0 『拝啓、十六の私へ』
私は私を知っている。
私がヒトだということを。
私は私を忘れている。
私の家族の微笑みを。
私は私を知っている。
他人を助けたいと思うことを。
私は私を忘れている。
私の友の微笑みを。
私は私を知っている。
他人を憎めないということを。
私は私を忘れている。
大切な思い出があったことを。
私は私を知っている。
私が私であることを。
私は私を忘れている。
私を誰が創ったのかを。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
正直、朝は苦手な方だ。
真夏の熱帯夜以外はベッドの中が居心地が良くって、心と体が跳ね起きるのを拒む。
その日にどれだけ大切な用事があって、1秒たりとも遅れてはいけないものであっても、その怠惰なる衝動にはあらがい難い。平日の朝に起きるときはいつでも、面倒なことが始まるのだなあと憂鬱な気持ちになる。
でも、それは寝ぼけ眼の寝ぼけ脳での話。
誘惑のベッドから何とか脱出して、顔を洗って朝食を済ませ、長い髪をとかし、身だしなみをととのえれば――準備は万端。やらなければならない自分の仕事を面倒臭いなと思う無責任な心は鳴りを潜め、エネルギーに満ち溢れた朗らかな精神が現れるのだ。
さて、今日も起きるべき時がやってきたようだ。
陽光が差しているのを肌で感じる。
昨日は確か、10時くらいに寝ただろうか。
今日も朝早くからの用事があっての早寝ということだ――が、
何の用事だろうか?
思い出せない。
何だったっけ。
おっかしいな、10時に寝るのは重要度ランクSでしょ、11時がAで12時がB以下……覚えてなかったらまずいレベルじゃん。
これは是が非でも、思い出さなければならない。
思い出せ! 思い出すんだ!
……。
うーん。
うーん。
――こういうときのために、スマホのメモ機能が存在しているんだよね。夜のうちに充電が終わってるだろうから、画面が見れないということはないはずだ。メモ帳に文字を打ったことは覚えてるのに、打った内容を忘れているとは間抜けな話だけど。
とりあえず、1にも2にも起き上がることが必須事項。二度寝としゃれ込んで心地よい夢の中に逃避するなんてみっともないこと、今はしてはならない。そんなことはムフフな夢を見て続きを恋しく思っている男子中学生ぐらいしか許されないだろう。
さて、と起き上がろうとしたところで、平らな体の上部がつっかえる感触を覚える。どうやら、私の腕が絡まっているようだ。よくあるんだよね、起きた時腕が体の下敷きになっていてめちゃくちゃ痺れるの。痺れなくなるまで時間かかるし、治るまですごく嫌な感覚だし。
それでは、腕を一本一本ほどいていくとしましょう。胸のあたりから爪先までびっしりとだから、もはや布団のように私の体全体を包み込む形になっていr
……ん?
いや待って待って。私の腕、いくら何でも多すぎない?
――というより、私の両腕は確かに私の肩に付いているのが感じられる。じゃあこの腕? みたいなのは何? 両サイドに7本ずつで計14本、一体何なんだ? 私が自分の意思で動かせるし、手で触ればその感覚が伝わってくるから、自分の体の一部であることには間違いないのだが。
脚……も、あるべきところにあるし――というか、それら14本には骨の感覚も関節の感覚もない、まるでタコ脚のような物体だ。
へー、私にはタコ脚なんて生えてないから分かんないけど、タコ脚を動かすのってこういう感覚なんだー。
……うん、寝ぼけてるな、私。
どうやら陽が差しているというのに私の体はまだ眠ることを強要しようとしているらしい。このまま睡眠欲に負けてしまえば、学校に遅刻だってしてしまう。
頑張れ、負けるな私! 人間の理性なめるなよ! 普段おっさんおばさんのサラリーマンがどれだけ眠たい目を擦って通勤してると思ってるんだ、現役女子高生の私が負けちゃダメでしょ!
目を擦って目やにを乱雑に落とし、瞼を開く。 狭い空間の上部の隙間からは光が漏れ、掌を透かした時のように桃色の色彩が淡く光る。
……狭い。
あれ、狭いぞ。
何か私を中心に半径1メートルぐらいの半球のドーム状の空間、いや天井はもっと低くて、楕円球か――とにかくそれぐらいのスペースしかない。
いくら私が中流家庭の公立高校通いの女子高生だからって、カプセルホテル紛いの貧相なスペースの部屋は持ってないぞ。……カプセルホテルには行ったことないので、こんなことを考えてたらカプセルホテルに失礼かも。
というか、あの天井も私の体じゃん。私が天井を閉じてスペース作ってるんだよ。はあ、何で私は掛け布団被りきりな引きこもりみたいなことしてるんだr
――天井が私の体って、何だ?
これはいよいよ寝覚めの悪さの極致だ。早いところ上半身を起こして、寝ぼけた感覚を持った自分自身をすっきりとしてやらないと。
そうだ、こんな時は朝日を浴びることだ。何かのテレビ番組で言ってたけど、人間の体内時計は25時間周期。そのままだと1時間遅れちゃうけど、日光を浴びることで体内時計を調節してるんだって。太陽光を肌で受けることが、一日の始まりの合図というわけだ。
今天井が閉じているけど、その天井を開いて窓のカーテンをスライドすれば、私の頭と体に活力を与えるお天道様がお披露目されるはず。天井は私の体の一部だから動かせるし、ここは勢いよくパーっと開けますか!
……ううううううううううう。
また訳の分からない考えに至ってる。私は頭に胴体に四肢しかない標準的人間だし、離れたものを動かせるエスパーとかじゃないんですけど。いやでも現に感覚あるし、ちょびっと天井の割れ目を広げようと思えば……できた!
もう何が何だか分からない。とにかく日光だ日光! お日様の暖かな光浴びればモヤモヤした頭の中もすっきりするだろう!!
「――マイサンシャイン、カモーン!!」
そんなやけっぱちな叫び声と共に、勢いよく天井を開放する。
5枚の軟性の板が私の周囲に五芒星のように開き、円形のベッドと相まってステレオタイプの花のような台座を形成する。
「……っ!?」
強烈な朝日が、全身に降り注ぐ。
眩しさのあまり、思わず目の前に手をかざす。
だんだん、花火のような明るさに目が慣れてきて、周囲の光景がはっきりと視界に捉えられるようになっていた。
――なんて開放的な、晴れやかな、すっきりとした景色だろう。
台座の下の大地、半径5メートル以内には湿ったような土の地面、その外には百の色彩があろうかという花畑が広がっているではないか。200メートル以上先に木々が立ち並び、まるで絢爛な花々を取り囲んで祝福しているようだ。
そしてその花畑全体を燦々と照らす、堂々たる太陽。その力強くも柔らかな暖かさは、私の体の中にある熱く活動的な気持ちを高めてくれるみたいだ。
嗚呼、こんな晴れやかな朝、今まで味わったこともない。起床直後の暗澹たる感情は吹き飛んで、明るいエネルギーが無限に湧き上がってくる感覚――最高の朝だ。
何だか、柄にもない、至上の喜びの気持ちが湧き上がってくる。
生きててよかった……!
「ここどこおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!?!!?」
えっえっえっえっちょっと、ま、ま、待って待って。
えっ、家は? 私のマイホームは? あっ違う私は家族8人で暮らしてるんだからマイファミリーズホームが正しいってそんなのどうでも良くてえええええええええ!!!
何で昨日まで都会のコンクリートジャングルにいたのが現在本物の森の中にいるの!? 何なのこれマジで!? 何かのドッキリ!? あれってお笑い芸人がかかるものじゃないの!? サイエンスの松川とかレコードジャッカルの島田アルビノとかがかけられるやつじゃないの!?
えっじゃあドッキリじゃないとするよ? これは夢? それともソ○ーの最新VR技術? まあ10年前ぐらいにゴーグルなしでもVR映像作れそうみたいな話あったよね、結局その後全然話聞かないけど。
…………。
オーケー、一旦落ち着こう。
幸い頭の中はまともな思考ができるほどすっきりしたんだ、情報を整理して行こう。そしてその上で、状況を把握して行こう。
まずはこの台座。
床の感触が完璧に私の部屋にあるふかふかベッドのそれなので違和感なくスルーしていたけど、何かカラーリングが黄色だし、開閉式の天井みたいなものだと思っていたものはどうみても巨大な5枚の花びらみたいだし、タコ脚の腕? だと思ってたものはうねうねした触手っぽい……いやこれ、ツルツルした細長い白色の円筒形に先っぽが黄色い楕円球で、おしべなのかな?
花? 花なのこれ? デカい花? 花って動くの? 動かせるの? 花びらとおしべって動くの? 遠隔操作で動かせるの? というか私の体の一部? なのかな? 動かせるだけならまだしも、私の手に触れられた感触があるから私の体ってことでいいんだよね?
全然整理できない。
状況を把握しようにも、謎すぎて何から手を付ければ良いのやら……。
……ん?
あれ、何だか手が小さく感じる。というか手をかざした時にも少し思ったけど、やっぱり気のせいじゃなく手が小さいな。
……いやいやいやいや、サイズとかよりもっと重大なことが。
肌の色が緑!!?
うわ、全身見回してみたけど漏れなく緑じゃん!!
えっペイントドッキリとかじゃないよね。うわー、毎日しっかり保湿液使ったりしてお肌のケアはしてたのに。今までの努力が無駄になっちゃったじゃん……深緑じゃなくて黄緑に近い明るい目の緑だからまだマシかなとは思うけど。触感も心地のいいハリが存分にあって良さげだし、本当に色だけ、って感じ。
髪の毛……これは黄緑の中でももっと黄色に近い。触ってみると根本から毛先までさらさらで、ひとかけらも荒れたところがない。ぬばたまの髪の毛でなくなったのは残念だが、肌よりはこの質感と色合いで十分綺麗だと思える。
――ところで。
髪の毛の根本を触ろうとした時、何か別のものに触れたんだよね。
つまり、私の頭の上には何かが乗っかっている。
全然重さを感じないし、軽いものなんじゃないかとは思うけど、変なものだったらいやだし、確認はしておきたい。
タイミングがいいのか悪いのか、この花畑にはちょっと前に雨が降っていたようで、色とりどりの花々にはキラキラと日光に反射した朝露が滴っていて――私の周りの土の地面には、青空を高解像度で映し出すきれいな水たまりが溜まっている。
うう、怖いなあ。何が乗ってるのか見るのが怖い。予想がつかない分、未知の恐怖は膨らみ続けるという訳だ。
でも、この状況。正直、今の時点で私に分かることは非常に少ない。訳の分からない状況ばかりで、少しでもそれを読み解くヒントが欲しい。
きっと、分からないことを分かるようにすることが、怖さを、寂しさを取り除くための、私に残された唯一の手段なんだ。
「……ええい!!」
意を決して、花びらの隙間の下に溜まる水たまりを、70センチほど上から覗く。
朝日からの光をよく受け、水たまりは私の顔を克明に映し出す。
――果たして頭に乗っていたものは、桃色のバラのような大きな花で、頭の面積の8割ぐらいを占めているものだった。
でも、私の関心はそこではなかった。
水面に映る顔は、主張の薄い眉毛、水色の瞳をこさえた二重の双眸、ちんちくりんな低い鼻、ぷるんとした唇、同じくちんちくりんな福耳――そして全体として、
幼い、10歳の少女のような顔立ち。
手も小さくなっていて、足も何だか小さいし、体が若返った姿になっているのだろうと想像できる。
しかし。
そこも私にとっては重要ではなかった。
「――誰?」
その顔は、私の記憶には存在しない顔だった。
色彩が違うことを考慮し、黒目黒髪黄色肌に置き換えても、やはり思い当たりのない顔。
それが私の顔であるということは、
私が、自分は何者であるかを分からなくなったということだ。
「……」
……夢だ。
夢だこれ。
うん。夢に違いない。
私は謎に投了した。
立花KEN太郎です。
この度は私の新作を読んでくださり誠にありがとうございます。
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