有用植物と概念
百合……商品作物2やオガライトで百合を取り上げたが、今回は百合根。
食べるのは日中台だけで日本では縄文時代からヤマユリ※1を食べてきたが、毎年植え替えを行い収穫に6年かかる為栽培開始は世情が安定した江戸時代から。
ヤマユリの他にオニユリ、コオニユリ、カノコユリを食べている。
中国本土ではイトハユリ、コオニユリ、ハカタユリ※2
台湾ではイトハユリ、コオニユリ、ニワシロユリ(マドンナリリー)を食べている。
ニワシロユリは球根だけでなく花も食べられるが、原産地は東アジアではなくバルカン半島から中東にかけてであり日本には明治以降に伝来。
キリスト教では純潔の象徴として用いられており、東西でここまで扱いが異なる植物は珍しい。
他は欧州では観賞用、東アジアでは食用の春菊位か※3。
春菊はアブラナ科に付く害虫を寄せ付けない為、コンパニオンプランツとしても有用。
欧州は食に関しては保守的なのか東アジアが貪欲なのか……。
春菊やニワシロユリを食べる習慣が南欧にあったら、フランス革命やホロドモールが史実より軽く済んだかもしれない。
ジャガイモ警察のツッコミを受けずに新たな食糧源に出来る植物達である。
11世紀初頭にヴァイキングはニューファンドランド島やセントローレンス川河口部南岸等、カナダ沿岸に植民を開始、現地の葡萄や材木を持ち帰った。
現地にはサトウカエデが生え、ヒマワリは北米全体、菊芋※4は北米東部、南瓜は北米東部と中南米で紀元前から栽培され、トウモロコシは8世紀頃、インゲン豆はこの頃に北米ミシシッピ流域に伝播している事からヴァイキングが先住民と対立しなければこれらはコロンブス以前にユーラシアに伝わっていた可能性が高い。
13世紀まで現代と異なりイングランドでも葡萄が栽培出来る程温暖だった為、マスタードと競合するトウガラシを除けばインゲン豆も北海南岸で栽培出来るかもしれない。
コロンブス以降に伝わった落花生はより温暖な地域を好む為、北方ルートでは入手出来ても定着は難しい上に、14世紀から寒冷化が始まるので欧州では栽培出来なくなる。
落花生と同じくアンデス山脈が原産地のジャガイモが北米で栽培されるのは1621年。
トマトは1781年に南米ではなく欧州から伝わったのでヴァイキング時代に入手するには南下しなければならない。
アジアに目を向けると17世紀の清で現代と同じ形の白菜が誕生。
日本には明治時代に伝わったが他のアブラナ科との交雑に弱く、大正時代にアブラナ科を根絶した島に持ち込みようやく定着した。
リンネの『植物の種』が刊行された1753年以降、弟子のツンベルクが1775〜76年に訪日している為上手く行けばその頃に白菜を栽培出来るかもしれない。
最終版の刊行は1800年な上に欧州に自生、栽培する植物以外の殆どが未記載だが……。
18世紀初頭には日本に地中海原産のマメ科の植物、フェネグリークが伝来。
和名はコロハで漢方薬として用いられたが、外国では全草が牧草に、イラン、イラクでは葉が野菜に、種子がカレースパイス等香り付けに用いられている。
カラメルを思わせる香りだが、焦げた砂糖やコーヒーを思わせる苦味が当時の日本人に合わなかった。
大量に摂取すると下痢、目眩、吐き気や頭痛に加え、最悪アレルギー反応が出る為前世がコーヒー党の人はたんぽぽコーヒーで我慢するしかない。
宋の時代には既に大陸に伝わっている為、それ以降なら入手可能。
ただ人畜の食糧源となるマメ科植物として既に葛が存在し、繊維も採れる為コロハの栽培は薬なら兎も角カレー作りのスパイス以外食糧面でメリットはない。
他に富の国外流出を避ける位か。
戦国時代の場合1578年に李時珍が完成させ、1596年に刊行された植物図鑑『本草綱目』の誕生を待てないので現代通販スキル物以外史実以上に植物の導入は難しい。
※1……ヤマユリは北陸を除く近畿以北の山間部。
オニユリ、コオニユリは全国の平野部。
カノコユリは九州、四国に分布。
※2……イトハユリ、ハカタユリ共に中国原産。
※3……地中海沿岸原産。日本には室町時代に明から伝来。
※4……黄色い菊のような花を咲かせる農作物で欧州には17世紀に伝播、日本には1859年に伝来。
ジャガイモが育たない気候でも育ち、荒地でも反収1t、肥沃な土壌では1.5〜3tの地下茎を収穫出来若芽も食用になる。
ジャガイモは北海道で3.5t、全国平均2t。
さつまいもの全国平均反収は2.2tである。
菊芋の平均収量はさつまいもと変わらないが、食べ過ぎるとお腹がゆるくなる為1日に鶏卵程の大きさ内外の物1個が望ましいとされる。
参考サイト
百合根
http://www.maruka-ishikawa.co.jp/vegetables/items004/yurine.htm
wiki
菊芋、フェネグリーク、マドンナリリー他。




