発明の評価前倒し~世界編~
チャールズ・バベッジ
英国生まれの発明家。
1843年に世界最古のコンピューター、解析機関を発表。
完璧主義かつ気難しい人物で、解析機関制作時に何度も作り直しを命じて技師と喧嘩。
開発の遅延と予算が膨れ上がった事から国からの支援を打ち切られ、生前に解析機関が完成する事はなかった。
復元された物は全長30m、幅10mの代物で20桁の計算を3分でこなす事が出来た。
検眼鏡も発明したが医師に渡した事も忘れてしまったという。
騒音が嫌いで近所としょっちゅうトラブルを起こし、死んだ事を喜ばれた。
ロバート・トムソン
スコットランド出身。
1845年に世界初のゴムタイヤを発明するが商業的に成功せず、1888年のダンロップが発明者扱いに。
イグナーツ・ゼンメルワイス
ハンガリーの医師。
1847年、自身の勤める第一、第二産科の死亡率の差から細菌の存在と死亡率の相関に気付き、清潔を保つよう主張するも自身を不潔と断じられたくない医学界から拒絶され精神病院送りに。
1865年、看守からの暴行を受け死亡。
ルイ・パスツールの細菌の発見により再評価。
ウィリアム・ケリー
米国生まれ。
1851年、燃料を追加せずとも空気を吹き込む事で高温になり、銑鉄中の炭素と空気中の酸素がCO2に変わり鋼を得られる事を発見したが高学歴ではない事から妻を含め周囲から冷笑された。
56年に出願。
しかし前年にベッセマーが同じ方法を出願していた為争う事に。
翌57年に勝利するも破産してしまい失意の内に病死した。
グレゴール・ヨハン・メンデル
メンデルの法則で有名、オーストリア生まれ。
メンデルの法則を1865年に発表したが
・統計学的な研究がまだ普及していなかった
・法則に従わない事例が多かった
事から相手にされず、晩年は幾つか言及されていたが本格的な再評価は死後法則が再発見されてからだった。
クリスチャン・ヒュルスマイヤー
ドイツ生まれ。
1904年レーダーを開発、独英で特許出願。
平均3㎞、最大10㎞の範囲で船舶を検知出来たが不安定な為官民問わず関心を持たれなかった。
母国ドイツでは前年にヴィルヘルム2世主導の元、英のマルコーニに対抗する為テレフンケン社が設立されたが同上の理由から無視された。
評価されたのは第二次大戦後である。
パーシ・ルートゲート
アイルランド出身。
バベッジの影響を受け、1915年に解析機関を設計(紙上のみ)
容積は230㍑と浴槽程の大きさで、実際に製作されていれば20桁の計算を6秒で行う事が出来たという。
これは1944年に開発されたハーバードマーク1と同じ性能で、近い性能の物は1938年にZ1が登場するまで現れなかった。
参考文献
知らなくても良い無用な知識の本
参考サイト
バベッジの解析機関
https://www.wizforest.com/OldGood/engine/
http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/history/babbage.html
ロバート・トムソン
https://digitltravel.com/ja/robert-william-thomson-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/
以下wiki
チャールズ・バベッジ、解析機関、イグナーツ・ゼンメルワイス、ベッセマー転炉、メンデルの法則、クリスチャン・ヒュルスマイヤー