旧日本陸海軍の20㍉機関砲
陸海軍の風通しの悪さはDB601ライセンス二重契約や20㍉機関砲の互換性の無さ等が挙げられるが、今回取り上げるのは20㍉機関砲である。
陸軍は1933年に九二式重爆撃機の防御用火器としてエリコンから20㍉機関砲を購入し九四式旋回機関砲として採用。
規格は20×99㍉、箱型弾倉で装弾数は15発と少なかったが、初速は750m/sと海軍が翌年エリコンから取得する20㍉機銃(20×72㍉、600m/s)より高初速だった。
風通しが良ければ九六式艦戦に搭載して比較、弾数を増加した上で陸軍の弾を採用する事は可能で、大戦初期にB-17に史実程苦労せずに済んだかもしれない。
日中戦争時、国民党軍がマドセン20㍉機関砲(20×120、900m/s、車輪込み55kg)を対戦車兵器として使用し日本軍戦車を撃破した。
44年には僅か4~5門とはいえコピー生産している。
この機関砲の初陣はスペイン内戦で、20㍉口径の対戦車ライフルとして最優秀であり、スウェーデンのL60軽戦車の主砲としても採用されている。
100m先の垂直に置かれた42㍉鋼板、500m先32鋼板を貫通可能。
独軍が用いた2 cm KwK 30戦車砲(20×138、900m/s、Pzr40使用時100m40㍉、500m31㍉、800m24㍉)よりやや高威力だった。
榴弾威力は九四式37㍉速射砲(350m30㍉、800m25㍉、327kg)より劣るが、九七式自動砲(20×125、700m/s、60kgだが車輪無し、220m30㍉、420m25㍉)より軽く、使いやすく、高性能であった。
マドセンの対地、対空両用タイプは260kg、対空専用銃架は400kg程度。
九七式自動砲と弾薬の互換性があったが故障続出で九六式二十五㍉機銃に代替された九八式高射機関砲が373kgである。
マドセンは連合軍が用いたイスパノやエリコン、枢軸国の20×138系列よりマイナーだが、スウェーデン、スペイン、中国以外にもフィンランドやタイが運用していた。
対空機関砲を対戦車用に改修した物はラハティL-39(20×138、800m/s、49.5kg)より性能が劣ったという。
中小口径の対空、対地兼用銃砲は37㍉機銃でも何処の国でも失敗しており、例外は九三式十三㍉機銃とボフォース40㍉機関砲位である。
脱線したが、日本も情報収集能力と風通しが良く、20㍉機関砲をエリコンか出来ればマドセンに統一していれば、ノモンハンの対戦車戦闘でも南方の対空、対戦車戦でも史実程苦戦しなかっただろう。
技術的には可能だっただけに実に残念である。
九四式旋回二十㍉機関砲の初速を675m/sから750m/sに訂正。
もろこし様ご指摘ありがとうございます。