お前は護衛官だろ! 商人間の留置権
吉保は畜生と地面に這いつくばり、私は彼のつむじを冷たく見下ろした。
「畜生。俺がもっと早く動いていれば。」
「アウトバックは俺の新車、なんだろ。修理終了していたんだったら喜べよ。」
吉保はがばっと上体を起こし、彼の前に立つ私を仰ぎ見た。
……彼の目が涙目って、どういう事だろう。
「俺がフェラーリを運転する機会なんざ、もう一生無いだろ!お前は酷いよ。俺に夢を見せておいてその夢を粉々にしたんだ。俺はフェラーリという単語がお前の可愛い口から零れた時には、もう、何があっても、一生お前についていくと誓ったというのに。」
「いや、普通に護衛官なんだからさ。ついて来るのが仕事だろうが。」
「お前は職務以上の情熱をもって守られたいと思わないのか!」
さすがの折詰というか伊藤選抜車両整備スタッフの腕は良く、一時間どころか十五分で窓の交換は終了していたらしい。
もしくは、伊藤の「フェラーリを触らせるな。」という指示がスタッフに飛んだのかもしれないが、結果として私達は動ける車を前に動けない状態に陥っている。
この状態は、まさに商法第521条だ。
商人間においてその双方の為に商行為となる行為によって生じた債権が弁済期にあるときは、債権者は、その弁済を受けるまで、その債権者との間における商行為によって自己の占有に属した債務者の所有する物又は有価証券を留置することが出来る。
この場合の債務者が、フェラーリを餌に吉保を釣った私であり、債権者である吉保はフェラーリの運転という弁済を受けるまで、債務者の所有する物、つまり私の運転手であり護衛官だという自分自身を留置しやがったのだ。
私は自分の護衛官の情けない姿と情けない物言いを、伊藤のスタッフに見られ聞かれる恥ずかしさに耐えられずに、してはいけない約束の言葉を発してしまっていた。
当事者による別段の意思表示を試みてみたのだ。
つまり、フェラーリ以外の弁済方法を提示してみたのである。
「かんちゃんを絞めた駄賃で、大阪メタル祭りの許可と新しい車を強請るのもいいかな。ジープって好き?バリバリのジープも良いけどベンツのGクラスも良いよね。大きい車ってことで、レンジローバーも格好良いよね。」
私は個人的にフェラーリやランボルギーニなどのスーパーカー系よりも、ごつい装甲車のようなものが好きだ。
鋼鉄の魂を持った男が喜ぶかと思ったが、彼は全く喜ぶどころか私にわかっていないという風な目で睨んでから、不貞腐れた子供の様な大きなため息を吐いた。
「……俺はフェラーリが良い。」
床に跪いたままの護衛官は、お菓子を買って貰えない子供のように答えたが、私は子供を言い聞かす母親のようにはなれない。
当たり前のように私の足は吉保を蹴っていた。
あぁ、整備士達から起きた洪水の様な嘲笑が身につまされる。
「わかったよ。わかりました。今日はこの車だけど、次の休みにドライブをしましょう。伊藤のフェラーリで関越道で新潟まで行って蟹を食べよう。いいだろ、それで!」
「……蟹に、そのドレスは似合わない。」
「どんな服が好みなんだ。学校の制服を着てお前を淫行条例でひっかけてやろうか?」
「……その服で良いです。蟹汁がびちゃびちゃ飛んで、臭い蟹汁でその素晴らしいドレスが台無しになっても良いのであれば。」
私はぎりっと歯噛みをした。
確かに吉保の言う通り、蟹汁は危険だ。
そして、自分でも蟹蟹言っている間に、ズワイガニを手づかみで貪り食べたい、という気持ちで一杯になってしまったのだ。
もう、フェラーリしか見えない吉保のように。
「その日は戦闘服は脱いでやる。お前はしっかりあたしを守れよ。」
吉保はしゃっきりと起立すると警察の募集ポスターの青年の様な清々しい笑顔をして、私に敬礼までしやがった。
「イエッサーマム!」
「では、運転席に戻れ!サッサと乗れ!そして、この事件を全部掌握していながら混乱させている魔王を倒しに行くぞ!」
私達は整備工達の拍手喝さいを受けながら、ああ、ようやく基地を後に出来た。




