ライカはフォーン伯爵の過去を知った!
「わたくしは、本当は剣の練習なんてしたくありませんでしたわ」
最初に打ち明けられた本音はそれだった。この時点でフォーン伯爵の間違いが証明された。
「朝も夜も訓練ばかりで自由に出かけることすら許されない。他の時間は勉強漬けで、気が休まる暇なんてない。友達だって一人もいませんわ。友達とお人形で遊んだりお茶会したりするのが、わたくしの夢でした」
セバスさんが目元を押さえながら顔を背けた。「おいたわしや、お嬢様」とつぶやいた気がする。枯れた肌を伝う涙は隠しきれていなかった。
「お母様がわたくしを産んでお亡くなりになったと聞かされたときもつらかった。お父様はどうして突然こんな話をしたんだろうって何週間も悩みましたわ。悩んで、悩んで、悩んで……。そして、気づいたのです。お父様はお母様の命を奪ったわたくしを恨んでいるんだって。だからわたくしを苦しめることばかりするんだって」
「レティ。私は、そんなつもりは」
「黙れ。まだレティシエントが話してる」
言い訳を並べようとしたので一喝すると、フォーン伯爵は気まずそうに顔を伏せた。そういうとこだぞ。聞く姿勢が足りないんだよ、あんたは。
「──生まれた罪を償え。お父様と顔を合わすたび、そう言われている気がしました。それがすごく怖くて、お父様の決めたことに逆らうのはやめようと思いました。そもそもわたくしにそんな権利はなかったのです。罪滅ぼしだけがわたくしの人生。わたくしの意思なんて必要ありませんのよ」
「あんたはそれで納得してんの?」
「納得も何も、事実でしょう。わたくしは生まれてくるべきではなかった。わたくしがいなければお母様は今もきっとお父様と一緒にいられた。他でもないわたくしが、二人の幸せを奪った。それだけが確固たる事実ですわ」
……ふぅ、ちょっとやばいな。
私は舌が渇くのを感じた。これは心を揺さぶられているときのサインだ。
レティシエントが吐露した心情は予想以上にヘビーなものだった。すらすらと淀みなく話しているが、おそらく何度もこうして自分に言い聞かせてきたのだろう。それに何もかもを諦めたような淡々とした口振りが悲壮感を際立たせる。こんなの11歳の子供の話し方じゃない。
ああ、やっぱりフォーン伯爵はクズだ。子供にこんな思いをさせておきながらよくもまあ父親を自称できたもんだ。
あと周りも悪いよ。なんでもっと早くにフォーン伯爵の間違いを指摘しなかった? レティシエントが平然と振る舞っていたから大丈夫だと勘違いしちゃった?
だとしたら、どいつもこいつも馬鹿ばかりだ。生まれてこなければよかったのはおまえたちのほうだ。死んで出直しやがれ。
「じゃあ、あんたの行動は全てその罪悪感からくるものだったってわけ?」
「…………」
あ、違うなこれ。
レティシエントが動く。父親のもとに行こうとしている。手足がろくに動かないせいで地面を這いずる芋虫みたいだ。とても伯爵令嬢が公衆の面前で晒していい姿ではない。
数秒間、迷った挙句。私は彼女を手伝うことにした。身体を抱き起こし、肩を貸し、父親の胸へと運ぶ。
フォーン伯爵はうろたえながらも倒れ込んでくる娘を抱き止めた。それだけで、レティシエントは痛みを忘れたかのように綻んだ。あれだけ痛めつけても涙の一滴すらこぼさなかったのに、それだけで、笑顔のまま泣き出した。
感動的? いいや、そんなことはない。これくらいで嬉し泣きしてしまうほどレティシエントには愛情が足りてなかったのだ。大人ならむしろ怒らないといけないシーンだ。
でも、ここから先は親子の会話になる。部外者はただ聞くだけに留めるべきだろう。私は無音で後ろに数歩退がった。
「あったかい……こんなふうに抱きしめてもらったのはいつぶりだったでしょうか……」
「……マリアンヌの死因を伝えてからだと思う。あれ以来、おまえにはつらい思いをさせてきたな。すまなかった」
「いいのです。それがわたくしにできる償いですから」
「レティ……」
「泣かないで、お父様。お父様が泣くと、わたくしも悲しくなってしまいます」
「っ。その言い方は、マリアンヌの……」
フォーン伯爵の表情が一気に崩れ、子供のような泣き顔になる。
「すまない、レティ。私は愚かで弱い人間だ。すでに死んだマリアンヌと今ここに生きているおまえがどうしても重なってしまう。だからずっと目を背けてきた。日に日にマリアンヌに似てくるおまえを直視することができなかった。私は父親失格だ」
「そんなことありませんわ。だって──わたくしが生まれてこなければ、その悲しみも起こり得なかったはずですから」
「……あ、あぁ……」
「お父様?」
「全て私のせいだ。私がおまえを歪めてしまった。あの日から何もかも間違えていたんだ! マリアンヌ、俺は……! うぐっ!?」
「お、お父様!?」
突然、フォーン伯爵が胸を押さえて苦しみ出した。レティシエントは跳ね起きて父の身を案じる。え、なに? 緊急事態? まさか、さっきの攻防の後遺症?
「旦那様! お気を確かに!」
すかさずセバスさんが寄り添い背中をさする。慌ててはいるものの慣れを感じさせる動きだった。一方、周りの騎士たちは何事かとざわめくが、騎士団長さんの命令一つで静まり返った。騎士団長さんも冷静だった。
「お飲みくださいませ」
セバスさんが懐から取り出したのは小さな水筒と何粒かの錠剤。おそらくは常備薬なのだろう。フォーン伯爵はそれを受け取り、やや乱暴気味に服薬する。その後、最初のうちは息を荒げていたが、次第に呼吸が整い、胸の痛みも収まったようで頬に血色が戻っていった。
「ライカ、これが理由ですわ」
フォーン伯爵が落ち着いた頃を見計らい、レティシエントが言った。すると、フォーン伯爵、セバスさん、たぶん兜の下で騎士団長さんが驚いたように目を丸くした。
「フォーン伯爵は病気だったんだね」
だからあの程度の攻防で疲れ果てていたんだ。武人だって聞いていたのにおかしいと思ったよ。
「知っておられたのですか、お嬢様」
「ええ、セバスとお医者様が話しているところを偶然見かけてしまいました。お母様が亡くなってから──わたくしが生まれてからだそうですね?」
「……心因性の心臓病だそうです。他にも様々な症状が出ておりますが、どうにか薬で抑えている状態です」
「もう長くはないのでしょう?」
「…………」
沈黙が答えだった。……死ぬのか。フォーン伯爵。
いや、待て。つまりレティシエント目線で考えると、レティシエントは母を犠牲にしただけでなく、父まで死に追いやろうとしているわけか? うわぁ……それは、その……。
「このことを公表して休むわけにはいかないの? そしたらちょっとくらいは──」
「領主の死期が近いと悟れば領民は不安に思いますわ。それは治安の悪化にも繋がるでしょう。仮に、他の貴族がお父様の代わりになったとしても今のようにはいかないかもしれません」
「そ、そっか。まあ貴族って横暴な人が多そうだもんね」
「皆が想像するほど華やかな世界ではありませんのよ。社交に積極的でないわたくしにすら見え透いているのですから」
なんだか貴族の闇についての話になってしまったな。できれば一生関わりたくない世界だ。他人の生活を背負ったり権力闘争に巻き込まれたりとか絶対に耐えられない。
「魔物に脅かされることが常の世の中です。近頃は魔王軍の侵攻も活発になっていると聞きます。だからこそ、各地を治める領主は平和の象徴であらねばなりません。そしてこの〈フォーン〉の象徴は消えようとしている……」
確固たる意志を感じさせる声で言い、レティシエントは大剣に手を伸ばした。
「ならばわたくしがそれになるしかないでしょう。どんなに過酷でも、どんなに残酷でも、生まれた罪を償うにはそれしかないのです」
そして柄を両手で掴み、立ち膝になるのがやっとの身体でひどく重たそうに持ち上げた。
「お母様がそうであったように。お父様がそうであるように。わたくしは必ずや〈剣王〉となり、必ずや象徴となります。そのためならどれだけ傷いても構いませんわ。どれだけ傷つけても構いませんわ。罪も恨みも飲み干して、他人のために生きて死ぬ。そうすることでしか……わたくしの命は許されない──!!」
「あんた……」
「ライカ。お父様が介入した以上、試合はわたくしの負けです。ですが剣士としての勝負はまだ終わっていません」
「やる気? その身体で?」
「当然ですわ。わたくしが止まるのは死んだときだけでしてよ」
「はんっ、すでに死に体のくせによく言うよ。剣だってまともに構えられないじゃんか」
「そんなもの──気合いでどうにかしますわ!」
ぼうっ、と弱々しく剣気が灯る。気の扱いに長けた私は、ゆえにそれだけで理解できた。
「肉体を凌駕するその精神力。すごいよ。立派だよ。あんたは本物だ。──でも、」
彼女はもう戦えるようなコンディションではない。剣を振れるとしてもせいぜい一度が限界だ。それさえも無理をすれば……。
「だからこそ勝負は受けられない。将来有望な剣士の芽を摘むのは気が引けるし、私はアルセラに謝ってもらえればそれで充分満足だ。だから、また今度やろうよ」
「嫌です。ここで決着をつけますわ。さもなくばわたくしを殺しなさい」
このっ……人が気遣ってやってんのに即答しやがって。
「分からず屋め」
「物分かりが良ければとっくに自害してますわ」
「いちいち罪悪感を表に出すな。慰められたいのが見え見えなんだよ鬱陶しい」
それを言うとレティシエントはほんの一瞬泣きそうな顔になり、すぐに戦闘用の表情に戻った。自分の命を捨て駒と捉えるくらい思い悩んでいるくせに無理をするからそんなカオになるんだ、ばーか。
「レティ!」
勝敗なんて関係ない意地の張り合いが始まろうとする中、フォーン伯爵がレティシエントの肩を掴んだ。
「止めないでくださいお父様。ライカを倒さなければわたくしに未来はありません。ライカはそういう相手なのです」
「未来なら、ある! 私がそう思えないように追い込んでしまっただけだ! 私なんかのために生き急ごうとしないでくれ、頼むから……」
「それでも! 前を見続けなければわたくしは許されない! 弱いわたくしなんかいらないんですわ!」
「弱くてもいい。生まれたことも罪ではない。私が全てを間違えていただけなのだ。レティシエント。お願いだからこっちを向いておくれ。マリアンヌが遺してくれた、かけがえのない私の宝よ」
「…………」
思想もプライドもかなぐり捨て、己の全てを否定して、ようやくだ。レティシエントは涙を流して懇願する父親におそるおそる振り向いた。
「今更そんなこと言われたって……。それにわたくしがお母様を死なせた事実に変わりは……」
「違う」
フォーン伯爵は首を振り、レティシエントを抱き寄せた。
「マリアンヌが死んだ原因を作ったのは、私だ」
「っ!? ど、どういうことですの?」
驚愕するレティシエント。私も同じ気持ちである。
「かつての私たちは共に戦場を駆ける仲間だった。だが、実力はいつもマリアンヌのほうが上で、私は彼女についていくので精一杯だった」
「お父様がまったく及ばないほど、お母様は強かった……?」
「そうだ。〈剣豪〉に過ぎない私と〈剣聖〉だったマリアンヌ。私たちの間には大きな隔たりがあったのだ。それゆえにマリアンヌは、偶然出くわした魔族との戦闘中に私を庇い負傷した。そのときの傷が、出産の際に死をもたらした」
「でしたら、どうしてわたくしに罪を被せるような物言いをなさったのです!? やっぱりわたくしが憎いんじゃ……」
「おまえを強く育てるためだ! そのためには罪悪感を抱かせてでも訓練を強要するしかなかった! 私のような弱者にしないために──……」
「そんなこと、今更言われても……」
「わかっている。我ながらひどいことをした。だがあの日、私は強くなければ何も守れないということを理解したのだ。まさしく〝弱さは罪〟だ」
「…………」
「おまえはいつか〈フォーン〉の地を継ぐ。そうすれば魔物との戦いは避けられない。近頃は魔王軍の侵攻も激しくなっていると聞くし、いつかマリアンヌに深手を負わせた魔族と相見えるかもしれない。おまえが生き延びるためには常軌を逸した強さが必要なのだ」
「それは……覚悟しておりますけれど……」
「腑に落ちんだろう。だが、そのためにマリアンヌを目標として育ててきた。本来の性質に背いた《飛竜剣技》を教え込んだのもそれが理由だ。結局、裏目に出てしまったが」
自責の念を表情に滲ませるフォーン伯爵。
「あとは先ほども言った通りだ。だんだんとマリアンヌに似てくるおまえを見ると悲しみを思い出し、それを振り払うため必要以上に厳しく接してしまった。私が、私こそが全ての元凶なのだ。だから──」
「もう罪は背負わなくてもいい、と?」
「許せとは言わん。むしろ恨んでくれ。それがレティの生きる糧になるのなら本望だ」
……勝手すぎないか、それ。
自分の都合で振り回しておいて、もうすぐ死ぬから自分への恨みを抱えたまま生きろ、だなんて。
そこまでの自己犠牲ができるってんなら石に齧りついてでも生きて娘を支えろよ。
やっぱりこの人、根本的にズレてるわ。これが弱さの所以ということかな? 人間らしいっちゃ人間らしいけど、でもさ、他にやり方があったんじゃないの? こんな説明されたところで私なら納得できないね。
いや、私がどう思っても関係ないか。当事者はレティシエントだ。
「レティシエント。あんた、どうしたいの?」
生まれた罪も積み上げてきた苦労も全てはフォーン伯爵の仕込みだった。しかし、彼女は父親の真意を知ったことでその縛りから解き放たれた。今後のことは彼女自身が決めるべきだ。
あと、ここまできたら最後まで見届けてスッキリしたかった。
だから発破をかけた。
「…………」
レティシエントはうつむいた。
そして、クスッと小さな笑みを浮かべた。




