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4 『雨、肌寒き邂逅』

 昼下がりに降り出した雨は夜になっても止むことはなく、ひっきりなしに雨粒が地面を打ち付ける。

 泥のようにぬかるんだ地面は荷馬車の車輪を捕らえやすく、容易に通行不能となる恐れがある。

 ましてや、夜間には魔物や盗賊の襲撃に遭う危険性が昼間より大きい。そのため、こういった真夜中の大雨の中では、布と簡易な木の骨組みで作られた屋根付きの荷台で即興のテントとし、夜営をするのが誰の目にも明らかな定石であった。


 しかし、そんな中で無謀にも荷馬車での移動を敢行する者たちがいた。


「――なァ、これで明日中にはフルコースに着けっか?」


「そうですね、土砂崩れでも起きてない限りは」


「ま、俺とあの()()()()()のわがままだからな。トラブルが起きたら、俺が何とかしてやる」


「あの人をクソババアと呼べるのは、()()さんだけだと思いますけど。……でも、頼もしいです。どんな軍隊と共にいるより、貴方が側にいた方がずっと安心ですから」


「気持ち悪いこと言ってんじゃねェ!!」


「ふふ」


 照れ隠しに怒る壮年の男の声を聞いて、御者の青年は頬を緩ませた。


 22歳の若い人間の男性は商人で、普段は交易都市国家『フルコース』を中心に旅をしながら商いを行っているが、今回はある人物の輸送を依頼され、アコンパーニュ王国の首都マリネへ往復の旅をすることとなった。


 ある人物――壮年の男は漆黒の体毛、筋骨隆々の体つきで――4本の髭をたくわえたネコの顔つきをした『黒猫族』の1人。逞しい毛皮の体格に堅牢なる鎧を纏い、側には『豪剣』の二つ名に相応しい魔導鋼製の大剣が置かれている。


 彼がマリネへと赴くことになった理由は次の通りである。

 交易都市であるフルコースは大陸の中心に位置し、旅商人や貿易商などが往来することで栄えているが、フルコースの市長が長年をかけて開発した遠距離移動装置『ポータル』を両都市に設置し、より簡易に都市間を往来できるようにする事業が立てられた。

 最初は実験的なもので、転移には両場所の認可が必要だったり、莫大なエネルギーが必要だったりするが、それでも将来に向けての大事な一歩であると市長は考えていた。

 しかし、利権を巡って貴族や商人たちの反対、護衛を請け負う傭兵団たちの反対も起こり、2階建ての建物ほどの大きさを持つポータルの建造は、政治的にも物理的にも妨害されてきた。


 そこで、市長は都市の()()()()を遣わしたのである。

 黒猫族の男の任務は2つ。『建設作業現場の警備』と『建設反対勢力の雇った反社会的団体の間引き』である。


 果たして彼は、見事に市長の依頼を成功することができた。

 『豪剣』の名を恐れて夜間に建設現場に現れた曲者は1人もおらず、反対勢力に雇われた地元マフィアも彼の『交渉』によって大人しくなった。


 彼がマリネに到着して9日後の朝、ポータルはつつがなく完成し、2人はフルコースへの帰路につくこととなった。

 そのまま順調に進めば野宿をし、明日明け方には余裕を持って到着できる――はずだった。

 彼らは不幸にも、マリネ付近の森に居座る山賊団を()()()()()()()()のである。


 本来、マリネ付近の犯罪者はマリネの警察や騎士団に任せておけば良いものである。

 しかし、見つけてしまった手前、黒猫族の男には『見過ごす』という選択肢は残されていなかった。

 今にも女性の衣服を剥ぎ取ろうとした山賊をなぎ倒すと、女性は『娘がさらわれて……』と助けを求めてきた。

 黒猫族の男はため息をつきながら、生かしておいた山賊の1人からアジトの場所を聞き出し、そのまま乗り込んで誘拐された女性たちを救い出した。


 山賊団と誘拐された人たちを地元警察に引き渡した時、もう時刻は午後となっていた。

 雨も降り出したが、一度でも止まれば明朝に間に合わない。

 2人は急いで馬を走らせたのだ。


「ちくしょう、なァにが『11日の正午(今日は緑の月10日)までに帰ってきてね♡』だよ、あのババア……こんな雨の日に急ぐ羽目になったのは全部アイツのせいだ」


「市長は、団長さんのためを思って言ってるんですよ。ほら、明日は団長さんの誕生日じゃないですか。当日に()()の皆さんに貴方を祝って欲しくて、午前中に帰ってもらいたかったんですよ」


「いーや、違うね。あのドS女、俺が困るのを予想してああ言ったに違いねェ。大体現場に到着した時にゃ、完成予定が15日って聞かされてたんだ! どーなってやがる!」


「でも、団長さんが手伝ったり、予想以上に作業が捗ったりして、今日の朝には終わったじゃないですか。それに、あの予定は多少の妨害を考慮してのことです。団長さんは、素晴らしい仕事をしたと思いますよ」


「チッ……なまじ間に合うように手伝わなけりゃよかったなァ。それに山賊のクソ野郎どもがいなかったら……」


「見過ごしてればよかったんですよ。善意で団長さんが関わるからですね」


「見過ごせるか馬鹿野郎!!」


「そうですね、それでこそ団長さんです。だからこそ、僕も寝る間を惜しんで貴方のために馬を走らせられます」


「女々しいこと言うんじゃねェ、ウチのヤツらみてーによォ!!」


「ハイハイ」


 本音だが少しクサいセリフを吐いてしまった青年は少し恥ずかしがりつつ、もっと恥ずかしがっている『団長さん』の態度に微笑みを浮かべた。

 普段はぶっきらぼうな態度をとるが、優しさを隠せない彼の精一杯の照れ隠し。『団員』が慕うのもわかる気がすると、青年はかねてからの黒猫族の男への信頼と好意を強めることになった。


 ――そんな会話を重ねながら、青年は難しい雨中の夜間での運転に集中していた。

 ぬかるんだ地面では、荷台を引く2頭の馬の体力はどんどん奪われていく。

 うまく消耗を抑えるよう馬を制御しなければ、明日の朝まで持たない。

 商人歴6年の技術を頼りにして、青年は不十分な灯りで照らされる目の前の道に目を凝らした。


 地面も穿つような激しい大雨の中、馬車は進む。

 『オードブルの森』を貫く、1本道の中のことである。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


「……あれ?」


 青年が声をあげたのは、目を凝らす先に奇妙な障害物を目撃したからで会った。

 合わせて、青年は手綱を引いて2頭の馬の走りを止める。


「オイ、いきなりどうした?」


「わかりません、ここは崖がないので土砂崩れってわけじゃないんですけど……見たことない形の障害物があるんですよ」


「あァ?」


 青年の奇妙な報告に、黒猫族の男は苛立ちの返事をした。

 土砂崩れであれば、自身の剣の一振りで吹き飛ばせば済む話。

 だが正体不明のオブジェクトともなれば、何が起こるか分からず下手に手出しができない。


「とりあえず、近寄って見てみますね。えっと、傘、傘……」


「ほらよ」


「あ……ありがとうございます」


 暗闇の中で手際良く2つの傘を発見した黒猫族の男から1つを手渡されて、青年は申し訳なさと共に感謝した。


 フルコースの日用品店で販売している魔力傘は、個人の魔力の波形を登録しておいて、魔力を流すことで中の骨組みが反応して開く仕組みである。盗難防止用に作られた機能であるが、そのために一般市民には少しお高い値段となっている。

 青年が傘を開くと、雨粒が強く傘を打ち付ける音が生じた。魔力傘に使われる布は、オイルコットンと呼ばれる大陸北部で栽培される素材で、撥水性に優れている。


 体温を奪う雨粒から守る傘の下、青年は灯りの魔導ランプをもう片方の手に持って奇妙な障害物へと近づく。

 灯りの光は障害物にだんだん強くあたっていき――青年の目にはっきりとしたその輪郭は、酒場の円形テーブルを低くし、支える棒を太くして逆円錐台形にし、そこにドームのように球体を切ったものを被せたような物体であった。


「これは……?」


「この配色、形……まさか、()かァ?」


「まさか、こんな大きな?」


 左手に傘、右手に大剣をこさえて近づいてきた黒猫族の男の推理に青年は一瞬荒唐無稽と思いつつも、もう一度障害物を見てみると、言われてみればそういう感じに見えなくもないと少し納得した。

 逆円錐台は蕾の根本で膨らんでいる部分で、ドームは桃色で花びらが閉じた状態――蕾、もしくは開いた花が再び閉じているように見える。


「あれが蕾、だとすれば……咲いたら相当大きいですね」


「もしかしたらよォ、植物型の魔物じゃねェか? 俺達を待ち伏せしてんだ」


「えっ!?」


 魔物と聞いて、青年は驚いてランプを落とす。

 世界中に生物の種類は数多、『人類』に害をなすものも少なくない。

 それらの多くは魔力を用いて『人類』を襲ったりすることから、『魔物』と呼ばれている。

 魔力を用いずにその体躯と身体能力だけで脅威となる害獣も魔物に分類されるかどうかは、学者の中でも意見が分かれているが。


「これだけ近づいて襲ってこねェなら、ただのデッケェ蕾ってだけの可能性もあるが……とにかく邪魔だ、今吹っ飛ばしてやるから下がってろ」


「は、はい」


 青年を下がらせた黒猫族の男は、傘を閉じて投げ捨て、両手で大剣を構える。

 横なぎにするために、構えは腰の位置だ。


 いざ一振り、男は勢いをつけるために剣を後ろに動かし、


 ――――――――。


「……ん?」


 一閃とする前に、ある違和感に気づく。


「どうしましたか? 早くしましょう、これ以上濡れると風邪を引いてしまいます」


「ちょっと黙ってろ……」


 違和感に気づいたのは、彼の立派な猫耳であった。

 雨が地面や荷馬車、傘などに打ち付ける音が鼓膜を支配する中、彼は人生の中で何度も聞いた類の音を拾い出した。


「――間違いねェ。この中、子どもがいるぞ。息が聞こえる」


「えっ、子どもが中に!? 僕には聞こえないんですけど……」


「この雨の中だからな。生きているが、弱ってるかもしれねェ。つまり、コイツが植物型魔物で、子どもを消化中ということだ」


「そうなんですか……危なかったですね。もう少しで、その子が巻き添えになるところでした」


 蕾の中に子どもがいる。

 そう確信した黒猫族の男は、大剣を地面におき、青年からランプを拝借して蕾に近づく。

 閉じている花びらのようなものを、こじ開けるために。


「気をつけてくださいね。刺激を与えたら、襲ってくるかも……」


「だからテメェは離れてろ」


「は、はい」


 青年をさらに下がらせて、黒猫族の男は花びらに手を掛ける。

 お誂え向きに、花びらのドームには()()()()欠けた場所があるようだ。

 そのまま、5つの閉じた花びらの一つを強引にこじ開けて――






「――痛っ!?」


♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫


 あっ、つう……けほ、こほ……。

 はぁ……はぁ……どうしたんだろう。

 まだ、頭が痛いし、とっても寒い……。

 私、寝てたみたい。何で起きたんだろう……。


 ――あ。

 花びらが1つ開いてる。

 光が差し込んでるし、雨も入ってきてる。

 でもおかしいな、あの光以外真っ暗だ。

 もしかして、夜になったの?


 何が起こったのかわからない。開いた花びらは私の左足の方だから、よく見えないな。

 雨に濡れちゃうけど、とりあえず全部開いて見えるようにしよう。


 ――うう、雨。雨が強い……。

 ここまで強いなんて。ずぶ濡れになっちゃって、もう一回閉じても冷えちゃうよ。

 それより、あの光は……?


 誰か、誰かが持ってる?

 人……人? この世界で、初めての人間に遭遇?

 近づいてくる。私が花びらを開いたら一回光が遠ざかったから、きっとびっくりさせちゃったんだ。


 あれ……でも、()()だ。

 いや、耳だけじゃなくて、頭がネコと同じだ。

 猫の人ってこと? 異世界だから?


「オイ、大丈夫か……っ!?」


 ……この言葉。

 ()()()()()()()

 なのに、()()()()()()()()()()()

 どうして……?

 う……頭が痛い。考え事ができない。


 じゃあ一旦置いておいて、猫さんを見ると……また驚いてる。

 私の顔を見て驚いてるの?


 あ……よく見ると、猫さんの後ろに、もう1人いる。

 あの人は多分、人間……かな? 灯りの光に隠れてよく見えない。

 一体、この人たちは……?


「オイ、お前」


 ……私?

 私だよね、他にいないもんね。

 でも何だろう、怒ってるみたい。

 びっくりさせちゃったからかな、ごめんなさい。


「……はい」


「この花びらは、お前がやったのか?」


「あ……はい、そうです。私の体です。すみません、驚かせて……」


「……」


 ……うまく、声出せた。

 咳を出さずにできた。風邪を移しちゃいけないからね。

 ああ、でも、頭が痛くて辛い。

 鼻も鼻水で詰まってきたし、息苦しい。


 ――というか、()()()

 英語も満足に話せない私なのに、よく知らない言語を、私、喋ってる。

 不思議……。


 あ……猫さん、離れてっちゃった。

 久しぶりに他の人と話したのに、寂しいなあ。

 と思ったら、何かを拾いに戻っただけか。

 結構大きいものだけど……もしかして、剣!?

 えっ振りかぶった!?

 私、斬られちゃうの!?


「ま、待っ、ゲホ、ゴホ……待ってっ、くださいっ!!」


「――あァ?」


「驚かせてっ、すみません!! でも私、あなたの敵じゃありませんっ!!」


 何とか猫さんは剣を振り下ろすのを止めてくれたけど、まだ私を警戒してる目だ。

 殺されたくない。

 死にたくない。

 一度この世界に転生してきた身だけど、どうして死んだかもわからないし、もう一度死ぬのは嫌だ。


「待ってください! 『友好種』の可能性があります!」


 あ……後ろのもう1人の方が来た。

 若い男の人みたい。

 『友好種』って……何だろう?


「そう焦んなァ。ちょいと調べてるだけだ。『敵性種』の可能性もあるしな」


 そう言って、猫さんは剣を置いて、近寄ってくる。

 剣を置いてくれたのは嬉しいけど、まだ険しい表情をしてる。


「なァ、俺達を襲わねェのか……本当か?」


「お……襲いません。だから……殺さないでください……」


「……俺のこと、知ってるか?」


「え……あ、あの、初めて見ます。初めまして、です。存じ上げず、すみません」


 大きな左手を私の首付近に置きながら、猫さんは私に質問してくる。

 怪しいところがあったら、締め上げるつもりなんだ。

 何とか、私は悪い人じゃないって信じてほしいけど……。


「何か普通に受け答えしてるし、言葉が丁寧ですね。これはもう、『敵性種』ではないのでは?」


「そうかもなァ。だが、問題は変わってねェ」


 問題? 何のこと?


「――嬢ちゃん。お前が俺達の敵じゃねェのは分かった」


「あ……ありがとうございます」


「だがなァ……馬車、馬車わかるか? 俺達は馬車で移動してるんだが、お前が邪魔で通れねェ。通るために、お前を地面から引っこ抜いてどかさなきゃいけねェってことだ」


 え……あ、ここ、そういえば道の中だ。

 私はそこに根を張って寝てたんだ。

 うわ……本当に申し訳ない。

 風邪ひいて辛くって、周りが見えてなかった。


「す、すみません……すぐどきます」


「なんだァ、自力で動けんのか?」


 道を通せんぼして、あの人たちの足を止めさせて、雨にまで濡れさせてしまった。

 早くどかないと。これ以上迷惑はかけられない。


 台座をしまって……んっ、くぅ……全身にうまく力が入らなくって、引っ込めるのも辛い。

 あとは、根っこ。

 うう……プチプチ、痛い……でも早くしないと……。

 動いて、私の体! だるいなんて言ってられない、猫さん達を待たせてる!

 寝て休んだでしょ! 早く根っこ引っ込んで!


「こ……こいつァ……」


「こんな種族、見たこともない……」


 ――はぁ、はぁ、はぁ……。

 終わった。これであの人達の邪魔にならないですむ。

 はぁ、寒い。立って、いるのも、辛い。

 でも、早く、場所を変えないと。

 ……くう、少しでも足を動かすと、倒れてしまいそうだ。

 こうなったら、這いずってでも……。


「――あ、あの……お嬢さん、その……」


 ……お兄さん? 急に後ろを向いてどうしたの?


「テメェ、服は……持ってるわけねェよな……」


 あ……いやあ!

 私裸だ、恥ずかしい!

 とりあえず右腕で胸を、左手でお股を隠して、






 ――あ。

 バランスが……。


 バシャリ


 う……コホ。

 ゲホッ、ゲホゴホッ!

 体に力が、入らない。

 頭が痛い。寒い。寒すぎる。


「――オイ!! どうした!!? 大丈夫か!!」


 意識が……意識が、朦朧と……。


 あれ……私、持ち上げられて……?


「――う、連れ――――んですか?」


「置き――――るか!!」


 あ、


 ダ、メ……。

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