甲斐武田で出来る(かもしれない)産業革命
かもしれないと括弧付きで述べたのは、史実で確保した領土から産出する資源の質が悪いのと、蒸気機関製造に18世紀レベルの工作精度が必要な為。
質が悪いのは風車の項でも登場した亜炭。
石炭の中で最も炭化率が低く、重量の過半が水分で家庭用燃料以外には用いられなかったというがそれも当然だろう。
風車と重複するがせめて脱水して着火性を上げるしかない。
長野県の飯盛山で陶磁器原料のカオリン、真田氏の拠点である現上田市真田町傍陽で耐火煉瓦の材料となるコランダム、同じく耐火煉瓦材料の明礬が山梨の増冨で採れる。
甲斐には慶長年間(1596〜1615)以降に盛岡の南部氏に召し抱えられ、盛岡南部鉄器の製造を担った鋳物師四家の内有坂、鈴木、藤田※1が定住しており、蒸気機関製造に必要な鋳鉄の質は問題ない。
ただ加工精度は未知数。
ワットが1769年に作った最初の蒸気機関は、中ぐり盤の工作精度が悪く、直径18インチ(457.2㍉)のシリンダーが9.5㍉の間隙を生じてワットを失望させたが、1775年に登場した物は1478㍉のシリンダーで1.6㍉、1829㍉では1.27㍉に減りロスも減った。
それでも発生する隙間をワットは石綿やバネで埋めていたが、麻やボロ布で代用すれば良い。
大気圧に耐えるボイラーの厚みはこの時代鋳鉄で25.4㍉、黄銅で8.5㍉だったが黄銅は高い為殆ど鋳鉄だった。
鋳鉄は引張強度が低く(普通鋼鉄筋は400kNに対し150kN)1935年に登場したD51は16気圧で19㍉だった事を考えると技術、炭素量の違いはあり黄銅よりマシだが初期費用は高くならざるを得ない。
硝子に添加したり石油掘削時に泥水(業界用語でスライムという)除去に使われる硫酸バリウムも上記の傍陽や山梨の御座石、宝、増穂で採れる。
善光寺近くに1753年に記載された浅川油田が在るがその開発の一助となるだろう。
内燃機関は蒸気機関より製作難易度が高いが、重油を亜炭に添加するだけでも蒸気機関の燃費改善可能。
浅川油田は重質油なので最適と言える。
上記のコランダムが、耐火煉瓦以外にも、鋳鉄の切削加工やボーリングマシンの刃先、蒸気機関車を走らせるなら砂撒き(撒くのは酸化アルミニウムセラミックなので最悪割れた陶磁器を粉砕して代用可)に使える。
硫酸バリウムを炭素源の石炭かコークスと共に加熱した後、ソーダ灰の水溶液の中で反応させると炭酸バリウムが得られる。
BaS+Na2CO3⟶BaCO3+Na2S
硝子や釉薬、顔料等に使われるが、硫酸バリウムと異なり有害。
稲藁灰も釉薬として使えるので炭酸バリウムを作る必要性は薄い。
単体のバリウムは鋳鉄の強度や伸びを改善出来るが還元にアルミ、保存にアルゴンが必要な為再現不可能として割愛した。
※1……藤田家は2代目が慶長年間以降に盛岡へ移住した為、物語開始時期によっては初代が甲斐に来ていない可能性がある。
参考サイト
山梨県の鉱物
https://trekgeo.net/m/0ymn.htm
長野県の鉱物
https://trekgeo.net/m/0ngn.htm
PDF 蒸気動力技術略史、長野県北部フォッサマグナ地域における原油・天然ガスの地球化学
wiki
南部鉄器、コランダム、明礬、蒸気機関車、砂撒き装置、重晶石、バリウム、硫酸バリウム、炭酸バリウム。
亜炭は岐阜や東北各県で、明礬は湯の花から採取出来、仙台には水沢の南部鉄器(南部鉄器は盛岡と水沢の二派が合同した物)が居るが秋田以外油田がないのがネック。
他に再現可能なのは鋳鉄技術の質を除いて全て揃う秋田位だろう。