製縄機
製縄機は1905年に佐賀で発明された足踏み式の縄を綯う機械である。
糸車の親戚かつ拡大版と言えば伝わりやすいだろうか。
綯う速さが手足の時の数倍になっただの1日に3玉綯う事が出来ただのと言った証言や記録が残っている。
稲、麦、蕎麦、麻、綿にシュロ……縄の出る穴の径を変えれば素材を選ばず何でも綯える上に既に糸車はあるので職人に説明しやすい。
径を決める部品は陶器で造れるが、大型化と材料強度が増す分歯車に鋳鉄を使わねばならず、価格が糸車より高くなる事と製造が難しい食い違い歯車やフェース歯車※1を用いる事が欠点。
回転機構は時計やハンドル式の鉛筆削りを思わせる構造をしている。
西洋時計は火縄銃と同時期に伝わった筈だが伝来記録は1551年に大内氏へ献上された物が最古。
同年に陶晴賢のクーデターが起きた為、京から避難した公家が再避難した時に持ち出していれば話は別だが基本的に大大名クラスでなければ入手は難しい。
現代から取り寄せるタイプの作品ならそのままオークションで製縄機を手に入れる事が出来るが……。
入手性を別にすればチート導入に伴い米も藁も収量が増え、綿花栽培も始まり火縄銃を大量に用いる事を考えると、歓迎こそすれラッダイトのような抵抗運動は起こりづらいのではないか。
漁網や舫い綱等の製造には特に重宝するだろう。
尚、地引き網の労力軽減の為ろくろが用いられたのは明治前期。
外房に地引き網が伝わったのは1555年。
船にろくろが、千倉に捕鯨基地があり、鯨の背骨で滑車を作っていたのに何故300年以上応用しなかったのか不思議である。
脱線してしまった。
繊維を柔らかくする為手を濡らして綯うのだが、それを行うのが収穫、脱穀が済んだ冬である。
濡れるのが摘む指先だけかつ早く終わる製縄機の方が楽な事は言うまでも無い。
ねじの存在する異世界でも通用する代物である。
※1食い違い歯車……歯がねじやアルキメディアン・スクリューのように傾斜した物が代表的。
省スペース化出来るが滑るので伝達効率も悪い。
江戸時代の佐渡金山で手動揚水機として採用済みで、和時計もあるので少なくとも江戸時代には製造可能。
フェース歯車……傘歯車の一種で歯がシャンプーハットの如く刻まれている物。
参考サイト
製縄機
https://rekimin-sekigahara.jp/main/exhibition/mingu100/mingu-syukou/100_68.html
https://www.jacom.or.jp/column/2020/06/200611-44750.php
http://blog.shurohouki.jp/2020/06/06/%E8%B6%B3%E8%B8%8F%E3%81%BF%E5%BC%8F%E8%A3%BD%E7%B8%84%E6%A9%9F%E3%81%A7%E6%A3%95%E6%AB%9A%E7%B4%90%E3%82%84%E7%B8%84%E3%82%92%E4%BD%9C%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B/
構造が良くわかるのは下記の2点
https://note.com/yobishitaga/n/n63eb227878ae
https://youtu.be/Kz9lMLDcxJI?si=u8rPBewkJowS0EPc
3玉の出典元
https://jmapps.ne.jp/biwahaku_h/det.html?data_id=7564
足踏み式藁縄機の復元と改良
wiki
和時計




