1 『少し不思議な異世界転生』
夢じゃなかった。
だって夢だったらこんなに意識はっきりしないもん。
明晰夢っていう可能性もあるけど、それでも『これが夢だ』ってのは分かるし、頑張れば覚めそうだなっていうのも分かるはず。
でも今回の場合、私の直感として、これが現実だってはっきり分かるんだもん。
はあ……なんなのこれ。
どうしたらいいの。
都会生まれ都会育ちの私が、こんな自然100%の花畑でどうしろっていうの。
人間生まれ人間育ちの私が、こんな変な体になっちゃってどうしろっていうの。
どうにもこうにも、考えても考えても苦しくって、花の台座に寝転がって天を仰ぐ。
少し高く昇った太陽はやはり眩しくて、私の小さな右手では十分に遮光できない。
雑多な都会の生活音は消え失せ、微かな小鳥のさえずりとそよ風のみが耳に入る。
空気は澄み渡っていて、ケミカルで不健康な香りは微塵もない。
五感で感じる何もかもが、日常で感じたそれとは違う。
そして、確定的に、決定的に違うことが1つ。
光を浴びるたびに、体の底からエネルギーが湧き上がる感覚。
温められてとかそういうことではなく、光を媒介として自分の体内のエネルギー生成機構が稼働しているような感覚。
これはいわゆる、光合成というものだろう。
私の体は、植物になっていた。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
あ……ありのまま今起こったことを話すぜ!
「私は自分の家で寝てたと思ったらいつの間にか花畑のど真ん中に放り込まれ、体も植物というか花みたいな感じに変わってしまっていた」
何を言っているのか分からないと思うけど、私も自分で何を言ってるのか分かんない。
頭がどうにかなりそうだ。
……でも頭のおかしくなった私の幻覚とかじゃなくて、今起こっているこの不可思議な状況は紛れもなく現実。これが幻だったら、私は今まで生きてきた人生の全てを幻だと断じなければならない。
……どうしてこうなったんだろう。
花畑かあ……もしかして天国? 私は寝ていた時に気づかずに死んじゃって、ありがたくも日頃の行いが良いと認められて天国行きになったのかな? それだったら天使のお迎えが来て、私に説明してくれてもいいはずだけど。
死んで……。
もしかして、『異世界転生』?
よくアニメの再放送でやってるやつか。でもあれって30年くらい前の古いジャンルじゃなかったっけ? この2050年に今更……かなあ? もうすでに流行は終わっているんだけど。
まあ現実に起こった以上、流行とか関係ないよね。言ってみただけ。
それよりも、これが異世界転生だとすれば色々なことに説明が一応つく。
もちろん目が覚めれば慣れ親しんだ我が家の自分の部屋ではない別の場所だし、自然100%でも不思議はない。
あと……あれだ。転生先が人間とは限らない。一番売れてる転生モノがスライムに転生するやつだからね。そしたら私の体が人間のそれではないことも起こりうる現象だ。
それにしても、やっぱり説明の1つは欲しいところ。何か使命があって地球から異世界に転生したとか、王子様とかから異世界を救って欲しいとかあったら良かったのになあ。何もミッションを与えられずに、一人ぼっちで花畑に放り出されても困る。
もしくは、私が人間だった頃(前世?)にヒントがあるかも。部屋で寝て起きたらという認識は間違いで、実はトラックに轢かれてたとか、トラクターに轢かれたとか、コンビニ帰りだったとか、駅のホームで誰かに突き飛ばされたとか――少し思い出してみよう。
最後の記憶は、スマホに何かメモを書いて寝床についたこと、その前は歯磨き、ドライヤー、お風呂……あっそうだそうだ、部活して帰ってきて、シャワー浴びてすぐご飯で、その時は妹が塾でいなくて――
あれ、
妹の名前、何だっけ。
私の家族は、両親、大学3年生のお姉ちゃん、妹が高校1年生と3歳の2人、弟が小学5年生と2年生の2人で、私を入れて8人家族。今のご時世、大家族だ。
上の妹の名前も思い出せないとは、家族として失格――いや、下の妹も分からない、弟2人も分かんない、お姉ちゃんの名前も分かんない、お父さんもお母さんも、
私の名前も……
顔のビジョンも、記憶から消失している。いたことだけはわかっているのに、顔と名前が思い出せないなんて。
家族だけじゃない。一番の親友の■■ちゃん、バレー部の同級生の■■さん、■■さん、■■さん、■■■さん、■■さん、お世話になった先輩方、可愛くてしょうがない後輩、先生の中で一番仲良かった■■先生、少し厳しい■■■先生、保健室の■■先生、あと塾の同級生の(以下略)、みんなはっきりと思い出せない。
それに、仲良かったとか性格とかは思い出せるのに、その人との詳しい関わり合いの軌跡、一緒に成したこと、思い出――全部抜け落ちてる。同じご飯を食べて、同じところに旅行に言って、同じ家で眠りについた家族でさえも……
どうして? どうして忘れているの?
異世界に転生した時の何かしらの不都合で、大事な記憶が飛んでしまったの?
もしかしたら誰かから転生の説明も受けたけど、その記憶も消えてしまったの?
――寂しい。
誰かいたことは……私の側に温かな人達がいたことは分かるのに、顔と名前が思い出せないなんて。
孤独なのと、変わりがない。
……待って。もし私が覚えていたとしたら、日本に帰れない、家族や友達に会えない悲しさで、今よりもっと絶望していたかも。実際悲しくて寂しい気持ちはあるけども、打ちのめされて何もする気力がなくなる、なんて程ではない。
もしかしたら、私を転生させた人が、そこんところを考慮して記憶を消したのかも。唐突な別れが寂しくならないように。ありがとう、かな? 説明はして欲しかったけど。
さて――ここにじっとしていても、何も始まらない。今のところ王子様とかが来る気配もないし、太陽も結構高く昇ってるし。本当にチュートリアルも何も無しに異世界転生されたのだから、自分から色々行動してみないと。
水とか食料とか探さないといけないし、いるなら他人にも会ってみたい。異世界の社会に入って、異世界のいろんなことを知って――地球からこっちに来れるなら、こっちから地球に帰る方法だってあるかも。
……帰って。帰ったとして、この姿じゃ家族や友達に認知されないだろうなあ。私の元々の顔も分かんないけど、もしそれが水溜りに映ったものの通りだとして、10歳ぐらいに若返ってるからなあ。やっぱり無理かなあ……
うん、帰るか帰らないかは、帰る手段があった時に考えよう。後で考えよう。
お花の上でいつまでも座ってないで、情報収集しよう。
とりあえず360度、どこをとってもほぼ同じ景色だが、適当な方向に……そうだなあ……太陽が登ってきた方向にしよう。そっちに行ってみよう。
森の中に入って、川とか探そう。下流に行けば、人の集落があるかも。
元気よく起立する。目線が高くなり、やる気も高まってくる。
幸いにも、光合成のおかげでエネルギーは十分にある。
小学生の頃のように、1時間ほど思いっきり駆け回れそうだ。
そういえば、この花の台座も私の体の一部だった(変な感じだけど)。
置いてっていいのかな? 地面に根を張っている感覚があって、固定されている感じだ。
まあしょうがない。もし何かあったら、また戻ってくればいいんだ。今はとにかく、見て回って情報を集めたい。
それでは、未開の世界へレッツg
あべし!
ははは……5歩目でつまづくとか、なんとも情けない。
恥ずかしい。誰かに見られてなくて良かった。
顔面から土の大地にビタリと行ったの見られたら、10年は笑い者にされる。
それにしても、ちゃんと台座から地面への70センチの台座は考慮して降りたはずだけど……地面まで引っ張られた花びらから左足を離そうとした瞬間、左足が動かなかった。
どうしてか分からないけど、それで転んでしまったみたいだ。
じゃ、気を取り直して――
あれ、何度やっても左足が離れない。何か不思議な、恐ろしく強い引力が働いているみたいだ。
こういう時は、両手で踏ん張って……ありゃ、簡単に取れた。
あっでも今度は右手が離れない。左手は離れたのに。でも左手を付けたら右手は離れて、今度は左手が……
それじゃ、左手を花びらにつけたまま、他の体の部分を付けないよう注意して、頑張って離してみよう。
ふん!
ふぅっ!
ぐぅううう〜〜〜〜〜〜っっ!!
ふぎぃぃいいいい〜〜〜〜〜〜っっ!!!
痛い痛い痛い痛い!! 人差し指が!! 肩が外れる!!
……。
どうやら、この少女の体は、一部分でも台座の体に触れていないとダメらしい。
つまり、2つの体はお互いに離れられない。
……ということは?
私はこの花畑のど真ん中から?
動けない?
……。
……。
よいしょ。10歳の体だと段差も大きいなあ。
ずっと思ってることだけど、花の台座はふかふかで気持ちいいなあ。
……空が青いなあ。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
「――♫生きてゆきたい〜、君の隣で〜……」
……ああ、これで『ふがしティー』のシングル、オールコンプリートだ。
アーティストの顔と名前は思い出せるんだなあ。そしてそのヒット曲も。
あっ、もう夕方じゃん。
日はもう半分、広葉樹の地平線に隠れちゃってる。
観客のいない独唱会だったけど、少しは暇つぶしになったかな。
……いや、『ふがしティー』のシングルは23枚。よく考えたら夕方までかからないはず。
うん。ぼーっとしてたよ、私。
ぼーっとしたのなんて久しぶりだよ。
何もすることがなくて、自分からも何もできなくて、強制的な暇を持て余していたのは。
そういえば、私は日がな何も食べたり飲んだりせずに、ただぼーっとしたり歌ってたりしたんだな。きっと根っこから水は吸収して、光合成するから食べ物もいらないんだろうな。
あれ、そしたら何もしなくても生きていける?
でも、何もしないままでいるのって、生きているって言えるの?
ようやく一日分の暇を苦労して消化したのに、これがずっと続くの?
……絶望だ。
暗い未来だ。
太陽は、私の心まで照らしてはくれないらしい。
はあ……周りに咲いている無数の花達も、きっと恐ろしく暇なんだろうなあ。
ああでも考えてみたら、お花達はみな生まれながらの植物。
私だけ、人間だった植物なんだ。
人間として動き回ったり、食べたり、勉強したり、スポーツしたり、ボランティアで働いたり……疲れることもあるけど、充実する活動。それの一切が不必要となると同時に、強制的に奪われる。
私、何か悪いことしたのかなあ?
記憶を一部失って、そこで何かとってもひどい罪を犯して、実質軟禁状態にさせられてるとか?
忘れてたら反省もできないし、動けないから罪を償うこともできない。
あああ……体中の力が抜けていく。
前向きな気持ちが薄れてきて、心まで沈む。
こんなのってないよ、こんなのって。
私はただの一般女子高生なのに……昨日まで家族や友人と楽しく日常を過ごしていて、今日もそうなるはずだったのに、その人達の顔と名前も忘れて、こんなところに一人……
……きっと元気がなくなってきたのは、日が沈んでるからだ。
光合成の機能が弱まってる。
夜になったら、光合成はできない。多分。あれでも暗反応とかあったっけ。私生物苦手だからよく分かんないんだよね。
とにかく、夜はエネルギーが減ってく一方だ。
さすがにストックはあるから死ぬことはないだろうけど……エネルギー節約モードになるのかな。
つまり、眠ること。
最初寝てる状態から起きたし、きっと眠ることはできる。
変に動物としての機能が残ってるんだよなあ。
もういっそのこと、死んじゃった方がいいんじゃないかな。
死んだらまた転生して……転生できないかもしれないけど、終わりのない暇よりいいのかもしれない。
転生できたらまた人間に戻って……
ダメダメダメ、希望を捨てちゃダメ!
この世界に人がいるなら、通りかかるのを待って、来たら助けを求めよう。
もしかしたらモンスターみたいに思われて攻撃されるかもしれないけど、それでも何もされないよりずっとマシに思える。
ひとりぼっちより、ずっと。
頑張ろう、私。
いつまで持つか分からないけど。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
日は完全に沈み、あたりは暗闇に包まれた。
私の体の中と外は、どんどん冷えていった。
少し寒くって、私はおしべ型触手でその身を包んだ。
おしべの布団は柔らかくって、容易に眠気が誘われる。
目を瞑れば、眠りに落ちるまで10分とかからないだろう。
それでも、私はもう少し目を開けていたいと思った。
横たわりながら仰向けに天を見上げると、テレビでしか見たことないような綺麗な星空。
そして太陽が昇ってきた方向――きっと東――には、夜空の主役とも言える月が満月で現れている。
ただし、その色彩は淡い紫色で。
ここが地球ではないことを確信した。
星座には詳しくないけど、この星の配置も地球では見られないものなのだろう。
普段見られないものが見られるなんて、ちょっと嬉しいかも。
……そう考えでもしないと、希望を少しでも見つけないと、私の心は暇に押し潰されてしまいそう。
この星空も、いつかは新鮮じゃなくなるし。
なら、もう少し星空を見ていたいというところで、今日は目と花びらを閉じよう。
明日はどうやって暇を潰そう?
『RUNAWAY』とか『DaiKing』の曲を歌うとか。
すぐ終わっちゃうかな……
明日目覚めたら、何もかも元通りになったりしないかな。