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アスピリンと対米貿易

筆者は高校、専門と工業系に進んだが、物理を選択していた為以下の記述については陰謀論レベルの駄文である事を予めお断りしておく。

 アスピリンは1853年に仏で試験的に合成され、1897年に独の製薬会社バイエルに勤めているフェリクス・ホフマンが量産に成功した解熱・鎮痛剤である。


 出血が止まらない副作用があるので、53年の時に量産されていればクリミア戦争で英仏の死傷者が増え、ナイチンゲールが苦労しただろう。


 発売当初から米国で文字通り飛ぶように売れ、米国向けのアスピリンだけでバイエルの全世界売上の1/3を占める程。


 アスピリンの製造には最低4気圧に耐える圧力容器と、石炭塩にCO2、酢酸が必要※1だが、4気圧以上の蒸気機関が広まる1830年代後半以降で蒸気機関を内製し、石炭を自給している国家にコルベ・シュミット反応を知る者がスポンサーと共に居れば何処の国でもアスピリンを合成出来た。


 幕末期の日本は1837年までに実用化された蒸気機関の基礎と1847年に上梓された舶用機関のマニュアルしか入手、翻訳していない上に何度も言っているがカタログ通りの性能を発揮出来なかった。


 だが開国までに4気圧を安定して出せるなら摩擦を引き起こしかねない程稼ぐ事が可能。


 新たに開港されるのは59年以降だが56年に長崎からお茶を輸出しているし、セポイの乱が原因で57〜59年にかけて米国で恐慌が発生。


 心身の不安から来る不調にアスピリンは効くし、副作用に気付く時期によっては南北戦争他の死傷者が増えるだろう。


 現代の米国の人口は3億3千万人で年間320億錠……国民1人当たり年間約100錠を服用している。


 1860年の米国の人口は3144万人。


 30億錠は売れる。


 1935年にバイエル産アスピリンが1錠91ペニヒ、37セントしたので(1マルク=100ペニヒ=40.3セント)1860年で25セント。


 7億5千万ドル。


 同年日本の貿易収支が640万ドルなのでアヘン戦争ならぬアスピリン戦争が起きかねない。


 この年に発行された万延小判1両=1.33ドルなので輸送他経費抜きで年間約10億両儲かるがハイリスクである。


 ※1……4〜7気圧、125℃の条件下で石炭酸と二酸化炭素を反応させる(コルベ・シュミット反応)事でサリチル酸が製造出来る為。


 サリチル酸を無水酢酸と合成するとアセチルサリチル酸=アスピリンが出来る。


 参考サイト


 アスピリン


 https://www.jhf.or.jp/publish/bunko/08.html


 幕末の技術書

 https://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/aoi/4_greatbooks/4_1_12.htm


 wiki


 コルベ・シュミット反応、フェリクス・ホフマン、アスピリン、サリチル酸、アドラー号、1857年恐慌


 PDF


 蒸気動力技術略史

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