温室その1
温室の歴史は古く、紀元前1世紀には既にローマ帝国と前漢で行われていた。
当時はガラスが高価な割に透明度が低かった為、ローマ帝国では南面を石膏の一種であるセレナイトで覆い日中は屋外、夜間は室内に移し保温していた。
日本には明の時代に温室の製法が伝わり、記録が残るのは慶長年間(1596〜1614年)以降。
国内でセレナイトが採れるのは秋田県花岡鉱山と山形県の吉野鉱山等だが透明度が高い物は少なく、ガラスは高価なので露地は紙のトンネル栽培、鉢植えは南面を障子で覆っていた。
寛政年間(1789〜1800年)に江戸近郊の砂村では浅草紙で茄子、インゲン、胡瓜等を囲い、野菜クズ等の発酵熱で温床を作り育苗。
陰暦の3月中旬(2024年新暦では4/20以降)に出荷していた。
上記野菜群の旬は6月以降なので、消費地近辺や温暖な地域なら紙と生ゴミの温床で保温した温室でも出荷期間を1ヶ月は前倒し出来る。
このタイプは早熟栽培と呼ばれる。
現代でも産地として有名な山岳地帯の場合、気温の上昇が平地より遅れる為蒔く時期も遅らせて残暑や温床を利用、旬を過ぎても同じく1ヶ月は出荷可能。
江戸時代は地域により中で炭を燃やして保温していたが、明治時代になり温床に紡績屑を加えると良好な成績を示す事が分かった為、農家の副業として養蚕を推奨していた事もあり全国に普及。
一例を挙げるなら、温暖な高知では明治42年以降に春になると胡瓜、西瓜、茄子等の苗を高知和紙で覆い、促成栽培を行うようになった。
史実以前でも船による大量輸送が可能で、漁網の需要がある沿岸部の農村なら受け入れるかもしれない。
青苧で有名な越後の上杉謙信が強化されるが、存命中は未発見かつ支配出来なかった佐渡金山に比べれば誤差。
尚、油紙が安くなるのは米の裏作に菜種栽培を推奨する江戸時代になってからなので、商品作物の栽培が広まるまでは紙に柿渋を塗り対応しよう。
温暖な気候を好み綿実油も採れる綿、冷涼な気候を好み亜麻仁油が採れる亜麻、全国に分布し蚕の餌となる桑の皮から紙が造れる絹。
紙による促成栽培は紡績系軽工業と相性が良いと言える。
温室は野菜だけでなく植物性染料の増産にも応用が利くが、樹木や寒冷地向きの物が多く無学な身では低コストで栽培出来るのは一年生で南方原産のウコン位しか見つけられなかった。
他は売り物にならない茄子、トマトを草木染めに回す程度。
参考サイト
促成栽培と抑制栽培の違いとメリット、デメリット
https://www.kaku-ichi.co.jp/media/crop/suppressed-cultivation-forcing-cultivation#:~:text=%E9%80%9A%E5%B8%B8%E3%81%AE%E9%81%A9%E6%9C%9F%E3%82%88%E3%82%8A%E3%82%82,%E9%87%8E%E8%8F%9C%E3%81%8C%E6%8C%99%E3%81%92%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
桑枝から和紙を作る。
https://www.pref.gunma.jp/page/20737.html#:~:text=%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AB%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%82%BE%E3%81%AE,%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
施設園芸と気象
wiki
温室、促成栽培




