水』の軌道。
『疾風』の緩急。
『金剛』の制動。
各奥義が持つ特性を過不足なく組み合わせることにある。
無数の斬撃によって空間ごと削り取るような、その技の名は。
「──『無空』」




