氷砂糖
空が青い。
帝都の高い城壁を出ると風景は一変する。
家はまばらになり、やがて田園風景が終わると森に入っていく。
急ぐ行程ではないので、その前に川のほとりで一度馬を休ませる。騎兵は十騎ほど。皇太子の同行としては人数は少なめだ。
「フィリアは乗馬も上手だね」
馬の轡をとりながら、アルバートがフィリアに話しかける。
アルバートの馬は美しいたてがみを持つ白い馬。まるで絵本の王子さまさながらだ。
「久しぶりなので、少し足が痛いですね」
私は苦笑しながら、馬の背をなでる。
私の馬は鹿毛。明るい赤褐色だ。名前はアカ。我ながら、安直なネーミングだけど、呼びやすいのが一番だと思う。一応、軍馬にもなれる訓練を受けている。これは、父からの誕生日プレゼントの馬なのだ。
領地にいた頃は毎日のように馬に乗っていたけれど、さすがに帝都に住むようになってからは、あまり遠駆けに出ることも少なくなった。
使用人や兄達が面倒を見てくれているから、アカが運動不足になることはないのだけれど。
「さすがフィリアさま。見事な手綱さばきでしたよ」
髭もじゃのフォロス団長が私とアルバートに携帯用の椅子で休むようすすめる。
他の騎士たちは立っているから、すごく申しわけないのだけれど、訓練した軍の騎兵についていくのは大変なので、遠慮なく私も座らせてもらう。
いざという時に足手まといになるよりは、ここで少し甘える方が迷惑にならない。
「それにしても、思った以上に慎重な行軍ですね」
もちろん皇太子が一緒なので、警戒するのは当たり前と言えば当たり前なのだが、隊列も思った以上にしっかりしている。
ただ休憩しているだけに見えるこの時間ですら、アルバートはしっかり騎士たちに守られており、襲撃に備えているかのようだ。
「フィリアにはそんなこともわかってしまうのか」
アルバートが苦笑した。
「普通の令嬢でしたら、ついてくること自体が無理だろうに」
「カルニス辺境伯のご令嬢ですから、当然でしょう」
フォロス団長が得意げに髭をなでる。
なぜ、団長が得意そうなのかはわからない。
「フィリアさまは、七つで、魔狼を私と一緒に狩りに行った実績がありますからな」
「えっと。すみません。その節は」
私は慌てて頭を下げる。
魔狼が見たくて、父を訪ねてきたフォロス団長に頼み込んで強引に狩りについて行った。
無論、一緒に行っただけで、狩ったのはフォロスで、私ではない。周囲に多大な迷惑をかけた冒険譚である。
「実は、最近、少々キナ臭くてな」
アルバートが肩をすくめる。
「帝位継承の件ですか?」
アルバートが皇帝になることを反対する勢力に心当たりはない。
帝政は安定しており、アルバートの次に継承権を持つ皇帝の弟グリス大公は誠実で野心の薄い人だ。ただ、私が知らないだけということもあり得る。
「グリスル帝国ですよ」
フォロス団長が横から口をはさんだ。
グリスル帝国は、海の向こうの国で、近くないわけではないけれど、私はあまり知らない。交易もあまりしていないはずだ。
「グリスル帝国は、うちとベリテタの同盟になんとかひびを入れたいらしくてね」
「つまり、ベリテタ王国を狙っているということですか?」
「ああ。いまのグリスルの皇帝はかなり野心家らしくてな」
アルバートが苦笑する。
グリスル帝国とベリテタ王国は大陸こそ違うものの、かなり近いらしい。かの国は最近、海軍をかなり強化しているという情報だとか。
ベリテタ王国が侵攻を受ければ、当然ランデール帝国も参戦する。
それがともに魔の森を境界とする国同士の『取り決め』だからだ。
「おおかた、こちらの大陸への足掛かりにしたいと思っているのだろう。魔の森についてはたいして何も考えていないに違いない」
アルバートはため息をつく。
「リンデルの森は特殊だ。隣合う国がお互いに領土を主張するわけでもなく、共闘してその森が広がらないようにしている意味など、彼奴等は考えていないに違いない。あるいは、リンデルの森を『消せる』と思ってすらいるのだろう」
「リンデルの森の恐ろしさは、その境界に住む者にしかわからないでしょうからね」
なぜ、我が父カルニス辺境伯が『英雄』と今も呼ばれ続けているのか。
辺境領を維持し続けることの大変さと意味を、海の向こうから眺めている国がわかるわけがない。
「全くだ。奴らから見れば、『魔石』を算出する『森』くらいの認識なのだろう」
アルバートの言うとおり、リンデルの森は希少な『魔石』を多く産出する。森が大きくなれば増え、小さくなれば減る。森の『瘴気』と密接な関係があるのではないかと言われているが、確かなことはわかっていない。
「ああ、それで、スパルナなのですね」
ようやく納得した。ベリテタとしては内外に両国の同盟を大きく喧伝したいのだ。
「そうだ。うちとしてもスパルナが飼育できると実績を作れば、ゆくゆくはスパルナ騎兵を数騎常備できるかもしれない」
スパルナ騎兵はなんといっても、『空が飛べる』。その移動力は群を抜いていて、各国は喉から手が出るほど欲しいものだ。
ただ、その飼育に関してはかなり難しいことと、もともとの頭数の少なさを考えると、ベリテタ王国以外でそれを組織するのはかなり難しいだろうけれど。
「だからフィリア、今のうちにしっかりと休んでおいて。頼りにしているから」
アルバートは言いながら、ポケットから瓶に入った氷砂糖を取り出した。
「アルバートさま?」
「口を開けて。フィリア」
「へ?」
意味が分からずポカンとした口に、甘い氷砂糖が入ってきた。唇にアルバートの指が少しだけ触れて、びくりとする。
どうやらアルバートが私の口に直接氷砂糖を放り込んだのだ。
舌に広がるダイレクトな甘み以上に、自分の唇に触れた指先を意識する。
「甘いものは疲れが取れるからな」
言いながら、アルバートは自身も氷砂糖を口にして、指を軽く舐めた。
悪戯っぽく笑うそのしぐさに、思わず全身が熱くなる。
「……お子さま扱いしないでください」
私は思わず顔をそむけた。
アルバートとしては雛に餌を与えるような軽い気持なのかもしれないけれど。
コホン、と咳払いをしたのは、フォロス団長だ。
「殿下、約束違反として、辺境伯に言いつけますよ」
「ひょっとして、カルニス団長だけでなく、お前もグルなのか」
アルバートが大きく息をつく。
「身内ではないから、より忠実ですよ、殿下。知っているのは私だけですがね」
言っている意味は全く分からないけれど。言葉のわりに、フォロス団長の目は少し楽しそうに見えた。
疲れた時の氷砂糖っておいしいよね……