和製アハト・アハト機動化計画
和製アハト・アハト……九九式高射砲は戦闘重量5000kgの88㍉高射砲である。
戦闘重量時でも時速十数km/hで牽引が可能なので5000kgの牽引能力を持つ九二式八屯牽引車(最大12km/h)や後継の九八式六屯牽引車(牽引重量4270kgの四式高射砲を時速45km/hで牽引可能)による牽引が可能。
木鉄車輪を時速24km/h発揮可能なソリッドゴムタイヤに変更しても独の対戦車砲Pak35/36(310kg→328kg)を参考にすると予想重量は5290kg。
例え六屯牽引車が不足していても九二式八屯牽引車は八九式十五㌢加農砲(10422kg)を二車分割して牽引しているので許容範囲である。
尚独の88㍉高射砲は戦闘重量7840kg、牽引重量11240kgだが、九九式に当てはめると7168kg。
この重量を高速牽引可能な車両を日本軍は保有していないのでソリッドゴムタイヤで十分である。
九九式高射砲は39年に3門、42年以降から敗戦までに919門製造されたが、砲弾、砲兵の運搬や泥濘や爆撃痕に嵌った同格牽引車の救援や以前述べた十四年式十㌢加農(戦闘重量3155kg、70門)の高速牽引も考えると二千両は欲しい。
手元の資料には銃砲の生産価格表しか無いので予想でしか無いが、チハ(15t、15万円)を参考にすると1t1万円×6×2000両で約12,000万円。
大和型戦艦に匹敵する予算が必要。
同車は戦時中自動車工業(現いすゞ)を中心に約1900両生産された。
車格の近い車両に空冷と水冷の違いこそあれ1943年まで生産された三菱製で紙装甲の九五式軽戦車が存在する。
エンジンもメーカーも違うが棺桶でしか無いハ号の生産を早期に取り止め資材を六屯牽引車を生産している自動車工業に割り振って砲兵を機械化すべきだったと思うのだが……。
ソ連軍はT-34/85の主砲の原型となった85㍉高射砲(戦闘、牽引重量共に4500kg)を師団砲兵が16門保有していた。