輜重車とリヤカーと兵站
旧日本軍が運用した荷馬車の主力は、明治39年に制定された馬一頭が牽引する三九式輜重車(積載量甲187.5kg、乙212.5kg、全備重量370kg、4.5km/h)だった。
甲は一般の弾薬糧秣、乙は鉄船運搬用の為甲が主流。
1921年に開発された通常型リヤカーの積載量は300kg。
34年に制式化された九四式六輪自動貨車は路上2.5t、路外1.5t。
リヤカーは車体が鉄の場合自重が40kgで、体格が向上した後の自衛隊員が未舗装路を8人がかりで250〜300kgに達した同車を運用している為実際の積載量は甲型の1〜4割増しと見て良い。
明治時代の車夫は軸受がボールベアリングではない人力車約200kgを時速10km/hで引っ張っていたので重心の差も大きいのだろう。
脱線したが35年の価格は12円60銭。
同年の輜重車の価格が甲186円、乙218円。
駄馬具114円。
三九式輜重車の調達は日中戦争後も続き、37年末時点で300円に上がっている。
リヤカーも同じとして約20円。
38年末に生産が開始されたトヨタのGBトラック(2t積み)は3200円である。
既に九四式六輪自動貨車や積載量450kgの九六式輜重車が存在しているのでこの時点でリヤカーに置き換えるメリットはあまり無いが、トラックの国産化が始まったばかりの1925年に実施された宇垣軍縮の時に輜重車をリヤカーに置き換えていれば浮いた金で史実より近代化出来た。
25年当時の価格は不明だが30年は25円。
満州事変の時現地で購入した1t積み2頭立ての荷馬車は281円、何輪かは不明だがトラックは1800円。
積載量と価格が比例している為(九六式輜重車の戦時価格は700円だった)200kg積み輜重車が50円台としてもリヤカーは4割で済む上に場所を取らない。
大正時代から高品質な自転車を輸出しており開戦時には自転車を5万台配備していた事を考えると何故置き換えなかったのか疑問符が付くのだが……。
参考PDF
『満州事件費はどのように使われたか』(1)(2)
『九六式輜重車制式制定の件』
他