宿題って何ですか?
とりあえず兄は、私がアルバートの補佐をすることを仕方なく承知し、細部を詰めた。
本当は黒騎士団と私が行動を共にするのは嫌だったようだけれど、青騎士団の団員を割くわけにはいかないから仕方なく納得したようだ。
ちなみに黒騎士団は、四十歳のフォロス団長が率いていて、兄はフォロス団長を尊敬している。
団長がアルバートを守ることは納得できるのだが、そこの中に、未熟な私が追加されると『何かしでかしそうで怖い』ってことらしい。
何かしでかすって、私はそんなに常識外れではないと思うのだけれど。
「ところで、デリンド公女は、今回の件は何とおっしゃっているのでしょうか?」
コホン、と兄は咳払いをする。
「そもそも今回の案はジニアスがしたものだと言ったろう? エイミーは裏方の仕事をすると言っている」
「公爵さまはなんと?」
「そのあたりは、ジニアスに相談しながらやっていく」
アルバートはちらりと私の方を見た。
なんだか、私が同席しているとすごく話しにくそうな感じだ。
「私は席を外した方がよろしいですか?」
「いや、フィリアが席を外す必要はない」
兄が首を振る。
「殿下が何を考えているのかは存じませんが、表面に見えているものが全てです。そこがクリアされぬ限り、私は絶対に許しません。当然、父もです」
「わかっている」
アルバートが頷く。
「宿題を片付けるのには、順番が必要だ。俺一人の問題ではない。後々の傷にならぬように、慎重に行っている。全ては、無論宿題を片付けてからだとわかっているよ。辺境伯の怒りを買うような真似は決してしないと誓う」
「……どうだか」
兄は肩をすくめた。
「そもそも形式を整える前に、父に話をもちかける時点で、我らは怒りを感じておりますから」
「俺だって、順番は守りたかったさ」
アルバートがため息をつく。
「こっちはどうやったって、時間のかかることだ。個人の問題だけではすまない。それを無視して進めることは誠実とは違うだろう? だいたい待っていたら、間に合わない可能性があった」
「それは承知してはおります」
「宿題は必ず片付ける。誰にも泥はかぶせない。あえて言うなら、俺がかぶる」
「こういっては何ですが、殿下は物好きだと思いますよ」
兄は、諦めたように頷いて、なぜか私の方を見る。
「ハワード兄さま?」
「いや、なんでもない」
兄はゆっくりと首を振った。
それにしても、先ほどから話題に上がっている『宿題』とは何のことだろう。
どうやら父がアルバートに何か要求している事みたいなのだけれど、国防に関することなのだろうか?
辺境伯というのは、国では重要な地位にある。皇族には絶対の忠誠を誓ってはいるものの、それなりに意見が言える立場だ。
国境警備に関して何らかの問題があって、皇太子が即位したのち、変わらぬ支持をしていくために何か要求しているようなことがあるのかもしれない。それも、アルバートと何らかの取引をして。
いったい何の取引をしているのかとても気になるけれど、辺境伯である父と皇太子であるアルバートの間での取引だ。機密事項なのかもなあって思う。
もっとも、兄も、兄だけでなくウエルズも知っているのだから、それほど機密ってわけではないのか、それとも軍部にかかわることなのかも。
いずれにせよ、父とアルバートの間に何かあるのだろう。
それもかなりアルバートの方に難題が降りかかるような形で。
打ち合わせが終わると私とアルバートは黒騎士団の事務所へと向かった。さすがに馬車に乗るほどではないが、それなりに離れているので距離がある。
私とアルバートは並ぶようにして三つの騎士団の共有の憩いの場である庭園を歩いた。
時折、アルバートに気づいた兵たちが直立不動でこちらに敬礼をするので、一緒にいる私はそれなりに居心地が悪い。
「フィリア、足が痛いのか? それとも疲れたのか?」
「いえ、大丈夫です」
私がアルバートから意図的に数歩下がろうとしたのに気づいたらしい。
優しい瞳に胸がドキリとした。
「その……殿下と一緒だとどうしても兵たちの視線が気になってしまって」
「ハワードと一緒でも同じだろう?」
「基本、兄とここを歩くことはございませんし」
私は苦笑する。そもそも軍の施設に出入りする用事がないのだ。
青騎士団に知人が多いのは、帝都にあるうちの屋敷に兄が部下をよく連れてくるからであって、私が兵舎に顔を出しているからというわけではない。
「そうか。でも、悪いけれど、慣れてもらわないと」
にこり、とアルバートが微笑む。
そうか。使節団が来ている間、私はアルバートの補佐だ。兵に限らず、注目を浴びるのは当たり前だ。
「努力はいたします」
あくまでも私は視野の隅っこに入ってしまっているだけで、私が注目を浴びているわけではないのだ。エイミーの相談役の時と同じと言えば同じなのだけれど。
やっぱり、アルバートの隣にいること自体に、後ろめたさのようなものを感じているからなのかもしれない。
「ねえ、フィリア」
アルバートは私の顔を見る。
「フィリアはもう覚えていないことだろうけれど」
アルバートは少しだけ寂しそうな顔を浮かべた。
「俺は、いや、エイミーもだな。未来を諦めていた時期があった。周囲の期待と理想に苦しめられて、自分自身がなくなってしまうような……そんな気がしていてね」
アルバートは私と歩調を合わせ、ゆったりと歩く。
「ちょうど、エイミーの相談役になったばかりのフィリアが言ったんだ。『自分は自分にしかなれない』って」
そんなこと……言った気がする。
ただ、それは誰かに向けての言葉ではなく、私自身へのものだ。
「自分にしかなれないからこそ、諦めることも、夢見ることも自分で納得できる形を探すしかないんだって」
ベリテタ王国出身の母の血を引いているからこそ、私は周囲から浮いてしまうことが多い。
英雄の娘として求められるものと、貴族の子女として求められるものは全く違っていることが多くて、そのことでどうしたらいいのかわからなかったこともあった。
親や兄は私を肯定してくれたけれど、同世代の子女の間に入れば、価値観の違いに戸惑ったことは一度や二度ではない。
「俺はね。その言葉で目が覚めた気がした」
アルバートは空を仰いだ。
「決められた道を歩いていくことが当たり前のように思っていて、それに抵抗する気もないくせに、不満だけ募らせていたことに気づいた。諦めるなら、自分が納得して諦めるべきで、それを人や立場のせいにしてはいけないということにね」
「アルバート殿下……」
「俺は俺自身にしかなれない。できるだけ『良き皇帝』になれるように努力はしたいと思ってはいた。だが周囲の期待のためだけではなく、自分がそうなりたいからだと気づいた」
アルバートは柔らかく微笑む。
「たとえ結果は同じでも、決められた道を受け身で受け入れるのではなく、一度抗ってから、納得することも必要じゃないかと考えられるようになった──フィリアのおかげだ」
「それは……殿下がお一人でたどり着かれた境地です。私自身は、それほど難しいことを考えていたわけではありませんから」
謙遜でもなんでもなく、そう思う。
だって、私とアルバートでは背負うものの大きさが全然違うのだ。
「だからね。いろいろ頑張ろうと思っている」
アルバートはコホンと一つ咳払いをする。
皇帝になるまで、あと一年。やらなければならないことが山積みなのだろう。スパルナの訓練だけではなく、政治に関することも彼は背負っていかなければいけない。
「……ところで、父との宿題って何なのですか?」
答えられないことかもしれないな、と思いつつ質問する。
「秘密。今はまだね」
アルバートは笑い、いたずらっぽくウインクをしてみせた。