たたらと角炉と砂鉄他
角炉は1886年に日本で開発された炉で、江戸時代中期に成立した永代たたら製鉄と洋式高炉を組み合わせた物で、1960年まで稼働していた。
たたらとの違いは、
・炉の高さを1.2mから3m以上とし、ドロマイト製耐火煉瓦を用いて炉の寿命を延長。
・従来の送風が常温だったのを200℃に加熱し、動力を人力(登録人数26人、1日12人が3交代で実施)から水車に替え風量増大を図った。
事等が挙げられる。
現代行われているたたらは山陰地方で採れる真砂砂鉄(品位59〜66%)を用いた場合3日間で12tの砂鉄、13tの木炭を消費し3tの銑鉄を生産。
又は10tの砂鉄と12tの木炭から2.5tの銑鉄を得ていた。
1898年の資料では13tの砂鉄と13.5tの木炭から3.73tの銑鉄を生産した記録や、鉄穴流しの負の面を取り上げた資料では時期は不明だが8tの砂鉄と13tの木炭から2.5tの鉄を生産した記録もある。
建設解体にも2日を費やし、これを年間60〜70回実施し720〜910tの真砂砂鉄と780〜910tの木炭から180〜228tの銑鉄を生産していた(銑鉄1t辺り4tの砂鉄、4.3tの木炭)
全国に分布する赤目砂鉄(品位53〜61%)の場合、4日間の操業で16.5tの砂鉄と17tの木炭から4.8tの鉄を生産。
砂鉄と木炭を18tずつ投入し4.84tの鉄を生産した記録もある。
真砂と比較して1日辺りの消費量に差が無いので規模も同等と見て良く、6日を要した。
年間50回の操業で825〜900tの砂鉄、850〜900tの木炭から240〜242tの銑鉄を生産。
(同3.44〜3.72t、3.54〜3.72t)
尚、たたらの木炭消費量は朝鮮出兵後に近隣で石見焼が焼かれ、榎木茸や椎茸の原木栽培が始まった後の数値である。
永代以前は野たたらと呼ばれ、1691年に開発された天秤鞴(送風量が15世紀に全国に普及した吹差鞴の3倍)や屋根、1750年頃に導入された大ドウ(鉄製ハンマー、加工速度が3倍)が無い為、お天気任せで年間生産量が上記の1/3、真砂で60〜76t、赤目で81tしかなかった。
さて角炉である。
炉の内壁に石灰石と共に副産物として産出するドロマイトを1500℃で焼いた耐火煉瓦を貼り、水車に吹差鞴を4つクランク式で繋ぎ送風量を確保。
たたらの床部分は1500℃なので到達可能。
鉄の生産量は原料の種類により異なるが、
1935年に島根の鳥上で40日操業した炉は真砂砂鉄と木炭各75kgを15分毎に計80〜90回投入し日産3.7t。
年8回の操業で、2040tの砂鉄と木炭(耐火煉瓦生産分18t込みで2058t)から1184tの銑鉄を生産。
(1.723t、1.738t)
1954年に20日操業した時は赤目砂鉄75kg、木炭60kg、石灰3kgを15分毎に投入し日産3tを記録。
年15回の操業で1912.5tの砂鉄と1563tの木炭(耐火煉瓦製造分33t込み)、76.5tの石灰石から900tの銑鉄を得ていた。
(2.125t、1.737t、0.085t)
使用した真砂砂鉄の品位は65%、赤目砂鉄の品位は55%。
参考として木炭時代の釜石製鐵所は木炭が火災で焼失するまでの97日間に、2357tの鉄鉱石と3637.5tの木炭を費やし1508tの鉄を生産している。
(1.56t、2.4t)
角炉の木炭年間消費量が多いのは、炭鉱開発後に船の燃料が重油に替わり、熱量の高い練炭として養蚕の保温や煮炊き等に回され弾かれた分が製鉄に流れたのだ。
角炉に使える資材が野たたらと同じとして真砂で砂鉄240〜300t、木炭260〜303t。
赤目は砂鉄275〜300t、木炭283〜300t、15tの石灰。
耐久消費財の洗濯板、唐箕、足踏み脱穀機や牛馬犂等の生産も考えると下限止まりとして鉄の年間生産量が真砂、赤目それぞれ150t、163t。
野だたらの倍。
1580年当時10両有れば米を38石買えたが、鉄の価格は米の2.5倍だった。
元禄年間(1688〜1703年)に発明された千把扱きの登場から半世紀以上後の1770年の対米価格は2.2倍。
1830年は1.8倍。
石灰の分材料費が上がらないのかと思われるだろうが、砂鉄の粒径を0.127〜程度まですり潰すと表面の不純物が削ぎ落とされて品位が上がるので浮いた輸送隊を振り向けよう。
採掘は鞴から回せば良い。
真砂砂鉄で4〜6%。
赤目で1〜9%品位が上がる。
最高値を叩き出したのは中国地方の赤目で55→64%。
次点で青森野牛の61→62%が続く。
採取時最低値53%を記録した北海道の鹿部と56%→58%になった大分の国東を除き、品位が56〜59→60〜61%に到達。
全国で採取される砂鉄の品位は平均56%なので概ね4%向上すると見て良い。
200℃の環境下で磁選する方法もあるが、燃料が馬鹿にならない上に大分の国東が53%→59%を記録した事を除きどこの砂でも57%が限界なので粉砕一択である。
尚木炭をケチると白銑と呼ばれる機械加工が不可能な高硬度の鉄塊になる。
耐荷重や耐摩耗性が要求される紡績機械や内燃機関等のカムシャフト、砕鉱用ハンマー、中ぐり盤に製鋼用圧延ロール、鉄道車両の車輪や石とかち合う農具等に向く。
戦国時代に使うには過剰だが鋳造砲には向かないので、反射炉の建設が必須である。
参考サイト
出雲國たたら風土記
https://tetsunomichi.gr.jp/history-and-tradition/tatara-outline/part-2/
・角炉
「角炉」の鉄滓あるいは砂鉄を用いた製銑反応機構
たたら製鉄の発展形態としての銑鉄製錬炉「角炉」の構造
・たたら製鉄
わが国における製鉄技術の歴史
日本古来の製鉄法たたらについて
「たたら製鉄」と「鉄穴流し」による山地の荒廃と土砂災害
波佐地方における 「たたら製鉄」と地域経済
・砂鉄
小型溶鉱炉における砂鉄使用の研究
砂鉄を竪型炉で精錬した頃の思い出
砂鉄の熱磁選による基礎研究
日本の砂鉄資源
・鉄価、生産量
金属を通して歴史を観る
(1)、(2)
他多数。




