計算機のIF 理論と技術と発想
現代の電卓に繋がる最古の計算機※1は、1623年にドイツのヴィルヘルム・シッカートが歯車式計算機を作成した事に始まる。
表示桁数は6桁で加減算と乗算を加算に変換するネピアの骨の併用が前提だが乗算も出来る物であった。
1640年代にパスカルが、1670年代にライプニッツが計算機を開発。
父親が徴税官だったパスカルが製造した物は50台作られたが高く、直しづらく、使いにくかったので売れたのが1ダース程と商業的に成功しなかった。
(歯車が一方向にしか回転しなかった為、負の数を直接計算出来なかった上にプログラム可能でもなかった。
ただ当時の徴税計算は十進法、十二進法、二十進法の混合だった点にも注意)
ライプニッツは計算機に階段式歯車※2を導入し、機械式計算機の開発だけでなく二進法を西洋数学に導入、コンピューターの計算方式にも影響を与えている。
メートル法が施行された後パスカル方式の計算機がボツボツ作られたが、機械自体の使いにくさも引き継いだので商業的に成功しなかった。
商業的に成功した世界最古の計算機は、1820年に仏のシャルル・グザビエ・トマ・コルマがライプニッツの計算機を改良して特許を取ったアリスモメーターだった。
35年に米国で継電器が発明された。
継電器は回路のスイッチと電磁石を組み合わせた物で、回路のスイッチと隣接する電磁石に電流が流れて磁気を帯びると鉄製スイッチが引き寄せられ、回路の開閉や出力制御を行う物。
この頃はON-OFFの間隔の大小を組み合わせ、電信として使われたが電流が流れなくなった後も磁気を帯びる欠点があった為、再現するには磁気の影響を受けず1910年代に商業生産されるステンレス鋼の登場を待たなければならない。
世界編と重複するが、この頃英国のバベッジ卿が解析機関を作っている。
47年に英国のジョージ・ブールが現代のコンピューター設計に理論面で必要なブール代数を発表。
51年に上記のアリスモメーターが量産開始。
74年、アリスモメーターが故障しやすかったのでスウェーデンのオドネルによって改良型が作られ、製造方法を公開した為世界中にオドネル型が普及。
80年代に入るとアリスモメーターの信頼性が向上、1915年まで製造された。
この頃から各国で送電網が整備され始めたので信頼性向上はその影響と思われる。
オドネルの計算機は改良を重ねながら1970年頃まで現役だった。
磁化が解決する10年代に回路の知識があれば、富士通が1954年に電話交換機用リレーを用いた計算機、FACOM100を製造可能※3。
同機は人では2年掛かる計算を3日で解いたと湯川秀樹が称賛している。
56年に富士通は計算速度が100の4倍になり、YS-11設計に用いられたFACOM128Bを製造している。
下記のリレー式計算機も量産可能。
1915年にルードゲート氏が設計した解析機関、1934年開発の機械式計算機、九四式高射装置と1956年開発のリレー計算機CASIO14-Aを比較すると、
寸法
1915
容積230㍑
九四式
長さ 1.50m
幅 0.58m
高さ 0.92m
重量 1.25トン
容積 ≒800㍑
14-A
長さ 1.080m
幅 0.445m
高さ 0.780m
重量 0.14トン
容積 ≒375㍑
計算速度
1915
20桁6秒
九四式
(最大6桁?)20秒
14-A
14桁6秒
※いずれも乗算、最大。
月産台数
1915
設計のみ
九四式
5台
14-A
200台
となる。
参考として1915年型に等しい性能で44年製の
ハーバードマーク1
23桁6秒
長さ16m
幅 0.6m
高さ2.4m
重さ4.5トン
容積≒23000㍑
1台
……作成年代が逆か想定が間違っているのではなかろうか。
風呂一杯と図書館や本屋の棚一列分の違いは有れど、能力が等しく大きい方が新しいというのは……。
史実では機械式以外の計算機が戦前に量産される事はなかった。
モーターの品質と性能の向上に伴い、欧米では機械式計算機の電動化が進み計算時間は10秒と半減したが日本で採用されるのは戦後。
米海軍のFCS、Mk1はレーダーと連動している事と計算補助モーターが付いてる事、工作精度が良い事を除けば九四式と大きさ、重さ、性能は変わらなかった。
指揮装置は日露戦争前後に英国で開発されていたが、早ければ黎明期のレーダーと第二次大戦時以上の性能の計算機が第一次大戦時に使われていたかもしれない。
が、そうはならず理論が計算機に応用されるのは1913年からで、スペインのレオナルド・トーレス・ケベードによって発表されたがフランス語とスペイン語で発表されたにもかかわらず世界的反響はなかった。
現実化するのは35年以降、独の土木技師コンラート・ツーゼが世界初のプログラム可能な電気式コンピューターZ1を作成※4。
同年に中嶋章が『継電器回路の構成理論』を発表。
翌年に榛澤正男と連名で『継電器回路に於ける単部分路の等価変換の理論』を発表。
これらは37年にクロード・シャノンがプール代数と等価である事を示し発展させている。
製造された計算機の殆どは二進法ではなく二五進法や十進法で計算していた。
戦中、戦後にかけて各国で製造された計算機を構成していた物はリレーや真空管、トランジスタ、パラメトロン等で一種類のみの物は少なく、一部は歯車も組み込まれていた。
リレー以外の登場年時は以下の通り。
真空管
1904年
トランジスタ
1947年※5
パラメトロン
1954年
生産性や安定性に難のある※6トランジスタは仕方ないにしても、ブール代数を導入すれば真空管を使った計算機は第一次大戦前、パラメトロンは材料の亜鉛フェライトが1930年に発明されているので、概念があればリレーや真空管、初期のトランジスタより速く低コストな※7計算機を戦前に開発出来たのだ。
※1……紀元前150年頃、18世紀レベルの工作精度を持つアンティキティラ島の機械、紀元1000年頃ビールーニーの計算機械、1200年頃の世界最古のプログラム可能なコンピューターはどれも断絶した。
※2……ナルトや伊達巻のように厚みのある歯車で、歯の幅が階段状に増減する歯車。
幅の広い歯と噛み合う歯車は噛んだ歯が一周するまで停止する。
※3……計算機の代わりに穴の位置で情報を読み取るパンチカードシステムが80年代に米のジョージ・ホレリスによって考案され、彼の会社は後にIBMの母体となった。
※4……38年完成。
※5……1925年と34年に理論が発表されたが周辺技術が存在しなかった。
※6……50年代、ゲルマニウムトランジスタの歩留りは10%に満たなかった。
※7……フェライトコアは真空管の1/200、トランジスタの1/1000の価格でトランジスタより消費電力が大きい事以外は3種に勝っていた。
参考文献
マンガで分かるベストセラー商品開発物語2
電子立国日本の自叙伝上
計算機屋かく戦えり
参考サイト
FACOM
https://www.fujitsu.com/jp/about/plus/museum/products/computer/mainframe/facom128b.html
海軍の高射装置
https://www17.big.or.jp/~father/aab/kikirui/navy_director.html
電卓戦争
https://www.icom.co.jp/personal/beacon/electronics/752/
ステンレス
https://www.casio.co.jp/company/brothers/story04/
wiki
機械式計算機、計算機の歴史、発電機、電球、プール代数、ド・モルガンの法則、FACOM、中嶋章、クロード・シャノン、ステンレスの歴史、ハーバードマーク1、パラメトロン。
影響を受けた作品。
シンジは瀕死の祖国を救おうと必死なようです。
https://www.google.com/amp/s/w.atwiki.jp/sazae_yaruo/pages/100.amp
やる夫は迷い込んだようです。
http://blog.livedoor.jp/zentotanan/archives/1015377527.html
計算速度測定時の桁数は20桁が標準らしい。
CASIOは表示画面の関係から14桁、高射装置は計算に20桁も要らないのでそのまま転載。