約束
一通り打ち合わせが終わると。
「ところで、僕と義姉さんは、これから財務大臣と料理長を交えて晩餐会の打ち合わせなのでそろそろ失礼させていただきますね」
ジニアスがエイミーと示し合わせて、立ち上がった。
「おい、ジニアス?」
なぜかアルバートも聞いていなかったようで、目を丸くしている。優秀な彼にしては珍しい。
「では──」
「フィリアは、殿下と一緒に騎士団と打ち合わせをした方がいいわ」
一緒になって帰ろうと立ち上がろうとしたら、エイミーにダメよと止められた。
「騎士団?」
「青騎士団は三日後には出立いたします。話を通しておかないとまずいと思いますよ」
「ああ。そうだな」
アルバートが思い出したように頷く。
「ですが、急に行って大丈夫でしょうか?」
「殿下に文句を言う方がおかしいですから。まして、ハワード・カルニス団長が、カルニス嬢が訪れて怒るわけがないですよ」
そうだろうか。何か後で怒られそうな気がしなくもないのだけれど。
「では僕たちはこれで」
二人はにこやかに微笑んで、部屋を出て行って、部屋には、私とアルバートの二人になった。
もちろん、使用人がいるから二人きりというわけではないのだけれど。
「マカロンは十分に食べたか?」
「えっと。はい」
アルバートが私の表情をうかがうようにのぞき込む。まるで幼子だと思われているみたいだ。
「まだ残っているけれど、お土産に持って帰るか?」
「いえ、あの……そこまでは。宮廷のみなさまでお召しあがり頂く方が良いかと」
食べかけのお菓子ならともかく、マカロンなら手も口もつけていないから、他の誰かも食べやすいだろう。
会議に来たはずなのに、お土産をもらって帰るなんてしたら、さすがに食いしん坊すぎて、父の名に泥を塗ってしまう。
マカロンは美味しかったけれど。
我がカルニス家は、田舎者ではあるけれど、誇り高き英雄の家門なのだ。そこまでお菓子に執着しては、みっともない。
「そうか。それなら遅くならないうちに行こうか」
アルバートは立ち上がると、私に手を差し伸べた。
思わず、その手を取りそうになったけれど。
「殿下。臣下にエスコートは不要です」
私は失礼にならぬよう、ゆっくりと首を振る。
アルバートは紳士だ。きっと、反射でしてしまったことだろうけれど、私は臣下として行動を共にするのだから、エスコートされて歩くのはおかしい。
まして、アルバートはエイミーの婚約者だ。変な噂が立ったら困る。
「フィリアは、本当に律儀だな」
アルバートは苦笑する。
「では、せめてとなりを歩け。一歩下がって歩かれては、話もできない」
「……わかりました」
私はアルバート共に部屋を出る。
「馬車を用意させているから、少し庭を回っていこう」
「はい」
宮廷の庭はひろく、今はバラが最盛期だった。色とりどりの花が咲いている。
「見事なバラですね」
「そうだな。それにバラは香りもいい」
アルバートが優しく微笑む。
改めて思うけど、彼は長身だ。
女性としては背の高い方である私でも、見上げる必要がある。
だけど不思議と威圧感はない。身体の大きい親や兄を見慣れているからだろうか。それともアルバートの表情がいつも柔らかいからだろうか。
「フィリアはエイミーと本当に仲がいいな」
アルバートの目が優しい光を帯びている。
「あまりに仲が良すぎて、妬けるほどだ」
「ええと。すみません」
私は恐縮する。そういえば、後半はずっとエイミーと思い出話をしてしまった。
「殿下もお忙しいのに、議題とは関係のない話をしてしまいました」
「それは別に構わん」
「でも」
アルバートはかなり激務だ。来年に戴冠することもあって、現在では政務のほとんどを行っている。
「大まかな目安は出来た。フィリアが手伝ってくれたおかげだな」
「私は何も」
進行はほぼジニアスがしていたし、実際に裏方の人を動かすのはエイミーってことを確認しただけだ。
結局、私はマカロンを食べていただけのような気がする。
「思った以上にスパルナに詳しくて助かった」
「それは良かったです」
母がフログスタン出身なことと、辺境育ちゆえに実物を見たことがあるというだけだから、それほど詳しいことを知っているわけではない。
それでも、何か役に立てたのなら嬉しいと思う。
「スパルナに乗ったことはあるのか?」
「大昔に一度だけ。母の従弟が領地に来た時にのせてもらいました。まだ子供の頃ですけれど」
それほど長い時間ではないけれど、少しだけ空を飛んだ。
ほぼしがみついていただけだけど、家が小さくなって、魔の森を上から見下ろした記憶は、今でも覚えている。
「どうだった?」
「怖かったですよ。高いですし、スピードも早くて。でも、もう一度があれば乗ってみたいです。今なら、もう少し景色を見る余裕があるかなって思いますから」
「フィリアでも怖かったのか。俺は大丈夫かな?」
アルバートがおどけた顔をする。
「スパルナの騎兵はエリート中のエリートだろう? 騎兵になるには少年のころから訓練が必要だと聞いている。俺はもうすぐ二十歳だ。訓練するには遅いし、そもそも期間もあと一年しかない」
表情は明るいけれど、ほんの少し不安の色がにじむ声。
戴冠をして国を背負うプレッシャーがただでさえあるというのに、余計なパフォーマンスを要求されて、多少なりとも不安を感じても不思議ではない。ベリテタ側はそこまで深く考えて提案した訳ではないだろうが、一度きりのことなのに負担が大きいのも事実だ。
「大丈夫ですよ、殿下ならきっとできます」
アルバートはランデール帝国でも指折りの剣の使い手だ。
運動能力の高さは折り紙付きである。魔力も高い。能力的な問題は全く感じられない。
「それに別に無理をして乗りこなす必要もありません。戴冠のセレモニーはあくまでベリテタ王国との強固な同盟を印象付ければいいのですから」
ベリテタ王国の王族だって、必ずしも乗りこなしているわけでない。
スパルナはレンタルではなく贈与品らしいけれど。そもそもベリテタ王国以外での飼育実績はなく、乗る以前の問題も山積だ。
「そうだな」
ふっとアルバートの顔が柔らかくなった。
「フィリアはいいな」
「え?」
「弱気を見せても失望しない。かといって、俺を無条件で甘やかすわけでもない」
アルバートの手が伸びて、私の髪に触れる。
それだけのことなのに、心臓が早鐘を打ちはじめた。
「大丈夫。フィリアに失望されないように頑張るよ」
「……はい」
顔が熱い。
深い意味はないのに、勝手に動揺してしまった私は、慌てて表情を消そうと努力する。
実際のところ、私が失望しようが感動しようが、アルバートにとってはどうでもいいことのはずだ。
あえて言うならば、私は政治的に重要な辺境伯の娘ということくらい。
それだって影響力があるのは『父』であって、私ではない。
「フィリア?」
「空を飛ぶことはとても素敵でした。殿下も気に入られると思いますよ」
私は慌てて、笑みを浮かべる。
「そうか」
アルバートは頷く。
「では飛べるようになったら、フィリアを乗せてやるよ」
「それは楽しみですね」
「ああ、約束だ」
その約束が大きな意味を持つことになるとは、その時、私は考えてもみなかった。