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チハファミリーと荷重限界と冶金学と兵站

 1930年代まで日本軍の架橋資材の耐荷重が16tで、39年に制式化された九九式重門橋(橋というが自走艀)も変わらない。


 上記ではチハの発展型である新砲塔チハ(全備重量15.8t)や派生型で九〇式野砲をオープントップで自走化したホニⅠ(15.9t)が上限だった。


 さて、タイトルの冶金学である。


 理研の創設者の大河内正敏は1930年に製塩時に生じる苦汁からマグネシウムを回収する技術を開発開始、35年に企業化。


 航空機向けに軽合金として卸していた。


 本作に何度も出てきたマグネシウムを添加したダクタイル鋳鉄(1949年開発)が1930年代に実用化され、ディーゼルや重油燃焼ボイラーに活用されていれば鋳鉄部分は構造解析技術も併せて進歩させる事が前提だが、30%軽くなる。


 チハの三菱エンジンや統制型12気筒エンジン(1.2t、過給器無し)や当時の日本の重油専焼缶としては平均的な性能の戦艦大和の機関(5300t)も鋳鉄部分が半分、構造解析技術の未熟さを加味しても最大10%軽量化出来るならその影響は大きい。


 戦車兵1人辺り体重58kg、銃剣付き短機関銃5.1kg、靴や衣服計65kgが5人、燃料満タン205kg(241L)、銃砲弾、潤滑油込み合計600kgとして


 九一式十榴を自走化した一式十㌢自走砲ホニⅡ


(14.77t、16.3t)


 四式十五榴自走砲ホロ(全備重量16.3tとホニⅡと等しい為自重も同一と判断)まで燃料と弾薬を減らせば渡河出来る。


 ただ一式中戦車チヘ(乾燥重量15.2t、全備重量17.2t)を筆頭に、


 Ⅳ号戦車をコピーした二式砲戦車ホイ


(15.4t、16.7t)


 九〇式野砲を戦車砲型に改修、密閉型戦闘室に半固定式に搭載した三式自走砲ホニⅢ(15.8t、17t)は走行出来るが他の行動は厳しい。


 チハ、新砲塔チハ以後の車両が量産される頃には銃砲弾の薬莢が真鍮(比重8.93の銅70%、7.13の亜鉛30%、8.393)から鉄(7.86)に代わり、弾薬筒重量が軽くなっているが、無線機の重さが九四式丙(50kg)から三式無線機甲(240kg)に増加している。


 41年に耐荷重20t以下の架橋資材も開発されたが、大戦に突入した事やチト(32t)チリ(37t)ホリ(40t)が開発された為、5基生産されただけだった。


 筆者が耐荷重16tにこだわるのは、16t上限の架橋資材を陸送するのに1.5t積みの九四式六輪自動貨車が百両必要な為。


 他国の中戦車級を多数整備したい気持ちは分かるが、周辺機材や生産能力も引き上げない限り画餅に過ぎない。


 現実は非情だ。

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