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宋王朝とパクス・モンゴリカのIF

 パクス・モンゴリカは13世紀から14世紀にかけてモンゴル帝国が外縁国家群と陸海交易により結び付いて成立した時代である。


 この頃のモンゴル帝国は1231年にホラズム・シャー朝を、1234年に金を滅ぼし、1241年には東欧でポーランド騎士団を撃破後にオゴテイの急死を知り撤退。


 二度代替わりし兄弟間の後継者争いも落ち着いたモンゴル帝国は1268~1273年にかけて南宋軍の籠もる襄陽を攻撃、末期にはイスラム製の投石機、回回砲で砲撃、粉砕している。


 ホラズム帝国を滅ぼし1206年にアル=ジャザリが記した機械技術を、金王朝を滅ぼして火薬を、1279年には南宋を滅ぼして製鉄技術と水力紡績機を獲得したモンゴル帝国は産業革命を起こすに足る素地はあったが、遊牧民族であるが故に野戦に用いる兵器以外に関心を示さず、大規模な民生品工場を建てようという発想はなかった。


 黒死病の流行で人口が減ったが、機械化に移行する事もなかった。


 モンゴルの侵入を受けた東欧ではハンバーグと活版印刷が伝わったが、兵糧として茶、人と馬の食糧として大豆、馬の飼料としてれんげ草も伝播する事はなかった。


 14世紀にハンガリーで懸架装置(革で荷台を吊るタイプ。サスペンション)が登場する。


 十字軍遠征によりイスラム世界から地中海西北部に木綿や機械工学、火薬の製法が伝わっているので、ハンバーグだけでなく宋の製鉄技術、水力紡績機や飼料作物がこの頃に定着していれば強力な輓馬に牽引され懸架装置が板バネに進化した砲と木綿に身を包んだ砲兵が活躍していたのだが……。


 百年戦争は百年もかからず14世紀中にフランスの勝利で終結していただろう。


 また、この頃イタリアでルネサンスが始まったが、古代ギリシャ、コリントス地峡を繋ぐレールと関連は不明だが1350年に完成したドイツのフライブルク大聖堂のステンドグラスにもレール上を人馬に牽かせた荷車が描かれている。


 16世紀始めには鉱山で木製レールによる鉄道馬車の原型が登場している為、上記の仮定のように馬体と鉄の生産性が上がっていれば1760年に登場するレールを鉄に置き換えた鉄道馬車は400年近く前倒しされた可能性が高い。


 蹄鉄にも反映され、モンゴルの駅伝制度のジャムチもマルコ・ポーロ他知識人や冒険家、探検家達の報告を元に構築していれば陸運に革命が起き、ペストによる人口減少とルネサンスによるギリシャ文化の評価時にヘロンの蒸気機関が再発見されていれば産業革命も起きていたのだが……。


 欧州で海外進出の原動力の一つであるお茶が珍重されるのは17世紀。


 農業生産性が上がる大豆、れんげ草の栽培方法が伝わるのは19世紀である。


 モンゴルの東欧侵攻時に鉄と作物が伝播した場合、史実より人口回復が速まり欧州による植民地支配がより迅速かつ苛烈になるデメリットの方が大きいので14世紀中に産業革命が起きなかったのは幸いだったかもしれない。


 参考サイト


 鉄道の歴史


 https://www.hp.ksweb-jp.com/contents/?page_id=52


 wiki


 ディオルコス

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