脚力と水車と木工他
日本では弥生時代に足踏み精米が、8世紀には足踏みたたらが存在しているが脚力の用途が拡大したのは明治以降。
江戸時代にも1661〜73年にかけて踏車が登場し、元禄年間にもシーソー式足踏み精米と天秤鞴が導入されたが踏車は大正時代に石油発動機、精米は1764年以降、天秤鞴は1830年頃水車に置き換わった。
海外では1780年代に足踏み旋盤と脱穀機が、糸鋸はミシンの産業化に貢献したアイザック・シンガー(ミシンの発明者は彼以前に大勢いた)により1849年に特許が取られている。
ペダルの上下運動をクランクで回転運動に変え、はずみ車で高速化した後再度クランクに変換する事で両腕の1.5倍の力かつ高速で部材を切断出来たのである。
幅の狭い鋸は1500年頃独で発明され、日本は生産性は劣悪だが鋼の品質は良く、クランクは漢代には既に存在し、製縄機と説明は重複するが糸車もあるので製造ハードルは低い。
1875年に田中久重の弟子伊藤嘉平治が足踏み旋盤を国産化。
国産ミシンは1881年、筵織機は1900年、製縄機は1905年、脱穀機は1910年に登場している。
水車動力による製材はペストにより人手不足に陥った中世ヨーロッパで発展していた事を考えると、日本は水車は三百年、木工及び農業分野の脚力の利用は百年は遅れていたと見て良い。
以前人力車の項で述べた新製陸舟車が発展しなかった事もそれを裏付けている。
陶工用だが足蹴り轆轤は朝鮮出兵後でなければ伝来しないので現場に発想があるか疑問だが、まず木工に足踏み旋盤と糸鋸の導入を図るべきだろう。
初期費用は高いが、水車による製材もセットで行うと尚良い。
降水量の少ない瀬戸内の平野部では水車動力の導入は厳しいが、落差が稼げる山間部は別。
牛馬犂、備中鍬、唐箕等の農具や洗濯板等の日用品、人口増に対応した木椀やプレハブ住居、コンクリ型枠や造船等木挽工程から手を加えない限り上記チートアイテムの導入、普及はスムーズに行かない。
足踏みでは無いが1589年に英国で編み機が発明されている為、旧式かつ時期も遅いが1600年に漂着したウィリアム・アダムス辺りから入手する事も可能。
製縄機以外に脚力を用いた一般向けの道具としては上記の筵編機が挙げられる。
それまでは二人がかりで熟練者でも一日に三枚織るのが限界だったのが足踏み式は一人かつ並みで十枚。
二十枚織る熟練者も居た。
茅、葦等植物の種類により孔のサイズは異なるが、従来より植付けが早まり反収が増えた米や塩その他を詰めるのに今までのやり方では到底追い付かない為、農具共々導入しよう。
叺(筵を二つ折りにして縁を縫い袋状にした物)は北前船が北上する際加賀で買い付ける上に日本海沿岸部は豪雪地帯なので、収穫後に雪で物流が途絶える前に数を揃えられる筵編み機の需要は極めて大きい。
大漁が続いた大正時代には電動化もされており、生産性は熟練者の扱う足踏み式の倍であった。
参考サイト
旋盤
https://www.toyoas.jp/news/toyoasnews/tnews000001.html
稲藁の利用
https://kameyamarekihaku.jp/sisi/MinzokuHP/jirei/bunrui4/data4-1/index4_1_1_9_4.htm
昔の農業と生活
莚と莚織りの技術――山口県下松市西谷を中心に
むしろうち
wiki
ミシン 水車、糸鋸盤、クランク他