二宮忠八の夢と周辺技術
二宮忠八が上司に飛行器開発を上申した時、国内の重工業はまだまだ発展途上……というか皆無と言っても過言ではなかった。
上申時に陸軍は剣付き金具をアルミ化し始めたばかり。
エンジンは輸入品しか存在せず、1889年創業の池貝が国産最古の石油発動機(3.5PS)を製作するのは1897年である。
ゴムは1886年に三田土ゴム、飛行機と機体構造が近い自転車はモリタ宮田サイクルが1893年に国産化している事は以前『日本の評価前倒し』の項で述べた。
周辺技術、産業は機体しか無く欧米でも成功していなかったのでGOサインを出す方がおかしい。
国産バイクが作れ、その存在を陸軍が認知している段階なら話は別だが……。
なろうチートの定番、フォードとウィルズ※1招聘もお雇い外国人の例があるので渡航・滞在費以外にフォードモーター設立費用と同額の28,000ドル(56,000円)を用意すれば雇用出来るかもしれない。
原材料の鉄は釜石製鉄所が、部品は上記の池貝が創業時に英米式旋盤を国産化し歯車その他を生産しているので単位変更も問題は無い。
東西で周波数が異なるのは1895年からなのでまずは統一が第一。
エンジンの鉄、アルミ以外についてはゴムやモスキートに用いられたバルサは台湾で育つが、日本軍に対する台湾の組織的抵抗が終わるのは1895年11月、ゴムやバルサの育成年数は5~7年なので当面は英国圏から輸入しなければならない。
機体とエンジンのすり合わせは1887年創業後に資本引き上げにより一度解散した山葉(現YAMAHA、1897年に再結成)を噛ませた方が上手く行く。
金管楽器のシリンダーがエンジン。
フルートを除く木管楽器やオルガン等木工技術が機体に応用出来る。
YAMAHAの工場があり、凧揚げ大会の催しがある浜松で開発する事になるだろう。
燃料のガソリンは東海道線経由で相良油田最寄りの袋井(袋井から相良油田までは馬車だが)から確保出来、浜松駅から南に5km進むと日本三大砂丘の一つ中田島砂丘があるので練習場所に困らない。
火災がネックだが……。
※1……C・ハロルド・ウィルズ。
冶金学者兼フォード・モーターの主任技術者。
バナジウム合金やフォード・モデルTの開発に関与したフォード黎明期を技術面で支えた人物。




