意思能力を有しなかった意思表示と罪を犯す意思がない行為、それは全て無効
「君は!ここは感動の場面でしょう。普通は遠慮する所じゃないの!」
「申し訳ありませんが、人が死んでおりますので。」
私は寛二郎を追い詰める吉保を見ながら、自分のドッペルゲンガーに出会った本人が不幸になるというのは真実なのだと納得していた。
似ているからこそ吉保の追求から寛二郎が逃げ出す事は出来ないだろう、と。
「お願いします。社長のマンションで火達磨になった女性がその真鍋なのです。」
「同じ質問を警察にされた時も知らないと答えたけれど、本当にその名前の女性には覚えがないんだよ。すまない。」
「では、美緒さんが補導されて引受に行った時の事は如何ですか?あなたの知らないその真鍋がその時の担当です。」
「だから、知らないって。ビオが補導されたことは無いぞ。なぁ。大体コイツが補導されないようにと、小人の巣でコイツの監視体制はばっちりだしな。」
私は私の安全を望んでの寛二郎の過保護と考えていたが、単なる私の行動抑制でしかなかったようだと、積極的に非行に走ってやろうかと一瞬思った。
「では、例えば補導される筈のない美緒さんが補導されたとの情報を得たら、一体誰が引き受けに行くと思われますか。小人の巣の誰か、ですか?」
「もちろん俺でしょう。ビオに関連する何かがあれば第一に俺に連絡が来るようにしてある。ビオ本人も異常があれば俺に一番に連絡するしな。そしてビオは補導されたことも、何かがあった事も今までは無い。そうだろ、ビオ?」
私が返事を返さない事で、寛二郎はもう一度、な?と強く私に問いかけた。
まるで吉保の追求から一緒に逃れようともいう風に。
「では、美緒さんの振りをした加藤真紀が補導されたとしたら、誰が迎えに行きますか?」
「母親の加藤でしょう。」
「社長。身分証明も持たずに自分が美緒だと言い張られたら、とりあえず警察はあなたに連絡しますよ。そして、加藤真紀が美緒さんに成り代わろうとした姿を私は見ています。あなたは補導された真紀さんを迎えに行ったのでは無いですか?真鍋にも会っているのでは?」
「でも、君、それは。」
「あたしがいるから話せない?あたしが信用できない?あたしにだって少しは憐みの情ぐらいあるよ。」
寛二郎は観念したかのように大きく息を吹き出し、そして、私に馬鹿と言った。
「お前に話したくないのは、お前に思い出してほしくないからだよ。怖い思い出で、お前も同じようになったらと、怖かったんだよ。お前も殺されかけるたびに何が起きたのか忘れるだろ。美津子や真紀はね、自分に起きた恐ろしい出来事を全て忘れているのに、ちょっとした事で思い出して、本人じゃない何かになって、本人の望まない何かをするんだよ。俺はそんな風にお前までもなってしまったらと、それがとっても怖いんだ。」
私は再び寛二郎に抱き着いていた。
彼の怯えを解消してあげたいなんて愁傷な気持ちではなく、母が私に対して殺意の一欠けらも無かったのだと彼に言われたも同然だったからだ。
母の異常行動は、全て、彼女の心を粉々にした経験からによるものでしかなく、そこに彼女の故意も意思も存在しないのだ。
民法第3条の二では、法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その行為を無効とするとあるではないか。
刑法だって第38条で、罪を犯す意思がない行為は罰しないと、明言されている。
私は母の殺したい娘ではない。
私が母に殺された事など、一度もない、のだ。




