湯たんぽ他保温器具と市場
湯たんぽは七世紀唐の時代に出現したが、日本には室町時代に伝来。
似た物として遡る事10世紀頃には温石があったが、伝導性が悪く、懐炉の出現もあり江戸時代で途絶えた。
湯たんぽは江戸時代後期まで銅を薄く延ばして作っていた為高級品で、文政年間(1818〜1831)に陶器製の物が登場。
この頃は酒屋が屋号の入った徳利を貸し出すサービスを始めている。
関が無くなり鉄道が敷かれた明治時代になり本格的に普及。
これは茶碗も同様であり、窯業の熱源が薪炭から熱量の高い石炭に切り替わった事や物流コストが低下した為。
EU統合前の欧州のように所持金の半分が手数料に消えるとまでは言わないが、如何に陸送費が高いかを一部ではあるが示している。
縄文土器で口の細い物は壺、瓶位だが轆轤が伝わった飛鳥時代以降であれば製作難易度は下がる為、近隣で油田、ガス、炭田のどれかと粘土が採れ、お湯を沸かす手間が他の地域よりかからない温泉街なら史実より先に普及すると思われる。
法隆寺には7〜8世紀頃に製作された響銅(銅、錫、鉛の合金)製の水瓶が保存されている。
平安時代には神式に銚子が用いられるようになるが材質は不明。
泥炭、亜炭の燃焼温度は最高千度なので素焼き(〜800℃)なら可能で水瓶も既にある。
釉薬も草木灰で良いが、茶の湯と共に広まるのは城を任される武将や豪商、高利貸しを営む高僧等の富裕層であり、その階級は鉄瓶も購い寺は屋根に銅張りを施す為金属器より性能が落ちる湯たんぽの客層とは異なる。
職人、名主等中産階級でも買える地域は、木曽三川が流れ、瀬戸焼、常滑焼、美濃焼等が領内に有り、日本の40%の亜炭が産出、上記の熱源となった織田氏。
越前焼と炭鉱が存在し、豪雪地帯だが左記の炭鉱や温泉で溶かす手間が省ける朝倉氏。
領内に備前焼があり、銀山や製塩で国が豊かな大内→毛利位か。
磁器は薄く冷めやすいので除外。
衣類や縄、薬味に使う麻殻灰を熱源とする懐炉は湯たんぽより容積が小さいが金属性の為価格は同程度かやや上の為現実的ではない。
寄合に参加出来る土地持ち百姓は資産が各種農具に消えるので個人個人で湯たんぽを買う余裕は無い。
農具も個人が所有する湯たんぽも耐久消費財なので高価で、農業生産性を向上させて明治以前に市場を育てねばならない。
村の平均人口は400人。
5人家族として80世帯。
人口の85%が農民なので名主は約1%。
残り15%の内銅製のそれを保有出来るのは皇族、貴族、高僧、神主や商人、大名とその家臣クラスで5%程度か。
購買層は銅の倍とはほぼ嗜好品である。