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人力車の興隆と有形、無形の障害に阻まれた自転車達

 人力車は1870年※1に馬車から着想を得て考案されたが、16世紀には似た物が欧州に伝わっている。


 それまでは1人の客を2〜8人掛かり、4〜6㎞/hで運ぶ駕籠が旅客輸送を担っていたが1〜2人で8〜10㎞/h(乗客数により異なる)を出す人力車に取って代わられた。


 アジア各国にも輸出されたがインドのコルカタを除いて自転車タクシーやオートリキシャーに置き換えられ現在に至っている。


 現代の物に繋がっていないが、人力車が発明される138年前の1732年に世界最古のクランクペダル式三輪車、新製陸舟車が彦根で発明されていた。


 これは1729年以前に人力水車である踏車を元に武蔵国本庄(現在の埼玉県本庄市)で製造された四輪車、門弥式陸船車と翌年に登場した竹田式陸船車(これは三輪車)を参考にした物で、門弥式陸船車と新製陸舟車は一刻(二時間)で七里(27.3㎞/h)を走り坂を登ったという。


 門弥式の登坂角度は不明だが、TV番組『こんな筈では』が再現した新製陸舟車は参考元がデフォルメされた絵だった為正確ではないにせよ20°の坂を登る事が出来た。


 1818年に独で発明された現代の自転車の先祖、ドライジーネが記録した15㎞/hより遅く、サドルはなく立ち漕ぎ式で石臼を挽く最中に閃いたせいか車輪や歯車がスポーク式で無い等欠点もあるが登場時期を考えるとまずまずと言える。


 現在のママチャリが10〜15㎞/h、電動アシスト自転車が12〜17㎞/hである事を考えると立派な物である。


 車輪が小さく車両の緩衝能力も無く路面状況にも問題が有り、1721年に施行された新規御法度にも阻まれ発展、普及する事はなかった。


 時は下り1879年に英国のシガー三輪車を参考として福島の鈴木三元が現存する国産最古の自転車である三元車を2台製造。


 1人乗りと2人乗りの物で81年には4人乗りの物を製作している。


 どれも前2輪式、運転手は1人で、1人乗りは大河、2人乗りは自在車、4人乗りは奔走車と名付けられ、大河はペニーファージングと呼ばれる前後の車輪の大きさが異なる自転車、2人乗り以上の物は屋台に馬車の車輪を付けたような形をしていた。


 機構は足踏み式の後輪駆動で2人乗りは16㎞/h、4人乗りは12㎞/hを発揮し、東京と横浜に進出したが坂道発進のキツさと1人乗り26円、2人乗り30円、4人乗り36円(現代価格でそれぞれ約71万、82万、98万)の販売価格が嫌われ地元以外には普及しなかったという。


 坂道の洗礼は人馬車だけでなく人畜動力の軽便鉄道や後の木炭自動車も等しく受けており、70年代の人力車が18円(現代価格49万)と自在車の6割であった。


 1人乗りの三元車の写真を見るとサドルの板に革張りしただけでゴムタイヤも無く、従来より高速で凸凹道を進む点も不評だったと思われる。


 復元された奔走車も背もたれに深く体を預ける事が出来足も伸ばせる人力車や馬車と異なり、腰の高さ程度の背もたれしかなく乗客が正座している為、上下から人力車や馬車を凌ぐ衝撃が痺れる足腰に来る。


 ゴムタイヤではないのは人力車や馬車も共通だが、上記条件の他にも馬車は車体を台車から吊っていた為横揺れを除けば乗り心地に随分差があった。


 駕籠も正座や胡座、胎児のような姿勢で乗るが吊られているので地面からの衝撃は直には来ない。


 雨の日は利用者も増えるが正座では席の汚れ具合も馬車や人力車の比ではないし、泥濘みからの脱出も草履の場合履く手間の分だけ時間がかかる。


 参考元のシンガー三輪車は板に革張り、ゴムタイヤだったが日本でゴムの製造が始まるのは1886年である。


 速度は遅いが6割の値段で乗り心地も良いとなれば人力車に流れるのも当然だろう。


 東京では2頭立ての馬車(乗客数6人、10㎞台前半)が運行していたが三元車と速度は同等、乗り心地と効率で勝り維持費と馬の生理現象に伴う不快感で劣っていた。


 三元の製作した三輪車は速度、乗客数は人力車と馬車の間を埋める存在だった。


 大正時代には自転車が普及した事を考えると開発陣に人力車や馬車の製造経験者が居なかった事は不幸である。


 屋根が屋台そのままの為、竹の骨で米国の幌馬車を真似ていれば軽量化と共に重心も下がり坂道発進も楽になるのだが……。


 ※1……1868年に人力車が営業している写真が残っている。


 参考サイト


 陸舟車


 https://www.city.honjo.lg.jp/soshiki/kikakuzaisei/hisyo/shichokoramu_shingenohitokotomesseji/kakonoshichokoramu/heisei20nen/1375165261525.html


 日本の自転車年表


 http://www.eva.hi-ho.ne.jp/ordinary/JP/shiryou/shiryou.html


 費用出典


 値段史


 https://coin-walk.site/J077.htm


 明治15年(1881年)頃の三輪車


 http://www.eva.hi-ho.ne.jp/ordinary/JP/rekishi/rekishi19.html


 PDF


 ・三元車関連


 4人乗り三元車の復元


 三元車のロマン


 ・人力車製造費


 人力車廃止論


 wiki


 陸船車、新製陸舟車、人力車、馬車、サスペンション

乗り心地を改善出来ればワンチャンあっただけに実に残念。

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