後知恵孔明~日本の戦車開発~
日本軍の装甲車は1932年に起きた第一次上海事変や翌年の熱河作戦で損耗するまで6㍉で十分と思われていた。
上記作戦でチェコのZB26や独のGew98等から発射される7.92㍉弾に苦戦したにも拘らず、九四式軽装甲車やハ号開発時にはソ連の7.62㍉弾に耐える12㍉で良しとされている。
ハ号は機動力は及第点だったが、火力と防御力不足で砲塔が狭い──棺桶としては普通だが──事が欠点だった。
八九式中戦車は火力と防御力には不満が無く、随伴歩兵の装備を尾橇に載せられる点は好評だったが大陸の追撃戦や河川の渡河には遅く、重い点が嫌われた。
後知恵ではあるが、ハ号開発時には存在しなかったがハ号のターレットリングを1mから1.35mに拡大してチハの旧砲塔を載せたケルの存在を考えると、チハと砲塔の直径が等しい八九式中戦車の砲塔をハ号に載せる事は可能だった。
砲塔は既に生産されている為試作車両を改修すれば良い。
重く、遅く、高く架橋資材も他より一ランク上の物を要求する八九式中戦車を生産するよりそこそこの防御力、榴弾火力を開発中のハ号に付与出来れば予算面、兵站面も助かるのだが……。
初期の八九式中戦車は狙撃砲を載せていた事もあり、1941年に行われた57㍉砲から一式37㍉戦車砲に換装する試験も滞りなく済んだ。
他にも短砲身の75㍉砲(九九式戦車砲と思われる)を搭載する計画があったので発展性は大きい。
四式軽戦車の特徴から考えると全周旋回出来ないのが欠点だが、固定式だった貨車山砲が活躍している為許容範囲。
砲塔大型化に伴い被弾面積も増えるが、12㍉では1500m先でM3にスパスパ抜かれるのに対し防御力や火力が強化されるので遠距離砲戦ではむしろ有利である。
日本に金がなかったのは事実だが、工夫、想像力、判断力、常識、金銭感覚、総力戦を行う意思と能力も無いと断言出来る。




