革命期の仏に於ける計算機の萌芽
18世紀後半、仏王国は大砲の規格化を開始。
1786年、独、ヘッセンの軍人フォン・ミュラーが14桁計算可能な階差機関(対数表を作成する機械)の概念を発表するも工作精度と資金不足の為製作される事は無かった。
1792年、仏の数学、工学者のガスパールが人手を使い対数表を作成開始。
1793年、発明家のクロード・シャップが時計職人アブラハムム=ルイ・ブレゲと協力して腕木通信を開発。
1794年仏政府が理工科学校設立。
1795年メートル法を制定。
1801年、発明家のジャカールがパンチカードの入れ替えで模様を変える事が出来るジャガード織機を開発。
ガスパールがヘッセンの階差機関を知り、ナポレオン戦争がなければ1800年代に階差機関を造る事は可能だったがそうはならず、1820年代に英国のバベッジが再発見する事になる。
バベッジの機関は過剰性能(実用上8桁で十分だが31桁を要求)だったのでスウェーデンのベール・シュウツが1837年発表、1843年に完成した階差機関の試作機(5桁)であれば革命期の仏でも技術的に手の届く範囲だった。
但し汎用性の高い解析機関はバベッジが発想していた為、仏が造る事は不可能である。
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階差機関、ガスパール・ド・プロニー、メートル法、グリヴォーバル・システム、ジャガード織機、チャールズ・バベッジ、ベール・シュウツ