気球の歴史と平賀源内
人類最古の飛行は仏のモンゴルフィエ兄弟が熱気球によって行った物だが、無人の熱気球の歴史は古く、諸葛孔明が司馬懿に包囲された際小型の熱気球を飛ばし救援を呼んだとの伝承が残っている。
伝承ではあれど中国が起源である事は間違いなく、欧州にはモンゴルの侵攻により伝わり、タイ等アジア各国ではお祭りの時天灯と呼ばれる小型の熱気球を一斉に飛ばす風習が伝播。
日本でも秋田県では1773年に銅山開発の為招かれた平賀源内が熱気球方式による紙風船を現地の子供に教え、上桧木内の紙風船上げとして毎年2月10日にお祭りが行われている。
万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチを始め、鳥や虫を参考にオーニソプターを開発しようとする人は数多く居たが、熱気球を大型化して実際に飛ぼうと考えた人は1709年にブラジルの神父、バルトロメウ・デ・グスマンがリスボンで王に提案するまで1500年もの間現れなかった。
彼は異端審問運動の高まりの為実験を断念し、帰国したが熱病に罹り38歳の若さで亡くなっている。
彼の死は人類の悲劇だが、彼以前に空を目指す場合皇帝が地上を支配すると考える中華王朝では無礼として発展しないので、中国周辺で冊封関係にない日本で……目指すのも史実を考えるとハードルが高い。
時代は下り、幕藩体制が邪魔だが田沼意次と繋がりのある源内や空を飛びたい浮田幸吉、飯塚伊賀七等と組んで大型熱気球を開発する方が楽である。
パラシュートは展開実験は馬に引っ張って貰って空気抵抗を再現出来れば可能で、動力飛行も出来れば外洋に出て捕鯨や魚群探査も可能と思われるが、当時の日本の技術ではワットの蒸気機関の情報を参考にしても確実に地上で複数回爆発する上に1852年の欧州相当の技術力が必要。
(1852年に仏のアンリ・ジファールが3馬力の蒸気機関を搭載した飛行船を開発したが2回目の飛行時に爆発)
動力飛行前に源内が死ぬ可能性は高いが、不燃材料に石綿を推す彼を宥めながら源内の獄死と幸吉や伊賀七の暴走と寺社や幕閣の横槍と飢饉に備えつつ空を目指す作品を誰か書いてくれないものか。
飛ぶだけならモンゴルフィエ兄弟より十年早く出来るが動力飛行の実現は厳しい。
参考サイト
上桧木内の紙風船
https://www.city.semboku.akita.jp/sightseeing/spot/06_kamifuusen.html
wiki
平賀源内、上桧木内の紙風船上げ、バルトロメウ・デ・グスマン、浮田幸吉、飯塚伊賀七、気球の歴史




