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転炉と蒸気と焼玉エンジン

 1851年にウィリアム・ケリーが、55年にベッセマーが開発した転炉は、銑鉄に冷えた空気を吹き込み炭素と酸素を反応させ鋼鉄を得る物だが、1075年に宋が一部工程こそ違えど既に実行していた。


 一度溶かすと還元反応熱のおかげで燃料を追加しなくてもよくなり、代わりにマンガンを加えると不純物がマンガンと結び付き表面に浮かぶ為除去も容易で、従来より鉄を量産出来た。


 マンガンを加える工程は宋の時代にはなく56年にベッセマー法に追加され品質が安定。


 翌年に上記工程で製造されたレールが完成した。


 鋼鉄ボイラーは58年に英国で製造され、蒸気圧が5.97kg/c㎡を記録。


 翌年には7.02kg/c㎡に伸びた。


 反射炉で銑鉄に屑鉄を加えて鋼鉄を得る平炉も56年に登場したが、米国の対日屑鉄禁輸からも判るように日本に屑鉄は殆ど無いので実用的ではない。


 良質な屑鉄を混ぜると鋳鉄管の伸び強度も改善するがその導入は20世紀以降で、1857年に宇和島藩で蒸気船を建造していた前原巧山も鋳物の巣からの蒸気漏れに悩まされた事や、日本は明治中期まで水道管の圧力(1.5〜7.5kg/c㎡)に耐えられる鋳鉄管を国産化出来なかった事を考えると開国を早めない限り史実以前に鋳鉄、鋳鋼の品質向上は不可能。


 だがベッセマー法なら類似製法が宋王朝時代に有ったので蛍石、アルミナ等の耐火煉瓦原料、石炭、鉄鉱石とマンガン※1があれば2、3年で7kg台の圧力に耐える鋼鉄を生産出来ると思われる。


 その根拠として56年に転炉を導入した米国のSLの蒸気圧は19世紀中頃から80年代※2まで7kg代だった為。


 英国では遅くとも46年に9.89kg/c㎡のSLを製造。


 独は62年に導入時7.09kg/c㎡だったのが翌年には8.1kg/c㎡に。


 72年には9.12kg/c㎡に達している。


 この頃の米国は鉄の質で英独に劣っていたのだ。


 長々と転炉と各国の蒸気圧の推移について綴ったのは、以下に述べる内燃機関の最高圧力に転炉導入後数年の鋼鉄でも条件付きだが耐えられる為。


 それは1886年※3に英国のアクロイドが発明した焼玉エンジンである。


 圧縮熱で点火するディーゼルエンジンの親戚で、ディーゼル程精巧な燃料噴射装置やガソリンエンジンのように電気系統も不要で、燃料の範囲が石油、天然ガス等のガスや軽油、灯油、重油等の化石燃料の他動植物油ととても広い上に上記2種程の強度や工作精度が無くても作動する代物。


 2気圧=2.027kg/c㎡にも達しない蒸気機関ですら蒸気漏れに苦慮している状態では無謀で、鍛造技術も人力から最低でも水力に更新が必要と二次加工にも改良が必要だがその見返りは大きい。


 試作された物の最高圧は判らなかったが、始動時に発生する圧力は5.92kg/c㎡。


 91年に別の会社のラストンが製作した物の最高圧は7.03kg/c㎡。


 96年の物は11.95kg/c㎡。


 86、91年時のエンジンには手の届く範囲である。


 油は高いが漁船は魚油、農家は定置式動力に限れば家畜のフンから回収したメタンガスを燃料に。


 潤滑油はマッコウクジラの脳油やひまし油が使える。


 蒸気式トラクターが59年に発明されているので燃料を油に代える必要は有るが動力に転用する事も可能。


 ただラストン社がトラクターや軽便鉄道向けの機関車を製造するのが96年以降なので史実より重くなる。


 ロードローラーも同時に開発し橋も補強しなければならないだろう。


 1903年に福岡駒吉氏が製造し、福岡・佐賀両県を走った日本最古の内燃機関車、駒吉機関車を例に焼玉エンジンの長所、短所を挙げると、


 ・蒸気機関より熱効率が高く、容積が同じ時重量は半分以下。


 ・維持費が出力と等しい馬以下。


 ・馬車鉄道より速い。


 短所は、


 ・調達費用が出力と等しい馬の6.4倍※4


 ・工作精度とトレードオフだが高圧、高出力化出来ない。


 ・上記とも関連するが高速が要求される用途には不向き。


 ・同サイズのSLより出力が小さくオーバーヒートしやすい。


 ・燃料に重油を用いた際硫黄臭と共に周囲の木を枯らす程有害な煤煙が発生する。


 等だった。


 駒吉機関車は全備重量2540kg、出力5馬力で30人乗りの客車を1両牽引し最高時速約13㎞/hを記録(当時の法律では市街地を通る場合上記速度、8マイルが限界)


 駅馬車は15人乗りの客車1両を1頭の馬が時速8㎞で牽引していたので馬よりは効率的。


 有識者に拠れば15馬力は出る筈だが、10馬力精米機を元にしており連続運転出来るように定格出力を5馬力に落とし、過熱を防いでいた。


(後に7馬力に向上し重量も150kg増加)


 後継車両の情報は手に入らなかったが、軌間が同じ西大寺鉄道を走っていた最小のSLはコッペル社の20馬力、5750kgである。


 ※1……1883年のデータでは銑鉄中のマンガン含有量は重量の0.1〜1%。


 ※2……日本が輸入した米国製SLの蒸気圧は80年時7.7kg/c㎡、87年時は7kg/c㎡


 ※3……1876年に最末期まで用いられたボリンダー式水冷焼玉エンジンを搭載した貨物船が竣工。


 ※4……日露戦争を控え高騰中の1903年時点で日高産の牡馬平均価格は46.9円、駒吉機関車は1500円(現代価格約570万円)だった。


 参考サイト


 前原巧山


 https://miyoshishipbuilding.co.jp/2020/04/21/column01/


 馬の価格


 日高振興局

 https://www.hidaka.pref.hokkaido.lg.jp/hk/kks/hidakanoayumi.html


 第四章畜産の推移(PDF)


 参考PDF


 ・鉄鋼中のマンガン含有量


 近世鉄鋼小史(Ⅰ)


 ・焼玉エンジン、駒吉機関車


 多燃料発動機と日本


 ・クルップ社のベッセマー導入前後の動き


 ルール鉄鋼業の労使関係と賃金(1865〜1880年)


 wiki


 ベッセマー転炉、焼玉エンジン、蒸気機関車、前原巧山、アクロイド、ルドルフ・ディーゼル、トラクションエンジン、福岡式内燃機関車、バーデンの機関車と鉄道車両のリスト

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