表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/138

国力と無駄

 太平洋戦争は米国と戦った事が敗北の最大の原因だが、もう少しやりようはあった。


 優秀な兵器があっても『国力の差で配備出来なかった』


 との嘆きが載っているが果たして本当にそうだろうか?


 大戦中軍需省大臣を勤めた藤原銀次郎以下の調査チームは、


『陸海軍間の無駄な対立と競争を止め、資材を効率的に運用すれば航空機生産数を年間5万3千機に増やせる』


 と提言を行った。


 戦時中単年度最大の生産数は44年の2万8180機。


 空襲が本格化した45年は8263機。


 45年は均しで月産1100機として前年総生産から空襲があった11月(※1)最終週と地震の起きた12月分を割り引き計算すると1.8倍に増やせる。


 これは中国から撤兵せず、根こそぎ動員を行わず、週一の休電日が存在した状態の数字である。


 無駄を示す例としては他にも1922年に開催されたワシントン会議に伴い、廃艦になった20〜40㌢級砲は陸軍に譲渡されたのだが、この年に陸軍は三八式野砲(75㍉)を改修して高射砲を製造している。


 海軍はその6年前の16年に76.2㍉の高角砲を採用していた。


 譲渡の話が持ち上がる前の20年に陸軍は100㍉級の榴弾砲の必要性を認め、22年まで続いたシベリア出兵時にオーストリア製の95㍉榴弾砲を鹵獲。


 22年に海軍が潜水艦用として100㍉砲を製造した後の24年に陸軍はシュナイダーに対し105㍉榴弾砲と75㍉野砲を発注。


 後の九○式野砲、九一式十糎榴弾砲となり、重量は機動化前で1400、1500㎏だった。


 榴弾砲に合わせる形で砲架も共通化すれば安くなったのだが……。


 後発の九一式に合わせる形で95㍉砲を105㍉に拡大。


 尖鋭弾の採用で射程は拡大前より伸びたが砲身が薄くなったので装薬を増やせなかった。


 榴弾砲と艦砲は砲身強度も尾栓も違うが砲弾の製造ラインは共用出来たのではないか?


 自分の知る限り仏では155㍉砲、ソ連は100㍉、45㍉砲を共用している。


 艦砲を陸式に改修した時試射を実施しているが、旧式砲は保存するにしても似た口径の銃砲は生産ラインを平時に統廃合すべきだった。


 ※1……6月の北九州への空襲は各地に配備されたレーダーで探知されやすかった。


 参考文献


 局地戦闘機雷電、続・最強兵器入門、日本軍小失敗の研究


 wiki


 大日本帝国海軍兵装一覧、十四年式十糎榴弾砲、九○式野砲、九一式十糎榴弾砲。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ