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太平洋戦争当時戦力化可能な技術の限界について

・戦前、戦中に概念はあったか


・周辺技術、開発環境は史実のそれに追い付いているか


 上記二点から考えると量産、戦力化出来るのは1960年代初期、せいぜい中期に量産された物までだと判断出来る。


 何故なら47年12月に開発されたトランジスタは関連技術の前倒しが出来て1925年、なければ30年代初期が限界で、開発環境も戦時中存在した機械式計算機やリレー、真空管が1970年代には姿を消している為。


 使い慣れた物が消え去り、開発環境に連続性がないので70年代以降に開発された物は滞りなく生産出来ないだろう。


 トランジスタを集積化したLSIは69年に製品化されたものの、回路の間隔が狭まった分今までは問題がなかった大きさのゴミでもショートする点を忘れてクリーン技術も進歩させなかった為、75年に製造ラインを引いた企業は最初の数ヶ月間は全滅。


 富士通は78年まで品質が安定しなかった。


 劣勢な枢軸陣営の場合、大戦後半には適切な材料が手に入らないので製造基準引き上げが必要なLSIを大戦中に製品化するのは不可能。


 インフラに目を向けると戦時中アメリカも石油燃料を軍需に振り向け国内の長距離輸送を蒸気機関車に頼っていたが、60年に電化を達成。


 英国は68年、日本は75年達成。


 生産能力は輸送時間と荷下ろしも加味しなければならないが、60年以降の米国とそれ以外は輸送能力に大差があった。


 兵器に目を向けると第二世代戦闘機は戦時中に実験止まりとはいえ作られていた。


 ただ第三世代戦闘機は、


・搭載するターボファンエンジンの特許化が36年に英のホイットルによって為された事。


・ジェット機のマルチロール化はヒトラーの頭の中にしかなかった事


・単純なジェット機の開発に予算が付くのはバトル・オブ・ブリテン敗北後なので、特許が公開されたとしても数が必要な状況でファンが追加され、より複雑になった機の量産化は難しいといわざるを得ない。


 材料のチタンは46年に焼け野原のベルギーでクロール法として考案されたので問題はないが。


 ニッケルと技術の蓄積が不足しているのでせいぜいミグ25の下位互換が試験飛行される程度だろう。


 当たり前だが尻に火が着かねば大抵の人は動かないのである。


 戦車はT-34ショックが前倒し出来ても重戦車の情報に接するのが冬戦争後。


 開発年度から見て第二世代が限界。


 それ以上の物は70年代に登場するので除外。


 最後に大戦中レーダーを開発した、英国のワトソンワット卿の言葉を引用して終わりとする。


「第三善を現場に送れ。次善は間に合わず、最善はついに完成しない」


 参考文献


 間に合わなかった兵器、連合軍の傑作兵器、駄作兵器。


 wiki


 トランジスタ、アメリカの鉄道史、主力戦車、第一世代戦闘機、第二世代戦闘機、第三世代戦闘機、ターボファンエンジン、フランク・ホイットル

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