第三海堡と技術投資
第三海堡は東京湾に存在する海上要塞の一つで、1892年に起工、1921年に完成したが2年後の関東大震災で被災した為同年廃止となった。
総工費は現代価格で140億(竣工時二千万)円である。
第一、第二海堡は要塞として機能し、第二海堡は戦後消防訓練に用いられたが第三海堡は漁礁になったものの殆ど無駄金になってしまった。
第三海堡建設は水深が深い事もあって建設が長期化した為、最初から建設困難としてこの金をモリタ宮田サイクル(1871年創業)や、三田土ゴム製造株式会社(1886年創業)に対してリヤカー、工事用一輪車の概念、安全型自転車の増産のお願いと共に投入した場合、合計千台程度が生産され日清戦争に間に合うだろう。
1892年当時要塞整備に国家予算の約25%、2000万円を費やしている。
軍事費は2390万なので殆ど要塞に消えている。
当時第一海堡は既に完成している為、建設中の第二海堡、由良、下関、対馬、奄美要塞と分け合う形となる。
330万程度か。
また同年に魔法瓶の概念を英国のデュワー卿が発表しており、東芝が1890年に白熱電球を生産している為、日清戦争は無理でも1902年の八甲田山行軍には試験配備可能。
日清戦争以前の予算組み換え候補として他に防護巡洋艦畝傍(153万円)が挙げられるが、保険金で代艦の千代田と千鳥を建造したので発注をしようがしまいが殆ど影響は無い※1
財務省マインドは嫌いだが他は酒税(1876年)と所得税(1887年)法人税(1889年)の早期導入位か。
日露戦争には日清、北清事変の賠償金で生産体制にブーストがかかるが関連は薄いので省略。
※1……千鳥は他船との衝突事故で沈没