火吹き達磨と熱源
火吹き達磨とは江戸時代後期に作られた道具で、囲炉裏や火鉢等と共に用いられた。
銅製で全長5〜8cm程の大きさをした中空の達磨型の代物で、筆者が確認した物の重さは9g。
1㍉程の穴が開いており、炭火で熱した後水中に入れるとそこから容積の半分程水を吸い込む。
穴を火に向けて再度加熱すると、穴から水蒸気が噴き出し火元で水蒸気が一酸化炭素と水素に分解(水性ガス反応)され燃焼。
この効果により薪の消費量が半減した。
海外で水性ガス反応が発見されたのは1873年の米国が最古。
薪ストーブや昔学校で使われていた石炭ストーブでも使用出来るようだ。
筆者は平成生まれだが小中学校の野外炊飯で使用した記憶が無い。
副業が農家でユニットに炭焼き職人が居るアイドルグループもその存在を知らなかった。
田舎でも昭和40年代に石油ストーブの普及により火鉢や竈が廃れたので、その後の世代には馴染みが無いのだろう。
以前『ガスと耐圧容器』の項で一家の薪の年間使用量が年間2〜3t(地域により変動)と述べたが、これは火吹き達磨が普及後の1950年の数字である。
兵站についてだが、1683年に刊行された『雑兵物語』には兵1人が1日分の玄米5〜6合を炊くのに80匁(300g)の薪が必要と記されている。
米から炊くにしては量が少ない(囲いが無い場合1時間に1kgの薪を消費)ので、干し飯に芋がら縄や干し味噌、梅干し等を加えた雑炊を煮る分だろう。
大人数で炊くと節約になるとも記されているが、浮いても夜警に使うので定量と見て良い。
野戦の場合支給される食料は3日分で、それ以上は現地調達に頼っている。
薪もセットで支給される為、1人辺りの装備重量は差し引き440g軽くなる。
1614年の木賃宿の薪代(2合5勺)は1泊3文。
正規品の永楽銭の重さは3.75g。
火吹き達磨を開発すれば初陣で動員兵力×6.6文、それ以後では理論上9文浮く。
戦死や借りパク等で消耗するが、武具に比べれば誤差。
陶磁器の製造コストが下がり※1、各家庭ごとに支給すれば浮いた薪炭を建材や造船、製鉄に回せる。
現代の木炭製造では薪13kg、炭材36kgから炭8〜10kgを得ていたが水性ガス反応の文字は無し。
削減量は炭の2/3だが、青銅器時代以降江戸中期以前を舞台にする場合持ち込むか開発したい一品。
熱源には他に生石灰もあるが、日本の気候では水と反応を防ぐ為保存には油紙が必要。
チートの定番搾油機の改良もせねばならないだろう。
生石灰を加熱調理に用いるようになったのは戦後だが、原理が発見されたばかりの魔法瓶と併せて採用していれば『雪の進軍』の歌詞が変わり八甲田山の悲劇も防げたかもしれない。
※1……釉薬を塗る前の素焼きの焼成温度は800℃に対し、空気、水蒸気を吹き付けた時の炭火は千℃に達する。
参考サイト
水性ガス反応
https://www.lcv.ne.jp/~lab72/hydrogen_gass_reaction.html
薪
https://dot.asahi.com/articles/-/33258?page=2
宿代
https://adeac.jp/nakatsugawa-city/text-list/d100040/ht012780
参考動画
https://youtu.be/NA4fBv5TLoE?si=k0RbQF5IlgtCPbd5
近世民家の燃料について
wiki
火吹き達磨、水性ガス反応、木炭自動車、タデウス・ロー(水性ガス発生機構の発見、実用者)




