冬桜
冬の王と春の姫
昔々、あるところに冬の国がありました。その国には四季というものは無く、12ヶ月間ずっと寒い冬しか訪れてはいなかったのです。
冬の国の国王ナキは、とても冷めた人だと有名でした。早くに両親を病で亡くし、若くして王位についたナキは無口で表情も変わらず、即位してから国の仕事しかやっていなかったのです。朝起きて朝食を済ませると夜まで机から離れず、国の貿易や国政に関わる仕事全て、昼夜問わずに行っていました。
冬の国の隣には、春の国がありました。その国はいつでも満開の美しい桜が国を囲う様に咲き誇り、お祭りが多く、城下はいつでも明るく賑わっていました。
そして、この国の王女達はとても美しく可憐な方々でしたが、特に第二王女であるオフィーリアは、他とは比べものにならないほど美しい美貌の持ち主でした。
肌はなめらかな陶器のように艶やかな乳白色、頬はほんのりとした薔薇色、綺麗に伸びたはちみつ色の金髪、そして何より心優しい温かな人柄の持ち主でした。
冬の国の家臣達は、隣国の明るさや美しさ、何よりこの国には無い温かさを自分たちの国にも招きたいと考えました。どうしたらいいか家臣達は悩みました。冬の国が春の国の様になるには桜を咲かそうとするだけでは足りなかったのです。悩んだ末、家臣達は良い事を思い付きました。
(そうだ、春の国の王女様とご婚約なされば良いのだ)
そうすればこの国にも春はやってくるだろう。
家臣達はすぐに国王に春の国との架け橋を作るためにと婚約を勧めました。
ナキは、初めは渋っていましたが家臣達のしつこさに負けてしまい、結婚を決めました。
国王はすぐに春の国に婚約の申し出の手紙を送りました。すると、2日も経たないうちに春の国から手紙が届いたのです。
(今回、このようなお話を頂きましたこと心から嬉しく思います。冬の国王ナキ様との婚約、喜んでお受け致します。末長く宜しくお願いいたします。 春の国第二王女 オフィーリア)
なんと、冬の国との婚約を受けるのは、春の国の王女達の中でもひときわ美しいとされるオフィーリア王女でした。ナキは貿易や仕事でしか会ったことは無かったが、何故だか少し嬉しくなり、手紙を机の引き出しに大切にしまいました。
その夜、家臣達は大喜びで国中に隣国との婚約を知らせました。この事をきっかけに、両国は大騒ぎになりました。冬の国では、あんなに冷めきった国王がご結婚なんていったいどうしてなのかと。
―ナキ国王がとうとう結婚なんておめでたい事だ。
―何か大きな企みがあるのではないか?
―国王様と結婚なんてオフィーリア王女は幸せ者だ
―オフィーリア王女があんな王と結婚なんて可哀想だよ
―そんな事ない。良き王様じゃないか
―いいや、どうせ国の為だろう
などと、国民の良い噂も悪い噂も含めて一晩中続いていました。そして、春の国では国中がお祭り騒ぎでした。一晩中続いたお祝いの賑やかな歌や国民の歓喜の声は冬の国のナキの耳にも届いているくらいでした。
月が4回空に昇った朝、とうとう冬の国に春の国の王女がやってきました。美しいはちみつ色の髪を靡かせ、春色の従者に囲まれたオフィーリアは、優しい笑顔を見せていた。
「ナキ様、わたくしは春の国の第二王女、オフィーリアと申します。と言っても、もう知っておられますね」
ナキはオフィーリアの満面な笑みに少したじろいだが、その美しい姿は冬の国に少しだけ春が来たように思えました。
婚姻式が終わり、正式に冬の国の王女になったオフィーリアは、冬の国の国民全員から愛される存在になりました。しかし、それでもナキの生活に大きな変化はありません。
いつもの様に朝が来て、いつもの様に朝食を2人で食べて、いつもの様にオフィーリアの為に造った温室の花に2人で水をあげてから、ナキは夜まで机の上で仕事をしていて、オフィーリアが寝付いた後にベッドに入って眠りについていました。
一方、オフィーリアはというと、まるで子供の様にナキにくっついていました。朝食の時も、温室へ行く時も、仕事をしている時でも、もちろん少しの間の休憩中もずっとくっついていました。そして、ナキもその事については何も言いませんでした。ずっと仕事をしていて、一緒にゆっくり出来るのは朝の短い間だけなので、むしろいてくれてとても嬉しく心地よかったのです。
だが、忙しいナキの手は夜まで止まることはありません。それでも、オフィーリアはナキにくっついていました。可愛い微笑みをたやすことなく。ただ、ずっと彼の傍にいるだけでした。
「ナキ様、今日は良いお天気ですね」
「そうだな」
「ナキ様、今日も静かで素敵ですよ」
「ありがとう」
「ナキ様、桜が見たいですね」
「今度行こう」
「ナキ様…好きですよ」
「ありがとう」
「ナキ様…あいして…くださっていますが?」
「ああ」
「ナキ様…名前を呼んでください…笑顔を見せて下さい…私は貴方のことを愛していますよ。出会った時から心惹かれていたのです。…ナキ様…わたしは…」
オフィーリアとナキは毎日、毎日同じ事を繰り返していました。それでも、ナキの顔に笑みは無く、忙しい手は止まることを知りませんでした。それでもオフィーリアは、毎日ナキに話しかけていました。
ある日の午後、突然オフィーリアが寝込んでしまったとナキの耳に入りました。ナキは仕事を全て放り出して、オフィーリアの寝室へ駆け込みました。そこには、目を閉じて静かに眠っているオフィーリアの姿がありました。ベッドに横たわるオフィーリアは、まるで美しい人形の様でした。
「眠っているのか?どうしたというのだ…私が来たのだ、いつもの様な笑顔を見せてくれ、声を聞かせてくれ…オフィーリア…」
この時のナキの表情を誰が予想していたでしょうか、いつも無表情のナキの顔は、今にも泣きそうなほど悲しい表情をしていました。すると、オフィーリアの世話係の家臣がそっとつぶやきました。
「ナキ様、オフィーリア様はただ眠っているわけではありません。姫様が眠る少し前に、ナキ様がいらっしゃるので心配無いと仰っていました」
「オフィーリアは、私にどうして欲しかったのだ…」
そう言って、ナキはオフィーリアの小さな唇に、優しく口づけをしました。しかし、オフィーリアの目は覚めることは無く、人形の様に眠ったままでした。
「なぜ…私はお前の事を愛しているというのに…」
それからというもの、ナキは毎日の様にオフィーリアの部屋へ行きました。ただ、何をするわけではない。いつも、オフィーリアがやっていた様に、ひたすら話しかけているだけでした。
しかし、オフィーリアは目を閉じたまま。
ナキは、夜も寝ないでオフィーリアの横にずっとついていました。毎晩、毎晩、仕事が終わるとすぐに寝室へ向かい、今日あった事などを話していました。
「オフィーリア、今日の天気は雨だったぞ」
「…」
「オフィーリア、今日も静かに眠っているのか?」
「…」
「オフィーリア、一緒に桜を見に行こうか」
「…」
「オフィーリア、好きだよ」
「…」
「オフィーリア、愛しているか?」
「…」
「オフィーリア、名前呼んでくれ。声を…聞かせてくれ。私はやっと分かったのだ。お前がどれだけ寂しかったか…お前がいないのは、とても寒いんだ。だから目を開けてくれ…愛しい私のオフィーリア…」
その時、ナキの目から一筋の涙が流れてきました。今まで、一度も泣いたことのなかったのに、ナキは頬に伝う涙を拭かず、オフィーリアを見た。
「オフィーリア…このまま目を覚さないと、私は干からびてしまうよ…」
止まることのないナキの涙は、オフィーリアの口に落ちました。
「それはいけません。ナキ様。貴方が居なくなってしまえば、私はとても寂しいです…」
ナキと呼ぶ懐かしい声、それは国民の声でも、家臣達の声でもなかった。気がつくと目の前に、微笑みながら涙を流すオフィーリアが見つめていた。
「オフィーリア…目が覚めたのか」
「はい…ナキ様がいたからですよ。名前…呼んでくださって嬉しかった。桜…咲かせましょうね。きっと美しく咲きますよ…」
オフィーリアは、涙で濡れているナキの手に触れると、いつもは氷のように冷たい手なのに、今は暖かく温もりを感じる手だった。ナキの心は、もう寒い冬では無く、春が訪れた桜色の心になったのでした。
―昔々、あるところに、心の冷たい王がいました。しかし、春の王女のおかげで、王の心は満開の桜色の心になったのでした。おしまい―