電信以前の遠距離通信手段と天気予報
電信登場以前の人類は有史以前に音響、狼煙を。
早馬や伝書鳩、発光、旗旒信号を紀元前に活用していた。
日本では飛鳥時代に早馬。
室町時代に狼煙や人、犬を用いた伝令を活用し、江戸時代は綱吉の代(在任期間は1680〜1709年)に旗振り通信を行っていたという伝承が残っているが文献記録は1743年が最古。
4〜22km毎に中継地点を設け、好天時の通信速度は720km/h。
後世スモッグの立ち込める中行われた再現実験では、一部トランシーバーも活用しつつ167kmを2時間17分かけて伝達している。
無線を使っているなら正確な再現ではないと思われるだろうが、トランシーバーは電池が古いか充電が乏しくなると雑音が強くなるので差し引きゼロである。
大阪から江戸まで約500kmを飛脚抜きで1時間40分、込みで8時間かけて伝達していた。
旗振り、発光信号以外は速度が遅い(鳩60km/h、人馬15km/h)か詳しい情報が伝えられない(狼煙)上に夜間は使用できない欠点があった。
特性を述べたのは地域により電信登場以前でも天気予報の真似事が出来る為。
日本周辺の夏以外の低気圧の速度は時速40km/h。
夏30km/h。
夏以外福岡の雨が翌日の東京に降る計算である。
中緯度帯では『朝焼けは雨、夕焼けは晴れ』の伝承は共通だが曇天では火災と判別がつかず、変事の場合だけ通報すると火事場泥棒を呼んでしまう。
1日の人畜船の移動距離は、軽装の軍隊で50km。
代え馬を使わず連日使う馬車が50〜60km。
江戸時代の街道を徒歩で32〜40km。
ローマ軍や旧日本軍は25km。
千石船は毎時7.5ノット(約14km/h)=333km。
カティーサークのライバルで史上最速の帆船サーモビレーは3日間時速16ノット(約30km/h)を維持し続けた為711kmである。
台風が北緯20度(フィリピン──台湾間のバシー海峡や沖ノ鳥島等)にある時うねりが九十九里まで届く。
このうねりは土用波と呼ばれ恐れられた。
東北以北から南下する船や玄界灘から東シナ海、瀬戸内海から豊予海峡や鳴門、紀淡両海峡を南下する船に土用波の警告を出すのが精一杯であるが、漁港には気象、海象観測の為日和山と呼ばれる山があるので旗振り通信設備に転用出来る。
望遠鏡を開発したら通信網を整備しよう。
同時期の欧州では腕木通信と呼ばれる風車の塔に複数の腕が別々に稼働する信号機を開発。
ナポレオンは24時間以内に千km先の情報を得ていたが、これはモンゴル帝国に比肩した。